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2018.06.15 22:54|ホジスン
 本当に久しぶりに"ホジスン″のタグを付けての作品紹介をひとつ。
 といってもホジスン本人の作ではなく、ホラー&ダークファンタジー専門誌「ナイトランド・クォータリー」の前回号(vol.12)掲載の「〈マインツ詩篇〉号の航海」という短編で、作者はベルギー人でホジスンより十歳下のジャン・レイ(レー)。
 
 「不可知の領域―コズミック・ホラー―」という号の特集テーマにふさわしく、異次元の海域へと引き込まれてしまった一隻の帆船とその乗組員たちを襲う恐怖を描いた海洋奇譚です。
 この「呪われた異界への航海」というモチーフは、コールリッジの「老水夫行」やポーの「アーサー・ゴードン・ピム」のような古典を代表格に一つの類型となっている感がありますが、末尾の解説にもあるとおり、構成やストーリー展開は何よりホジスンの「幽霊海賊」を思わせます。
(面白いことに、作品のタイトルかつ舞台となる船「〈マインツ詩篇〉号」が建造されたのは1909年とされていますが、これはちょうど「幽霊海賊」が出版された年でもあるのは単なる偶然でしょうか? ちなみに、一説ではレイはホジスンと同様一時期船乗りとして海で過ごした経験ありだとか)


 (あらすじ) ※中盤までのネタバレを含むので、未読の方はご注意ください
 
 

 
 船乗りバリスターはリヴァプールの酒場で出会った見知らぬ男(作中では"教師″としか呼ばれません)から、彼が入手して間もない小型スクーナー船の船長として雇い入れられます。
 男の語るところでは、一年前亡くなった大叔父から遺贈された古書の中に十五世紀の稀覯本「マインツ詩篇」を見つけ、それを売却して船の購入と航海準備にあてたとのこと。そうした経緯を記念して「〈マインツ詩篇〉号」と名を改めた船で、あくまで「科学的な目的」のため、海の難所として恐れられているスコットランド北西岸のある湾を目指したいというのでした。

 先に集められていた他の乗組員五人を加えて船出した「〈マインツ詩篇〉号」は、かろうじて危険海域をかいくぐり目的の湾に錨を下ろします。停泊中姿を見せない"教師″をよそに、平穏なひと時を満喫する船員たち。
 その安寧を破ったのは、ある朝突如として内陸の崖から船に浴びせられた銃撃でした。ところが反撃するまでもなく、謎の狙撃手たちは一同の眼前で次々と不可解な転落死をとげていきます。そして直後に断崖を降りてきたのは、他ならぬ"教師″その人でした。

 
 再び外海をさして出航した「〈マインツ詩篇〉号」ですが、船員たちは船に忍び寄る異様な気配に気づき始めていました。一斉に皆を襲った吐き気、急に姿を消した水鳥たち、船倉から逃げ出して海に飛び込むネズミの群れ、不気味な色に染まる海面... ついに不安の声が噴出し、一同は"教師″を問い質そうとしますが、その姿は不可解にも船上から消え失せていたのです。

 そして乗組員の一人ジェルウィンに空を見るよう促されたバリスターは、さらなる恐ろしい事実を悟るのでした。見慣れた星座とは似ても似つかぬ幾何学模様の星々が空に広がるこの海は、すでに地球上のものではないということに...。他の船員たちと異なり教育のあるジェルウィンは、船は"教師″によって何らかの手段で異次元世界に転移させられてしまったのではと見解を述べます。

 二人は皆を動揺させないよう自分達の置かれた状況については伏せておくことにし、士気を上げようとその晩は全員で集まって陽気に過ごします。しかし謎の襲撃にあい、立てつづけに二名の仲間が犠牲に。慄然としつつ夜の海を眺めるバリスターですが、船べりから身を乗り出した時、そこに目にしたのは想像を絶する光景だったのです...


 
 以前書いた「幽霊海賊」のあらすじと読み比べると、ある点で非常によく似ているのがお分かりいただけるかと思います。
 
 もっともこちらの作品は短編でテンポ良く進むこともあり、ジェットコースター的と呼びたくなるような後半の急展開など、「幽霊海賊」のじわじわ包み込むように醸成されてゆく恐怖とはまた違った迫力。終始曖昧模糊とした「幽霊海賊」の怪異と比べると、読者の脳裡に鮮烈なイメージを浮かびあがらせずにはおかないスペクタクル感が強く出ています。とりわけバリスターが海中に見た異界の光景は(何だったのかは書かないでおきますが)、このシーン一瞬のためだけにでもフルCGで映像化してほしいと思ったほど怖ろしくも惹きつけられるものでした。
 また出番の割にはキャラが立っており親しみの湧く仲間たちの存在、それと対照的に得体の知れない"教師″の不気味さなども物語に味わいを添えており、海の感触とコズミックホラーの不可思議さとが絶妙にブレンドされた、まさしく「海洋幻想文学」と呼ぶのにふさわしい一編という感想です。
 
 なお「マインツ詩篇」(Mainz Psalter)なる稀覯本の存在は寡聞にして知りませんでしたが、調べたら作中の説明どおり、1457年にグーテンベルク聖書に続いて世界で二番目に印刷された活字本というれっきとした実在の古書だったのでした。この初版本で完全な形で現存しているのは世界でもわずか十点だけらしく、高値がつくのも納得というものです。
 しかしこの本にちなんだ船名、危険予知能力(実際これが侮れない)持ちの乗組員に「大きな悪意が潜んでいる」と怖がられるのはなぜなんでしょう。書物自体には別段禍々しい謂れがある訳ではないようですが...。
 
 幾つかはデジタル化されておりネット上でも見られます。 →英国王ジョージ三世が所有していたWindsor copyと呼ばれる版

 これ始め謎がほとんど謎のまま終わってしまうのには流石に消化不良感が否めませんでしたが、謎の異次元存在との接触を図った教師がそこに行く手段兼生贄として船と乗組員たちを用意したということなのか?(COC的思考…というかアルデバランやら頭と両腕の取れる人形やらが出てくるとどうしてもクトゥルフが脳裏をよぎってしまいます)
 まあ少し前読んだレイの別作品「夜の主」(ベルギー幻想短編集「幻想の坩堝」収録)などこれ以上に理解の追いつき難い作品でしたので、人の意識の深層よりは完全にその埒外にあるコズミック・ホラーの方がホラー・エンターテイメントとしては悩まず楽しめるものなのかもしれません(笑)

  ところで最近このブログと同じ名義でツイッターのアカウント作りました。SNSへのまめな投稿ができない性分ですから自分でもどうなることか未知数ですが、時折ブログに書ききれないちょっとした話題などつぶやければと考えてます。アカウント名はプロフィールに記載してありますので(アイコンはうちの黒白猫)、もし見かけることでもあればあーあのブログの人だと思い出してやって下さい。

