コナン・ドイルとM・セレスト号事件
2013.09.17 02:27|怪奇幻想文学いろいろ|
きのうは台風で朝からひどい風でした。それでも昼過ぎになってだいぶ収まったので、取り込んであったベランダの鉢を戻して出かけたら暗くなったころに吹き返しが来て、バラがだいぶ傷んでしまいました
陸の上でこれなんですから、帆船時代嵐の中で操船する怖さはいくら本で読んではいても想像に余るものがあります。つくづくフライング・ダッチマン号の一員にはなりたくないですねぇ。
ところで前回拙訳で紹介させていただいた短編 "And I Only Am Escaped to Tell Thee"はフライング・ダッチマン伝説だけでなくメアリー(マリー)・セレスト号の話も元にしているわけですが、それ絡みだとこのセレスト号事件を有名にした作品、コナン・ドイルの"J. Habakuk Jephson's Statement"に触れないでおくのはまずいかもしれません(一応前回の記事でも名前だけは出しましたが)。
日本語訳は「ジェ・ハバカク・ジェフスンの遺書」のタイトルで、新潮社「ドイル傑作集Ⅱ」に収録。「海洋奇談集」とあるとおり、すべて海を舞台にした作品ばかりを集めた巻です。訳者は同じ文庫のホームズ・シリーズと同じ延原謙氏で、多少古めかしいものの読みにくくはないと思います。
セレスト号事件の十年後、唯一生還した乗客ジェフスンが事の次第を明かす手記の体裁をとった物語ですが、思いっきりネタばれしてしまいますと、ここでは同じ乗客の一人、ゴアリングと黒人船員たちの共謀による大量殺人事件というのが事件の真相なのです。
いまでこそ裕福な紳士として通るゴアリングですが、混血児の彼はかつて自分や身内を迫害した白人を憎み抜いていました。アメリカ全土で白人だけを狙った多くの未解決殺人を犯したあげく、先祖の地アフリカに帰る手段として選んだ船でも同族以外皆殺しにするはずが、ジェフスンだけは南北戦争に従軍した時、南部で親しくなった奴隷の老女からもらったお守りの石のおかげで難を逃れたのでした。
(もちろんこれらは完全なフィクションで、実際のメアリー・セレスト号にはジェフスンやゴアリングに相当する人物はおろか船長とその家族、船員以外に船客の記録はありません。)
要するに、ここでは船で起きた失踪に関して、神隠しや幽霊船といったオカルト的要素が入り込む余地は皆無。すべては人間が丹念に仕組んだことというわけで、その点ではゼラズニイの短編と正反対といえます。
一方で船名の改変(「メアリー」を「マリー」へ)や船上には何の乱れもなく、救命ボートが残されたままだったなどという事実と異なる脚色をそのまま取り入れているあたりは、もしかするとゼラズニイもドイルのこの作品をけっこう意識していて、"And I Only Am Escaped to Tell Thee"はこれと対照的な一種のオマージュ作といえなくもない…んでしょうか。
ただ正直、この話のプロットに感心したかというとかなり微妙なところです。たしかに黒幕ゴアリングの知能犯ぶりはなかなかなのですが、それでも作中の手段では「どこにも暴力の痕跡はない」状態での殺人というのは無理があるような。
たとえば、自殺に見せかけた船長の射殺にはわざわざ「キャビンの中は血だらけだった」というような描写があるし、最後ゴアリング一味が本性を現して白人船員たちを始末するときなど、少なくとも一人は血が流れるくらいの抵抗をしているのです。ゴアリングと部下の黒人たちが何とかしたとみるのが筋でしょうが、そういう血痕や乱闘のあとは完全に消し去れたのか?とか。
当時は今のような鑑識なんてないにしても、さすがに気づかれず証拠隠滅というのは難しそうであのホームズの作者にしては詰めが甘すぎないかなどと思ってしまいました。
もっともこの短編の発表はホームズの第一作「緋色の研究」よりも前、ドイルがまだ満二十五歳にもならないときの若書きなのを考慮すれば仕方ないのでしょうが。それから個人的には、どうしてもテーマがかぶるメルヴィルの「ベニート・セレーノ」(これもなぜか邦訳は「幽霊船」というタイトル)と比べて物足りなく感じてしまうのも一因なんですけどね。
ほかの収録短編五作も、それなりに興味深くは読めるもののなんともぞくぞく感に欠けるというのか…。 これもまったく個人的な嗜好にすぎませんが、基本的にドイルが海に向ける視線は事件の舞台を探すミステリー作家のそれなので、そこにある種の異世界を見出すホジスンのような系統好みの私とは相性いまいちなんでしょうね。
…でも告白すると「カーナッキ」よりはホームズのほうが面白いとずーっと思ってるんですよ(笑)

