今回のメト来日で一番キャンセル騒動の被害をこうむったこの演目、出なかったアーティストのためにチケットを買われた方はさぞかし落胆されたことと思いますが、もとから以前からファンのパーペと生で聞くのは初めてのホロストフスキーが目当てだった私はいそいそと出かけていき、代役の健闘ぶりにも満足して帰って来ました。一言で言ってしまうと、たしかに瑕も少なくなかったとはいえ、大変心に残る公演で充実した時間を過ごせたと思います。
実は私は指揮のルイージには一度振られています。2007年のドレスデン・ゼンパーオーパーの来日のタンホイザーで聴けるはずだったのが、直前に劇場側の都合とやらで「ばらの騎士」「サロメ」に担当変更。ちなみに招聘元は今回と同じくJAでした。
(おまけに元帥夫人に予定されていたデノケが急病で来られなくなったため、今回と同じソプラノの他演目スライドが起きてしまったりと色々キャスト入れ替えがあって、タンホイザー一点買いだった私は聴きたかった人がほとんど聴けず散々でした。災害に見舞われたわけでもないのに、こちらの事例の方がよっぽど苦情ものだったと思うんですが、おそらく欧米歌劇場のマネージメントの人はこういうやり繰りをそれほど非常識な事とは思ってないのかもしれません。)
そんなわけで、レヴァインの代役としてメトの看板を背負って立つからには、ぜひとも三年半前のがっかりを吹き飛ばしてくれるような名演をと期待せずにはいられなかった訳です。結果的にはいささか不完全燃焼気味の出だしにもかかわらず、ドラマの進行と共に手綱も締まってきて、前半の不満をぬぐい去る冴えのある音楽作りが堪能できました。ライブビューイングでいつも感心する合唱もやはり見事だったです。
歌手陣ではたとえ一声も出さなくとも、パーペとホロストフスキーの存在感はやはり別格。時折光る箇所はあれども流れが作り出せない感じでグダグダぎみだった舞台が、ニ幕最後のこの二人の対話場面になると一変して緊張感がみなぎります。パーペは三月のメトの「ボリス」では元気がなかった(実際かなりの不調で、公演最終日には死ぬ場面を代役のニキーティンに任せて降りてしまったらしい)ので、NHKホールではどうかと心配もしたのですが、全くの杞憂で三階席にも張りのある声がしっかりと届いてきました。私がパーペのフィリッポやマルケ王の解釈で好きなのは、役柄の老いや諦念を前面に出さず、かわりに今にも激情が爆発しそうなぎりぎりの危うさがあるところです。今回は正統派演出のせいか本人の変化か、「一人寂しく眠ろう」ではその要素がややうすれ、より憂愁に満ちた感のある歌になっていましたが、やはり気迫に満ちた役作りは健在で圧倒されずにはいられません。
鋭いエッジがある感じのパーペと比べると、劇場で聴くホロストフスキーの声はいくぶん柔らかめ、それもまっすぐ飛ぶのでなく、一瞬中空を漂ってそこに留まるようでどこか不思議な感覚をおぼえました。個人的には生より録音で聴くほうが好みのタイプの歌手かなあとも思いますが、バリトンには珍しいぐらい暗い声で独特の魅力があります。そのせいか彼のロドリーゴはとても思慮深く落ち着いた雰囲気で、カルロとは対照的だったのが功を奏していたという印象を受けました。
そのカルロ役のヨンフン・リー、カウフマンとは違った魅力があって私はとても気に入りました。登場のアリアこそやや平板で物足りなかったし、油が乗ってくると逆に荒削りさが目立ってしまうところもあるにせよ、声もきれいでよく通るし、子供っぽい微笑ましさと優しさが感じられるのが何より良いです。相手役のポフラフスカヤとはすでに現地で組んでいるだけあって演技面でも息が合っており、第一幕で彼女に火をおこしてあげるシーンから最後の別れにいたるまで、二人の間の感情の変化がひしひしと伝わってくるいいコンビでした。ポプラフスカヤは歌のほうは確かにぱっとしないのですが、重いローブの着こなしも見事だし、内面のもろさを高貴な身分ゆえの矜持で必死に支えようとする役作りが細やかで大きなプラスになっています。私にとってエリザベッタは最後まで迷いと弱さを捨て切れなかった女性に思えるので、悟った聖母のようなスカラのフリットリはその点ちょっと違うと思わなくもありませんでした。そういった訳で歌の上手さとはまた別の次元で、リーとポプラフスカヤはは今までビジュアル付きで鑑賞した中ではもっとも感情移入できるカルロとエリザベッタのカップルでしたので、結局この組み合わせの配役に落ち着いたのは正解だったと思います。五幕の大アリアとそのあとの二重唱では、ポフラフスカヤもそれまでと比べて安定したきれいな声が出ていましたし。
エボリ公女のグバノヴァは違うタイプの役のほうが持ち味を生かせそうな感もありましたが、やはり大健闘していました。ロシアやドイツ物のほうでもっと聴いてみたい人です。配役に不満があるとすれば宗教裁判長と修道士のバス二人。コーツァンは声自体は深くていい声で凄みもあるのに、歌に表情付けがほとんどなく一本調子で、作品全体を裏から支配している人間の老獪さが伝わってきません。修道士はそれ以前の問題で、声に風格が全然なく、とても「スペインで一番有名な王様」(三つ前の記事参照)にふさわしくは聞こえませんでした。コーツァンがこの役のほうだったらまだ良かったのに。
最後に演出について。今シーズンから変わったハイトナー版のほうが演技付けはずっと細かいとはいえ、私はあの舞台のどぎつい色彩とレゴブロックがあまり好きでないので、古いプロダクションがお役御免になる前に見ておけて良かったです。(映像は出ているけれど新鮮な気分で観たかったのであえて避けてきたため、この舞台を通して観るのは今回が初めてでした。)噂どおりの歴史絵巻で、幕ごとの色彩や明暗の対比もよく構成されていてこちらにも満足。
絵画から抜け出したような宮廷人たちの衣装も見ていて飽きませんでしたが、何より強烈だったのが火刑に引き出された囚人たちのいでたちでした。縞の囚人服の上に悪魔の絵が描かれた、まっ黄色のパロディじみた司教冠と上着をかぶせられるという何とも異様な姿だったので、思わず劇の進行そっちのけでオペラグラスで凝視してしまったのですが、調べてみたらあれはサンベニートsanbenitoという異端者に着せられていた服とのこと。罪の程度に応じて何種類かあり、色や柄にもそれぞれ意味が込められている(たとえば黄色というのは異教徒、裏切りの色)とのことで、この場合の格好は生きたまま焼かれるという一番重い罪をあらわしているらしいです。ずいぶん忠実に作ってあるものだと妙な感心をしてしまいました。新演出のほうでは火炎模様のとんがり帽子みたいなものをかぶらされた人たちが出てきたけれど、そちらもサンベニートの一種なんだとか。
↓この絵とそっくりでした。でももっとどぎつい黄色です。
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