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タグ:ウィリアム・ホープ・ホジスン

2013.08.20 03:37|ホジスン
 先日紹介したオペラ"Ballata"のCDを聴いたので感想をと思ったものの、何ともゴチャゴチャした一筋縄でいかない作品で(主に原詩からのリブレット改変が)なかなかまとまりません

 なので両方の作品に登場して鍵となるアホウドリつながりということで、ホジスンの未邦訳短編 The Albatross のあらすじをざっくりご紹介しようと思います。こちらの方は実に単純明快なお話(これも以前紹介したきりだった海洋もの短編集に収録されています)。

 ~ "The Albatross" あらすじ ~

 1904年の三月。南米大陸の先端ホーン岬を廻る途上の帆船「スカイラーク号」の一等航海士である語り手は、真夜中の当直中船に飛来した一羽のアホウドリに気づきます。そのうるさい鳴き声にイラっと来た彼は糸に網を繕う用の針を結わえ、即席の飛び道具にして投げつけました。
すると鳥の体をかすめたらしい手応えがあり、引き戻すと針先には絹布の切れ端、それに長い金茶色の髪の毛が一本絡まっていたのです。

 この大海原の真っ只中で、長い髪と破りとられて間がない絹布(明らかに婦人服の一部)を鳥が運んできた意味とは!?
 興味をひかれた一等航海士がまだ船についてくるアホウドリをじっくり観察してみると、胸のあたりに袋のようなものが結んであるではありませんか。

 さっそく見習いの少年二人に手伝わせマスト間に網を張って鳥を捕まえる作戦に乗り出し、見事捕獲に成功。首から袋を外すと、中からは幾重にも防水布で包まれた一通の手紙が…。

 メアリー・ドリスウォルドと名乗る手紙の主の女性は、十日前汽船に当て逃げされて遭難した船ユニコーン号の乗客でした。船長は浸水する船から我先に逃げる部下たち(彼女のメイドまで一緒に)を止めるも、パニックに陥った彼らに突き落とされて水死。そこまでして離船したボートも、荒れた海でたちまち波に呑まれてしまったといいます。

 沈みかけの船に一人残されたメアリーは甲板にあるチャートハウス(海図室)に逃げこみます。手元の食糧は手紙を書いている今の時点でもって一週間ほど。さらに悪いことに、周囲には水を逃れたネズミたちがあふれ、食糧を食い荒らされないよう眠る余裕すらありません。

 唯一の頼みの綱は、船長が難破前日に捕まえていた件のアホウドリ。彼女は救助要請の手紙をしたため、海図室の記録にあった遭難地点の緯度と経度も書き添えて鳥を放ちました。

 記された日付から今日で八日(つまり遭難からは十八日)、事態を知った一等航海士はすぐ船長に救援隊の派遣を願い出ます。しかし折悪しく凪の最中で、ボート(当然、手漕ぎ)で行くほかないのですが、船長は二次遭難しかねないとなかなか許可を出してくれません。

 待てど暮らせど風は吹かず、船長の意向が変わる気配もないので、一等航海士はついに一人救出に向かうことを決心し、ボートに水や食糧、計器ほか必要なもの一切を積み夜間こっそり船を離れたのです。やはり彼女の身を案じていた二等航海士はじめ部下たちは準備を手伝ったうえ、風が吹いてきたらすぐ追いかけると約束して見送ってくれました。

 ひたすら漕ぐこと数日。手紙にあった地点もとっくに過ぎて諦めかけたころ、闇に響く霧笛の合図からついにユニコーン号の残骸にたどり着けました。
 しかしようやく出会えたメアリーは、海図室の窓から呼びかけに答えるも、朝まで船に上がってきては駄目!と叫びます。無視して救出に急ごうとした一等航海士ですが、船縁を越えたとたんおびただしい数のネズミにたかられ、命からがらボートに泳ぎ戻る羽目に! 甲板は黒山のようなネズミの大群に埋め尽くされており、彼女はこの事を警告してくれていたのです。

 それでもおとなしく待ってる彼ではありません。ボートにあったランプ二つをボート鉤の先に引っかけて船に移すとその灯りを頼りに、こんな事もあろうかと持参したショットガンの掃射をネズミたちに浴びせる一等航海士 銃身が真っ赤になるまで撃ちまくり、ついに害獣どもは甲板からほぼ一掃されました。

 やっと姿を現したメアリー嬢(もちろん美人)は空腹と不眠でやつれてはいましたが何とか持ちこたえており、言葉にならない程の感謝を示します。海図室の壁は鋼鉄の縁取りで補強されていて、わずかなネズミにしか侵入を許さなかったため彼女は命拾いしたのでした。

 そして、しばらく沈みかけの船で仲良く過ごした二人は(※特に言外の意味はありません)四日目の朝、後を追ってきたスカイラーク号に無事拾い上げてもらったのです。おしまい。

* * * * *

 「ナイトランド」「グレン・キャリッグ号」等のように、これも主人公が孤立したヒロインを単身探す救出ものです。もっともショットガン一丁であっさり片が付いてしまいますが(笑)
…しかし、海に落ちた時銃が濡れなかったはずがないのに大丈夫なんでしょうか。あと甲板すれすれまで沈んだ船で撃ちまくったら、あちこち穴が開いて一気に浸水しそうな気も。

 まあそういう突っ込みどころは置いても、ホジスンの作品の中ではいま二つぐらいな出来映えかと思います(汗) だったら他の未邦訳短編差し置いて紹介するなって感じですが、単純な話のほうが書くの楽なもので

 というかこの話、語り手がアホウドリに罵声を浴びせて飛び道具投げつけるところで始まるので、てっきり「老水夫行(こちらは主人公がアホウドリを射殺したためとんだ目に)」のように、この船がどんな恐ろしい運命に見舞われるのかと期待したらまさかのロマンス展開で拍子抜けした私です
 (ただ最初にアホウドリを傷つけて捕まえたユニコーン号の船長は船ばかりか命まで失う羽目になったわけだし、ジンクスはやっぱり健在といえるでしょうか)

それにしても暑い夏はやっぱり海の怪談ですね 二年前読んだきりの「幽霊海賊」も読み返したくなってきました…

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タグ:ウィリアム・ホープ・ホジスン

2013.07.26 02:07|ホジスン
その(1)はこちら(以降順繰りにリンク)

 はるか未来の世界で、前世の恋人ミルダスの生まれ変わりナーニとテレパシーで心を通わせることができた主人公。
 しかし彼女がいる「小ピラミッド」は生命線であるエネルギー源「地流」を失ったことによって滅亡の危機に瀕していることが分かります。主人公はナーニはじめ小ピラミッドの人々を助け出そうと、単身旅立つ決意を固めるのでした…。上巻の後半そっくり、すなわち邦訳版のほぼ四分の一にあたる長さを占めているのが、このまだ見ぬナーニと小ピラミッドを求めての探索行です。
 