陸の上でこれなんですから、帆船時代嵐の中で操船する怖さはいくら本で読んではいても想像に余るものがあります。つくづくフライング・ダッチマン号の一員にはなりたくないですねぇ。
ところで前回拙訳で紹介させていただいた短編 "And I Only Am Escaped to Tell Thee"はフライング・ダッチマン伝説だけでなくメアリー(マリー)・セレスト号の話も元にしているわけですが、それ絡みだとこのセレスト号事件を有名にした作品、コナン・ドイルの"J. Habakuk Jephson's Statement"に触れないでおくのはまずいかもしれません(一応前回の記事でも名前だけは出しましたが)。
日本語訳は「ジェ・ハバカク・ジェフスンの遺書」のタイトルで、新潮社「ドイル傑作集Ⅱ」に収録。「海洋奇談集」とあるとおり、すべて海を舞台にした作品ばかりを集めた巻です。訳者は同じ文庫のホームズ・シリーズと同じ延原謙氏で、多少古めかしいものの読みにくくはないと思います。
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セレスト号事件の十年後、唯一生還した乗客ジェフスンが事の次第を明かす手記の体裁をとった物語ですが、思いっきりネタばれしてしまいますと、ここでは同じ乗客の一人、ゴアリングと黒人船員たちの共謀による大量殺人事件というのが事件の真相なのです。
いまでこそ裕福な紳士として通るゴアリングですが、混血児の彼はかつて自分や身内を迫害した白人を憎み抜いていました。アメリカ全土で白人だけを狙った多くの未解決殺人を犯したあげく、先祖の地アフリカに帰る手段として選んだ船でも同族以外皆殺しにするはずが、ジェフスンだけは南北戦争に従軍した時、南部で親しくなった奴隷の老女からもらったお守りの石のおかげで難を逃れたのでした。
(もちろんこれらは完全なフィクションで、実際のメアリー・セレスト号にはジェフスンやゴアリングに相当する人物はおろか船長とその家族、船員以外に船客の記録はありません。)
要するに、ここでは船で起きた失踪に関して、神隠しや幽霊船といったオカルト的要素が入り込む余地は皆無。すべては人間が丹念に仕組んだことというわけで、その点ではゼラズニイの短編と正反対といえます。
一方で船名の改変(「メアリー」を「マリー」へ)や船上には何の乱れもなく、救命ボートが残されたままだったなどという事実と異なる脚色をそのまま取り入れているあたりは、もしかするとゼラズニイもドイルのこの作品をけっこう意識していて、"And I Only Am Escaped to Tell Thee"はこれと対照的な一種のオマージュ作といえなくもない…んでしょうか。
ただ正直、この話のプロットに感心したかというとかなり微妙なところです。たしかに黒幕ゴアリングの知能犯ぶりはなかなかなのですが、それでも作中の手段では「どこにも暴力の痕跡はない」状態での殺人というのは無理があるような。
たとえば、自殺に見せかけた船長の射殺にはわざわざ「キャビンの中は血だらけだった」というような描写があるし、最後ゴアリング一味が本性を現して白人船員たちを始末するときなど、少なくとも一人は血が流れるくらいの抵抗をしているのです。ゴアリングと部下の黒人たちが何とかしたとみるのが筋でしょうが、そういう血痕や乱闘のあとは完全に消し去れたのか?とか。
当時は今のような鑑識なんてないにしても、さすがに気づかれず証拠隠滅というのは難しそうであのホームズの作者にしては詰めが甘すぎないかなどと思ってしまいました。
もっともこの短編の発表はホームズの第一作「緋色の研究」よりも前、ドイルがまだ満二十五歳にもならないときの若書きなのを考慮すれば仕方ないのでしょうが。それから個人的には、どうしてもテーマがかぶるメルヴィルの「ベニート・セレーノ」(これもなぜか邦訳は「幽霊船」というタイトル)と比べて物足りなく感じてしまうのも一因なんですけどね。
ほかの収録短編五作も、それなりに興味深くは読めるもののなんともぞくぞく感に欠けるというのか…。 これもまったく個人的な嗜好にすぎませんが、基本的にドイルが海に向ける視線は事件の舞台を探すミステリー作家のそれなので、そこにある種の異世界を見出すホジスンのような系統好みの私とは相性いまいちなんでしょうね。
…でも告白すると「カーナッキ」よりはホームズのほうが面白いとずーっと思ってるんですよ(笑)

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