 なかなか興味深いのが冒険に向けた主人公の装備なので、ちょっと詳しく紹介しておこうと思います。
 
 まず身なりは「夜の域」の寒さに耐えられる特別素材の服。さらに甲冑(色がどちらも「灰色」とあるので、ピラミッドに使われている金属と同じ素材なのかもしれません)を着け、腰には唯一の武器である自分専用のディスコスを帯びます。ちなみに私は「甲冑」という訳語のせいでずっと中世騎士の鎧的なのをイメージしてたのですが、調べてみるとフランス版の表紙↓などは、まるで洋ゲー風バトルスーツのようなデザインだったり。

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同じ「アーマー」でもずいぶん違いますよね。

 次に携行品ですが、これは身の回りの必需品等をのぞけば大部分が食糧のよう。「夜の域」で水含め食べ物を調達することはほぼ不可能に近い上、どれ位かかるかも分からない行程なので相当な量になりそうですが、このあたりはさすが未来文明、そんなことはまったく問題になりません。(なお、ピラミッドには牛馬など乗用・運搬用になる家畜はいないようです。)
 食事は一食分が数粒で足りるサプリのような錠剤(タブレット)、飲み物は空気中に出すと化学反応して液状の水になる粉末なので、持ち運びは非常に楽に思われます。この粉末飲料のようなものが科学技術で実現可能なのかはさっぱりわかりませんが、作中においてはとりわけ未来世界らしさを感じさせる面白いアイテムではないでしょうか。
 
 他には時計に相当する「計時盤」や「怪物警備官」の長が持たせてくれた小型の羅針盤などの道具類も荷物に含まれていました。とはいえこの時代には過去の天変地異や「地流」の影響のためか、羅針盤は方角を知る道具としては安定しないのであくまで試験的に持ち出してみたようなもの(比較的近くだと針は大ピラミッドの方向を指すため、帰途の道案内には使えるのですが)。
 しかし、そもそも目的の小ピラミッドは所在地すら不明なのです。それでも弱まる一方ながらもナーニのテレパシーを感知できる北の方角へ進むことにした主人公でしたが、実は出発に先立ち見つかったもう一つの手がかりがありました。

 それは図書館の古文書の中から発見された、かつて地球を見舞った大変動の歴史を記した一冊の本でした。地表に巨大な亀裂を生じさせた大地震、その亀裂が歳月を経て豊かな自然を再生させた大峡谷となったこと、太陽が衰えたために温暖なその峡谷の内部へと人類が移住を始めたこと。そして人類は日光が失われた後も、峡谷の底に新たな世界を築き、最後の避難場所大ピラミッドを建てるにいたったのです。

 そう、ここは途方もない深さに口を開けた大峡谷の底に広がる世界だったのです!
 
 かつて人類はその深みへと降りるため、数え切れないほどの世代に渡って底へと通じる「」を拓いていきました。古文書にあるその「道」とは、現在の「夜の域」で、大ピラミッドのある場所を大きくカーブするように北から西に向かって伸びる「無言のやつらの歩む道」のことではないかと考えられるため、「無言のやつらの歩む道」を北に行けば、かつて人類のたどってきた大峡谷沿いに進むことになります。そして目指す小ピラミッドも、その峡谷沿いのどこかにあるのではないかと。あまりに漠然とした推測にせよ、ナーニは北の方角にいるというテレパシー感覚の裏づけにはなりました。
 
 そして人々に見送られ、ついにピラミッドを旅立つ主人公。巨人や怪物たちにたびたび遭遇し、一度ならず命の危険にさらされた「夜の域」の旅は容易なものではありませんでしたが、ついにその最果てへとたどり着いた彼が目にしたのは、見慣れた「夜の域」とはまるで異なる真っ暗闇の大斜面。それでも向こう側にナーニが存在することを信じ、未知の領域に足を踏み入れるのでした…。
 果たして主人公はタイムリミットに間に合うように小ピラミッドを見つけ、ナーニと巡り会うことができるのでしょうか?

 六回にわたって続けた「ナイトランド」記事ですが、これ以上の内容紹介はさすがにネタバレになりすぎるので今回で最後にさせていただきます。もちろん以前取り上げたテーマに関しても、本文にはもっとずっと詳しく書かれていますので、少しでも興味を持たれた方がいらして本編を手に取っていただければホジスン好きとしてはこれ以上嬉しいことはありません。
 (一般書店での入手はちょっと難しいようですが、アマゾン、また新版発売元の原書房さんのサイトにはまだいくらか在庫がありますし、図書館を当たってみてもよさそうです。)

 それにしても一人きりで出発する主人公、大人数での行軍はかえって危険でもせめて数人の同行者は募るべきでは?という気がしないでもないですが、これはやはり「たった一人だけの旅」ということに意味があるのでしょう。
 青年の成長物語という点で共通の「グレン・キャリッグ号のボート」では常に仲間との団結によって道が開かれるのと反対に、こちらの主人公は結局最後に判断し、頼れるのは自分だけというある意味孤独な存在なのです(怪物警備官」の長のように親身に見守ってくれる人物はいても)。
 
 未来の世界で過去生の意識に目覚めた主人公が想像を絶する危険にもかかわらずミルダス≒ナーニを求めるのは、同じピラミッドの誰も理解できない記憶や感覚を共有できる唯一の存在である彼女の探索が(また同時に、現在側の分身である語り手にとっても)失われたアイデンティティの追求であり、ゆえに一人でなければならなかったのではないかと思います。

 そしてよく冗長という批判の戦犯扱いされているこのヒロインとの恋愛主題ですが、確かにホジスンの女性観は現代から見るとなんとも古めかしくてリアリティに欠けるのは事実です。ただ、それなら愛のテーマが不必要というわけではなく(語り手のほうはたぶんいい年の大人なんだから少しは自重しろって感じですが)、この物語がホジスンの作品の中でも飛びぬけた美しさを備えているのは、背後にどれほどの時間を隔てても揺らがない愛の絆というテーマが一貫して流れているからだろうとも感じずにはいられません。
 「夜の域」は現実で失ったミルダスとの再会を叶えるために生み出された幻想の世界…と解釈するのは意地悪に過ぎるとしても、おどろおどろしい光景にも不思議と嫌悪感が沸かないのは、決して挫けず希望に向かって進む主人公の純粋さがどんな負の要素も昇華してしまうからだという印象を今回改めて受けたのでした。

 最後になりましたが「ナイトランド」含めホジスンの作品の多くは原文がネット上で無料公開されており、私も下記のサイトを使わせていただいてます。

http://fiction.eserver.org/novels/nightland/contents.html

 といっても用語や言い回しが原語ではどうなっているか部分的に参照しているだけで、日本版のカット箇所がどこかなんて突き合せて調べることは到底できそうにありませんが…(こんなんじゃディープファン失格でしょうか)

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タグ:ウィリアム・ホープ・ホジスン

2013.07.06 17:02|ホジスン
その(1)はこちら(以降順繰りにリンク)

 主人公たちが暮らす「大ピラミッド」では古くからある伝説が語り継がれてきました。世界に残された人類はこの大ピラミッドの住人たちだけではなく、どこかほかの場所でいまだに生きのびている人々が存在するはずだというのです。

 さて、一種の通過儀礼である全都市めぐりの旅を終えた主人公(すでに前世の記憶にも覚醒しています)は、ピラミッドでは憧れの「怪物警備官(モンストルワカン)」の職につきます。彼には「夜の耳」と呼ばれる、ごくまれな特殊感覚が備わっており、「夜の域」のごく微妙な変動も観測機器以上の鋭さで感知できるその能力を見込まれたからでした。
 (ここで説明しておかなければならないのは、この未来の人類のあいだでは生まれつきの素質や訓練によってだいぶ差はあるようながら、機械を介さず脳そのものの機能による一種のテレパシーが発達して通信手段にも用いられていることです。しかしそうしたテレパシー通信には、時として邪霊たちに気づかれ罠をかけられる危険もつきまとっていました。)

 そんななか観測塔で勤務についていた主人公は、「夜の域」のかなたから伝わってきた一つの気配に強い衝撃を受けます。それはまさしくミルダスの呼びかけに思えましたが、意思疎通に成功した相手が名乗ったのは「ナーニ」という名前。「ミルダス」とは以前読んだ物語のヒロインで、その名で主人公に呼ばれたので彼女のつもりで返事したのだと。
 しかしついにある言葉が鍵となって、ナーニにも過去生の記憶が甦りました。彼女はやはりミルダスの生まれ変わりに他ならなかったのです。

 狂喜したのは主人公だけではなく、伝説どおり他にも生き残りの人類がいると知った大ピラミッドの人々も同様でした。ナーニは主人公を介し自分が住む場所のようすを色々と伝えてきますが、それによれば彼女はそのもう一つのピラミッド(以降「小ピラミッド」と表記)の「怪物警備官」の長の娘で、そこの住人には珍しい強いテレパシーの持ち主でもありました。
 
 ナーニの語るとこるでは、「小ピラミッド」は百万年以上昔、草創期の大ピラミッドを異分子として追われた人物が設計したとのこと。彼は当時まだ放浪を続けていた他の人々を集め、ある海のそばに「地流」のある場所を見つけて、そこに規模は劣るも似たような構造の第二のピラミッドを築いたのです。
 
 しかし小ピラミッドの地流は年月とともに衰え、それは人々にも次第に深刻な影響を及ぼすようになっていきました。人類が生きるのに必要なすべての源は地流であるため(前回の項参照)、その欠乏は住民の生命力をも弱らせ、人口はいまや一万人足らずにまで減ってしまったのです。
 かつて地流で動く機械で行われていた大ピラミッドとの交信(もっとも機械は脳機能のテレパシー通信と併用で、それを増幅するのに使われている感じ)も遠い昔に停止され、大ピラミッドでは彼らのことはおぼろげな言い伝え以外忘れ去られたままでした。通信を再開できたのはここしばらく地流が復活の兆しをみせているからで、修復した装置で呼びかける役目を強いテレパシー持ちのナーニが担ったというわけでした。

 ですが主人公とナーニが「心の再会」を果たしてまもなく、決定的な事態が訪れます。突然彼女が弱々しく告げてきたのは、地流が前触れなしに涸れ果てたという最悪の知らせ。再燃とは結局、最後のほとばしりのようなものにすぎなかったのです。その後しばらくは機械に頼らずナーニの脳機能だけによる呼びかけがときおり響いてきましたが、やがてそれも途絶えてしまいました。
 主人公はもちろん、大ピラミッドの人々のあいだにも動揺が走ります。中でも無鉄砲な若者たちの一隊は助けに行こうと掟を破って「夜の域」に飛び出したのですが、全滅したばかりか救援隊にも多くの犠牲を出すという悲惨な結果に…。

 それでも単身ナーニたち小ピラミッドの住民を助けに向かう決意を固めた主人公。とはいえ小ピラミッドの存在地さえも不明なのですが、ナーニとの交信で得た、彼女のいるのは北の方角に違いないという直感に従うことにしたのです。外の世界に赴くため必要な精神の「備え」をすませ、苛酷な環境に耐えられる装備一式に身を固めた主人公はついに「夜の域」へと踏み出しました――

 やっと背景解説からストーリーが動き出す段階に来たわけですが(でもここまでが面白いんですよ!!)、数々のこまごました設定を取り払ってしまえば、「ナイトランド」の大筋はヒロインを救出に行くヒーローの旅物語という王道そのもの。
 
 ところで、この孤立した環境にあるまだ見ぬヒロインを青年が単身救出に向かうという構図は、以前紹介した「グレン・キャリッグ号のボート」の、マディスン嬢ら難破船の人々のところまで藻の海を越えていく主人公と共通です。
 幻想・超自然的要素に乏しく、「ナイトランド」とはだいぶ印象の異なる「グレン・キャリッグ号」ですが、実際にはホジスンの作品どうしの中でもこれらの二作品はかなり多くの類似点を含んでいるように思えます。揃って人生経験が少ない若者が主人公ポジションで、それを父親代わりとして見守るボースンと「怪物警備官」の長という関係も同じですし、最終的にはどちらの主人公もその庇護の下から離れて単身冒険におもむくという点でもそっくり。それぞれのヒロイン、マディスン嬢とナーニもホジスンの好みのタイプなのかどことなくキャラが被っているような(笑)

 「ナーニ」Naaniってなんだか微妙な語感ですけど、この時代の言葉は当然ながら、少なくとも英語とはまったく違ったものになっているとのこと。もっとも、日本語版でカットされてしまったのでなければナーニ以外に出てくる未来の人名はたった二人、アショフ(全滅した若者たちのリーダー)とアエスワープス(未来の時点から見てはるか古代の詩人)だけですが。
 ほかにも言語の違いに主人公の現在と未来それぞれの人格が面食らうとか、言葉の問題に関してはまったく無視されているわけでもないですが、もう少し踏み込んであっても面白かったかもしれません。

次回(その6)はこちら

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2013.06.08 11:20|ホジスン
その(1)はこちら (以降順にリンクしてあります)

 主人公が転生したはるか未来の地球。苛酷な環境と人(とその魂)を餌にする怪物や邪霊のため、人類はもはや外の世界で生きてはゆけず、ピラミッドの形をした巨大な建造物の中に社会を築いているのでした。このピラミッドはしばしば"The Last Redoubt"(訳では「最後の角面堡」)と呼ばれていますが、砦や要塞というRedoubtの意味どおり、いまや人間を絶滅から守るため唯一残された防壁なのです。
 
 実際ピラミッドは建築されてから百万年という年月を持ちこたえてきており、おそらくほとんどの人々は生涯そこから一歩も出ることなく過ごします(前回書いたように厳しい試練が課される「夜の域」の探索志願者はごく僅かでしょうし、そもそも女性は一切外に出ることが認められないというので)。内部では常に警戒体制がとられているとはいえ、それなりに安定した快適な世界で衣食住にも事欠くことはないようです。

 語られるところでは、この時代生き残っている人口はわずか数百万人程度。とはいえ、それだけの人々が一つところにまとまって住んでいるわけなのでピラミッドの大きさは半端ありません。作中に見える記述をまとめてみると、ピラミッドの規模や構造は・・・

・灰色の金属でできた四角錐形で、基部は一辺が5・25マイル、高さは8マイル近く。その上にさらに「怪物警備官」 が詰める見張りの塔がある。
・内部は1320の階層に分かれていて、その一つ一つが都市を形成している(移動にはエレベーターのような昇降機を使う)。若者は成人前、一日に一都市をめぐる旅をする慣わし。
・四面の壁全体には銃眼があり、外が見られるようになっている

 ただ面積は上の層に行くほど狭くなっていくわけで、居住空間の人口密度は相当高くて窮屈なんじゃないかという気もしますが(笑) 中には巨大な図書館や博物館、それにピラミッドの中心にあたる位置(「中心点」という金属のオブジェが置かれています)には「数学の間」という研究のための場所など、さまざまな施設もあるようです。

 しかし、ピラミッドの地上部分は例えるなら氷山の水面より上に出ている箇所のようなもの。建造以来その地下は常に掘り下げられ続けて、地下百マイルにいたるまでピラミッド本体をはるかにしのぐ巨大な空間ができています。周囲は土を掘っても敵が侵入できないようピラミッドと同じ金属の壁でおおわれ、風や人工照明による光もあって豊かな自然が再現してあるのです。
 地下への出入りはほぼ自由のようで(そこに定住している人たちがいるのかはあまりはっきりせず、居住区域として認められているのは地上部限定なのかもしれません)住人たちはそこで散策したり食物を栽培したりし、また一辺の幅が百マイルという最下層は「沈黙の園」と呼ばれて死者を埋葬するための広大な墓地としても用いられているのでした。

 「沈黙の園」よりもさらに深い地下には、「地流」(Earth-Current)と呼ばれるエネルギー源が存在しています。この「地流」こそが、ピラミッドの事実上の生命線といっても過言ではないでしょう。「生命と光と安寧のすべてを生みだす源」(妖精文庫版P79)と作中で述べられているように、照明や動力等全部のエネルギーを得ているばかりでなく、地下の土壌で食用となるもの含め植物を栽培できるのも「地流」の影響によるものだからで、もしそれが弱まったり最悪涸れてしまえば破滅的な結果は避けられません。
 そして、あるいはそれ以上に重要ともいえるのは、「地流」には「夜の域」の邪霊や怪物を寄せ付けない力があること。ピラミッドの周囲一マイルのところには「地流」のエネルギーが流れるチューブが環状にめぐらされていて、それが外敵の侵入を防ぐ最大の防御になっているのです。

 「地流」はまた、ピラミッドの人々が使う武器の動力源でもあります。この未来世界には銃火器はなく、「ディスコス」という名称の、伸縮可能な竿の先に回転する円盤形の刃を取り付けた金属製の武器が用いられているのですが、これはどういう仕組みか地流のあるピラミッドから離れた場所でも使用でき、しかも起動すると光るので真っ暗闇の中でも大丈夫というなかなかの優れもの。
 おそらく非常事態に備えてか、ピラミッドの全住民は男女問わず小さい時からディスコスの扱いを訓練されて各自が専用の一振りを所持しています(ただし普段は厳重に管理されており、無断持ち出しは絶対禁止)。

 なお他の兵器が全くないわけではなく、より古い時代に作られた、地流をビームのように打ち出す大砲のようなものもいまだに保存されているのです。そればかりか博物館には飛行船なども残っていますが、作中で語られる時代には人類は外敵の注意をひかず、何より貴重なエネルギーの地流を消費しないことを重視しているため、それ以前のテクノロジーの多くは放棄されたという設定(果たしてこれらが活躍する機会があるかは、読んでのお楽しみということで)。

 ピラミッドで普段どんな生活が営まれているか、また政治や経済等社会の仕組みがどうなっているかなどはそれほど詳しい説明がなく、想像で補うしかありません。
 人々は階ごとの都市に分かれて暮らし、都市の首長や前に述べた「怪物警備官」の長(Master)はじめ、「医師の長」、「ディスコスの長」などいろいろな部署の長官たちが全体の指導者層のようですが、特に目立った階級や貧富の差がある雰囲気ではなさそう。
 
 先に書いたように一種の軍事教練的なものが幼時から義務付けられていたり、ピラミッド全体で就寝(消灯)時間が決められている(省エネを考えたら無理ないことですが)など多少管理社会めいたところがあるにせよ、住む都市の選択なども含めそれなりに個人の自由が尊重され、人々の連帯や親近感も強い平和な世界といった様子です。ただし防衛面に関することには厳しい法が定められており、とりわけ無断で「夜の域」に出ようとした者、それを手助けした者には重い罰が科されます。

 ところでその違反者に対する罰則が「鞭打ち」(帆船時代には海軍、商船問わず船内の規律違反者に対する刑罰でした)というあたりは、どうもホジスンの船員勤務の経験が影響しているのではと思えてなりません。とはいえ、やはりもと船乗りだったメルヴィルが自作中でこの制度への嫌悪を相当あからさまにしているのなどと比べると、ここでホジスンが主人公の口を通して述べている意見は賛同ではないにせよ、やむをえない最終手段といったニュアンスでそこまで否定的ではない印象ですが。
 
 しかし(すごく漠然としてますけど)、読んでいるとときおり、それ以外の全体的な雰囲気においてもホジスンはピラミッドの社会と一隻の船の内部とを重ね合わせているような感覚を受けるのですよね。規律が何よりも重んじられている点、それに数百万もの人々がいるとは思えないほど全体の一致団結感が強いあたりなども。
 ともかく常に危険と隣り合わせの閉ざされた運命共同体という点では、ピラミッドは規模は違えど航海中の帆船と同じといえます。そうした共通点からしても、やっぱりこの世界観の根っこにはかつて乗り組んでいた船のイメージがあると考えたくなるのですがどうでしょうか。

 次回(その5)はこちら

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2013.05.19 02:36|ホジスン
 その(1)はこちら(以降順繰りにリンク)

 ありとあらゆる魑魅魍魎のたぐいが棲みつく「夜の域」でもひときわ奇怪で得体の知れない存在が、ピラミッドの周囲を輪のように取り囲んでいる「監視者」"watcher"と呼ばれる巨大な怪物たちです。

「…(前略) 四人の監視者が闇のなかに潜んでピラミッドを見張っているのである。動きもしなければ、音をたてることもない。しかしわれわれは、そいつらが眼を光らせつづける生きた山であることを、醜怪でたしかな理性を備えた生きものであることを、知っていた。」(妖精文庫版、上巻P36より)

 「四人」とあるのはそれぞれピラミッドからみて北東、南西、南東、北西にいるものたちで、それぞれ「北東の監視者」というように位置する方位をつけて呼ばれています。
 そしてもう一体、他の四体とは「性質を異にしている」のが「夜の域」でも最大の巨躯で、百万年前に闇の中から出現したと伝えられる「南の監視者」。それは現れて二万年のあいだ、ほとんど認識できないくらいゆっくりとピラミッドに向かって進み続けたので、人間たちは怪物の目の前に「光るドーム」という建造物を築いて怪物の接近を食い止めたといわれているのでした。
 
 この「監視者」ら怪物たちへの警戒にあたるのが「怪物警備官(モンストルワカン)」と呼ばれる人々で、彼らはピラミッド上部の塔から常時「夜の域」で起こるあらゆる変化を観測しています。代々の「怪物警備官」たちが残した記録とそれに基づく研究の量は膨大で、それこそ「北東の監視者」の額が巨大で皺くちゃということについてだけでもゆうに「図書館いっぱい」の本が書かれているくらいだとか。
 
 現在の「怪物警備官」の長は両親を亡くした主人公とは父親のように親しい関係にあり、主人公自身も一種のテレパシー能力を備えているのを買われて成人後はその一員になります。ちなみにこの職はピラミッド世界きってのエリートですが誰でもなれるわけではないらしく、外の正気度をすり減らしそうな怪物たちを見続けるにはやはりそれなりの適性が必要なのかもしれませんね。

 これらあわせて五体の「監視者」たちの姿については部分的な描写があるのみですが、妖精文庫版あとがきと付録の小冊子でアメリカのイラストレーター、スティーヴン・フェビアン (Stephen Fabian)がホジスン自身による短縮版「X氏の夢」につけた挿絵が紹介されていました。ネットで探したらカラー画像も見つかりましたので、いくつか転載させていただきます。

nightwatchernethumb.jpg
皺くちゃなおでこに突き出た耳、頭上には青い光の輪の「北東の監視者」。
想像力貧困なもので私には手足つきモアイ像みたいなのしか浮かびませんでした

nightwatchersethumb.jpg
左右に松明に似た火が燃えている「南東の監視者」。あまり具体的な説明がないせいか、虫やヒキガエルのパーツを混ぜたような姿になってますがいい感じに気色悪いです。

nightwatchersouththumb.jpg
光るドームを前にした巨大な「南の監視者」。しかし、まさかこの姿勢のまま進んできたんでしょうか…
 
 上の画像をお借りしたのは、イギリスのThe Night Landというサイト。
 ここには読むときの脳内補完に役立つ情報がいっぱいで、特に「夜の域」と主人公の旅の経路を地図にした"Night Maps"、フェビアンはじめ色々なアーティストが「ナイトランド」の世界観を元に描いたイラストや世界各国で出版された本のカバーアートを集めた"Night Scapes"は必見。もちろん大部分は本文の記述を基にした推測ですが、地球のたどった歴史の年表、それに二次創作(!)の小説まであって面白いですよ。

 しかし(話を戻すと)「夜の域」で何より恐ろしいのはそこに人間たちの魂を汚し、ただの死よりもずっと恐ろしい状態をもたらす邪悪な力が潜んでいることだといいます。精神に干渉して破壊するあたり、クトゥルフ神話の「宇宙的恐怖」に近いものともいえるでしょう。
 この邪悪な力(原文ではEvil Force、Spirit、Powerなどさまざまに呼ばれていますが訳ではほぼ「邪霊」で統一)と、「監視者」はじめ有形の怪物たちとの区別は今ひとつ不明確ながら、前者は実体をそなえていない(よって物理的攻撃も効かない)存在ではないかと思われます。もっとも前回で引用した「夜の域」成立過程のくだりに暗示されているように、「監視者」たちも"凝固"(実体化)した邪霊の一種なのかもしれませんが。

 志願しての探索であれ外にいる仲間の救援隊として派遣されるのであれ、「夜の域」に出てゆくピラミッドの住人は誰もがその危険についての講義を受け、「精神の装備」をすることが義務付けられていると主人公は説明します。そして手首のところには毒の入ったカプセルが埋め込まれ、もし「邪霊」から逃れられないとわかれば取り憑かれて精神を汚染される前にそれで自決しなくてはならないのだと。どうもある者が「邪霊」の犠牲となると、そこから間接的に他の不特定多数の人たちにまで害が及ぶ恐れがあるようなのです。
 
 おそらく「邪霊」たちにとっては人間の魂が餌のようなもので、彼らがそれを目当てにピラミッドの周りに集まるため「夜の域」が形成されているのでしょう。また別の回で触れようと思いますが、人間の住まない場所にはだいぶ異なる環境も存在していて、「夜の域」というのは一種独特な様相の領域であることがしだいに明かされていきますし。

 そして「夜の域」でその邪霊たちがたむろすもっとも危険な場所が、大ピラミッドの北の方角にたたずむ「沈黙の家」。窓と戸口からはこうこうと明かりがともっているのが見えるのに(シュールですがなにかの見立てではなく、あくまで本物の「家」なんです!)常に完全な静寂に閉ざされた巨大な建物と説明されています。

nightpastsilencethumb.jpg
↑ やはりフェビアンによる「沈黙の家」

 それにしてもなんでそんな荒地の真ん中に家が建ってるのかが最大の謎なんですが、ホジスンのもう一作の邦訳済み長編「異次元を覗く家」でもやはりはるか未来の地球を舞台に似た光景が登場するので、もしかしたら同じ家じゃないかと想像をふくらませたくなりますね。この二作はぜひ読み比べてみることをお勧めします。

異次元を覗く家 (ハヤカワ文庫 SF 58)←Amazonリンク

 「沈黙の家」がどう話に絡んでくるかは書きすぎないほうがよさそうですので、今回はこの辺で…。次は人類にとっての唯一の避難場所、ピラミッド内部の事柄についての予定です。

次回(その4)はこちら

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タグ:ウィリアム・ホープ・ホジスン

2013.05.09 15:26|ホジスン
前回(その1)はこちら。今回はこの小説の主な舞台、大ピラミッドを取りまく「ナイトランド」についてです。
 
 作品タイトルにもなっている"the Night Land"は直訳すれば「夜の国」「夜の世界」といったところでしょうが、読み進むうち次第にわかってくるように、実はこれは決して未来の地球全体のことではなくわりと限られた一帯を指して使われている言葉で、訳者の(団精二こと)荒俣宏氏もそうしたことを意識してか、「ナイトランド」とルビをふった「夜の域」という訳語を用いられています。
 本文中ではすべてこの表記になっていますし、題名との混同を避けるためにも「場所」としての「ナイトランド」については、私もこれ以降「夜の域」という言葉で通そうと思います。

 ところで未来世界の説明について、まず一つ訂正しなければならないことが。前回の記事で(修正しましたけど)主人公が生まれ変わったのは数百万年後の地球と書いてしまったんですが、実際はどれほど未来か明確にされてはおらず、ただ単に気の遠くなるような年月が経っているということしかわかりません。
 そもそも、ピラミッドの記録に残されている歴史からして何十、何百万年というとんでもない単位のもので、さらにそれ以前の太陽が光を保っていた頃のことはほとんど人々の記憶にも残ってないというので、数億か数十億年後の時代と考えてもおかしくなさそうです(もちろん百年前の作品なので、現代考えられているような太陽系の歴史とはある程度切り離して考えるべきでしょう)。

 さてそのとにかく凄い未来で、前世の自分と意識がつながった主人公。最初に気がついたとき、彼はピラミッド上の銃眼から下界を一望しようとするところだったのです。
 それから作品前半のかなりの部分は「夜の域」の地理や成立の歴史、それに大ピラミッド内の事物についての説明に費やされます。普通ならこう最初から延々説明パートだと辟易しそうなものですが、「ナイトランド」の場合ここがむしろ一番読んでてわくわくする箇所といっても過言ではないでしょう(それだけこの世界観が魅力的だからで、ほかの部分がつまらないなんて言ってませんよ)。

 「夜の域」は荒涼とした、普通の人間が身一つで放り出されたらまず生きられないような苛酷な環境です。育つ植物といったらある種の灌木程度、それに寒さも厳しく、装備があったとしても下手をすれば命に関わりかねません。地熱が作った「火穴」と呼ばれる場所や温泉で暖を取ることはできますが、そうした場所では他の危険に遭遇する率も上がります。

 というのも決して生命の気配がない死の世界ではなく、無数の奇怪な生き物たち、例えば巨人、半人半獣、巨大な虫や甲殻類に似た怪獣などが至る所にうごめいているからなのです。
(あまりに多種多様な生き物がいるので、ピラミッドの子供たちの間では、みな小さいときから自分専用に持っている望遠鏡で外を覗いて、誰が一番恐ろしい怪物を見つけるか競争するのが定番の遊びなんだとか。)
 
 そうした化け物たちの由来について、作中では次のように説明されています。
 「・・・古い科学(といっても、われわれから見れば未来科学だが)に関する記録はお寒い限りであるが、それによると、測り知れぬ外宇宙の力をその古い科学が乱してしまい、この正常な現在ではみごとにわれわれを保護してくれている〈生命防護層〉を、怪物や獣人の一部に突破させる事態を、ひき起こしたのだそうだ。こうして邪霊たちの物質凝固現象が起きたり、また別の場合にはグロテスクで恐ろしい化けものが生みだされ、それらが今この世界の人類を取り囲んでいる。」(妖精文庫版、上巻P34より)

 つまり進歩しすぎた科学技術のせいで、ある時異世界とのあいだを隔てる壁のようなものが破壊されてしまい、その向こう側から邪悪な存在がぞろぞろ侵入してこちらの生物たちと混血しつつ地上にはびこった…と。
 
 このように目に見える世界の外側には人間に害をもたらすものたちが棲む異空間が広がっていて、そことの境界が破れたり不安定になったため怪現象や災いが起きるというのは実はホジスン作品の多くに共通したモティーフで、きっとこのあたりがラヴクラフトにつながるコズミックホラーの元祖といわれる所以なんでしょうね。
 作中、「夜の域」に探検に出る人々にとって最大の恐怖のひとつである「夜の門口(Doorways In The Night)」という異様な音の現象が語られているのですが、「門口」とはまさにこの次元に開いた裂け目のことだと思われます。

 「ボーダーランド三部作」の「ボーダー」というのもやはりこの境界を意味しており、「異次元を覗く家」の屋敷や「幽霊海賊」の船が怪異に見舞われるのは、それらが何らかの理由で二つの世界の境い目に位置しているからにほかなりません(スーパーナチュラルな要素のあまりない「グレン・キャリッグ号」はまたちょっと別ですが)。
 
↓オカルト探偵ものの「幽霊狩人カーナッキ」でもカーナッキ先生が時々このテーマについて解説してくれてます。

幽霊狩人カーナッキの事件簿 (創元推理文庫)幽霊狩人カーナッキの事件簿 (創元推理文庫)
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W.H. ホジスン

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 「夜の域」のことは詳しく書こうとするときりがないのですが、長くなってきたので今回はここまで。もうちょっと具体的な事柄に関しては次回までお待ちください

次回(その3)はこちら

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2013.04.30 07:49|ホジスン
 雑誌の方ではありません (というか誌名の由来ってこれ?)。念のため。

 少し前、例の終末テイスト聖杯伝説(?)を観たおかげですっかり「ナイトランド」熱が再燃し、連休中に久しぶりで読み返してました。
(詳しくはリンク先をご覧ください。もちろん「似てる」と思ったのにそこまで深い意味はなく、ポストアポカリプティックな未来という設定、それにほとんどいつも暗い背景映像はじめビジュアルが個人的「ナイトランド」のイメージとかぶったからなんですが。)

 考えてみれば私、ホジスンの長編の中でこの作品にだけはちゃんと触れたことがなかったかも。唯一思い出すのが「グレン・キャリッグ号のボート」を紹介していたとき、しょっちゅう「(『ナイトランド』は)ヒロインがウザい」的なことを言ってた記憶という(汗)
 しかしそれではさすがにホジスンファンとして失礼な気がしてきたので、この際自分なりの紹介記事を書いてみようかと思い立ちました。結末のネタばれにならない範囲であらすじと登場人物・世界観の説明、それにおりおり私個人の雑感なども含めて、ボリュームが多くなりそうなため数回に分けようと思ってます。
だいたい更新遅いんでいつ終わるかわかりませんけど、気長にお付き合いいただければ幸いです。

 「ナイトランド」は1912年に発表された、ウィリアム・ホープ・ホジスンの長編四作のうちではひときわ長い小説。ウィキペディアにも書かれたのは数年前にさかのぼるとあるように、他作品との執筆時期の前後関係は微妙なようですが、まとめて「ボーダーランド三部作」と呼ばれるほかの長編三つ(グレン・キャリッグ号のボート、異次元を覗く家、幽霊海賊)のそれぞれと共通する要素を含んでおり、内容的にはホジスンの集大成のような作品といえるでしょう。

 しかしほぼ二十万語というあまりの長さのため、初版刊行ののちはあちこち出版社によるカットを施されるという憂き目に会い、さらにアメリカで出版するにあたっては約十分の一に短縮して「X氏の夢」と改題したバージョンを新たに書き直さざるを得ませんでした。
 
 日本語訳版もカットを免れてはいないようで、私が持っている本(新しい方の原書房版ではなく、月刊ペン社の妖精文庫というシリーズで出された上下巻)にも最後、海外で出たペーパーバックの省略箇所を参考に、主に後半部分でカットを断行したという訳者の荒俣宏氏の断り書きがあります。
 しかしまあ、そうしたくなるのも仕方がないかと思えるほど、(カット込みでも)後半があちこちグダグダ気味なのも確かでして…。とにかく長い分、ホジスンという作家の魅力と欠点双方がとことん詰まっているという感があるんですよね。

 さて、前置きはこれぐらいにしてそろそろ本筋の紹介に入るとしましょう。
 たいていのホジスン作品と同じように、「ナイトランド」も主人公が一人称で語るという形式で進行します。しかしこの主人公、実は「二人で一人」とでもいうようなちょっと特殊な設定。
 現在(といっても舞台は十七、八世紀のようですが)に生きる語り手は、はるか後の時代に転生した自身の生まれ変わりと互いに精神がリンクして、その未来の自分の身に起きた出来事を記す…というのが「ナイトランド」の物語なのです。

 最初の章ではプロローグ的に、彼と運命の女性ミルダスとの出会いが語られます。夕暮れどき散歩に出た語り手は、隣家の被後見人で自分と縁続きでもある令嬢ミルダスにめぐり会い、たちまち愛し合う中に。二人はお決まりの行き違いやら何やらを乗り越えてめでたく結ばれたものの、彼女は子供が生まれたのと引き換えに亡くなってしまったのでした。

 妻の死後悲しみにくれていた語り手でしたが、ある日不思議な体験が訪れました。彼は自分が途方もない時を経たあとにふたたび生を享け、その転生した姿である十七歳くらいの若者とお互い意識が通じ合うようになったのを初めて自覚したのです。
 以降主人公は時空をへだてて、その「もう一人の自分」が体験した出来事を語り続けていくことになります(その間に「現在」ではほとんど彼の一生分に相当する時間が流れているようにもとれるのですが)。

 はるか未来の地球ではすでに太陽は光を失い、環境も天変地異や戦争、そしてそのために異次元からの邪悪な存在の侵入を招いたことによって完全に荒廃していました。わずかに生き残った人類は「最後の角面堡(ラスト・リダウト)」と呼ばれる巨大なピラミッド型建造物を作り、その中に閉じこもって社会を営んでいたのです。
 ピラミッドの周囲に広がっているのは巨人や怪獣のような不気味な生き物が跋扈し、さまざまの神秘的な現象に満たされた「夜の域(ナイトランド)」。そこはピラミッド内の人々にとっては、よほどの覚悟と修練なしには出て行くことを許されない禁断の地なのでした。
 
 しかし前世の自分を意識すると同時に失った妻への思いをも呼び覚まされた主人公は、ある時ふと闇のかなたから伝わってくる最愛のミルダスの気配を感じ取ります。彼女もこの世界のどこかにいるのか…。

 大体ここまでが導入部分といったところ。次はピラミッドを取り巻く闇の領域、ナイトランドについて説明してみようと思います。

次回(その2)はこちら

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2013.01.17 02:55|ホジスン
 さっきまで日曜の本放送時に見逃してしまったNHKのダイオウイカスペシャル再放送を見ていました。しょっちゅう人を襲いに現れる創作ものとは違って実際は姿をとらえるだけでも一苦労みたいですが、やっぱり見入ってしまいますね。

 実はフィクションの巨大イカというと、以前あらすじを紹介したホジスンの「グレン・キャリッグ号のボート」でずっと引っかかっていることがあるのでこの際書いておこうかなと。
 
 人間を取り込んでしまう食人木(?)、水陸両棲の凶暴なウィードメン、そして巨大なカニや「デビルフィッシュ」と呼ばれる生き物等々、実にB級映画的なクリーチャーだらけのこの作品なんですが、訳していて困ったことの一つが「デビルフィッシュ」というのが厳密にはタコなのかイカなのか、今ひとつはっきりしないということでした。
 
 調べてみたら英語のdevilfishという単語にはかなり広範な意味があり、タコやイカなどの頭足類のほかにもエイやアンコウまで含まれるとのこと。作中の生き物は足がたくさんあることからしてタコかイカなのは確かですけど、それ以外にはっきり区別できるような描写も見当たらなかったですし。
 
 私は"devilfish"だとタコというイメージが強いので(多分クトゥルフのせい)、訳も全編通して「タコ」で統一してしまいましたが・・・。問題は第七章、主人公たちのボートを襲ってボースン(水夫長)と格闘したクリーチャーに限って"cuttlefish"という表記が"devilfish"と混ぜこぜになって二回だけ使われていることなのです。(詳しくは下のリンク記事で) cuttlefishならやっぱりイカにするべきだったでしょうか
 
グレン・キャリッグ号のボート・七章あらすじ紹介

 ちなみに私の記憶違いでなければ「グレン・キャリッグ号」に「デビルフィッシュ」と呼ばれる生き物が直接登場するのは全部で三回で、廃船に絡み付いているのを主人公とボースンが目撃するのが最初、二回目が上記の七章、ずっと後の十六章で「水鳥号」にちょっかいを出してくるのが最後の一匹です。
 でも考えてみれば出てくる個体がみんな同じ種類である必要性もないし、あの海域には大タコやイカが入り乱れているのかも?いっそクラーケンみたく、どっちともつかない未確認生物でもかまいませんよ(なにしろタコorイカなのに赤い血が流れているらしいので!!)

参照:大ダコ・大イカの登場する作品一覧(Wikipedia) …なんで英語版でさえもホジスンの名前がないのだ

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小説や音楽の感想・紹介、時には猫や植物のことも。
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