2011.07.26 10:11|ホジスン|
※2015/7月追記:ようやく「ナイトランド叢書」(この名前ならやっぱりこう来なくちゃですよね)の最初の一冊として、「幽霊狩人カーナッキ」と同じ夏来健次氏の訳で刊行されるとのこと。
幽霊海賊(ナイトランド叢書) ←Amazonリンク
こんな開店休業状態のブログを参考にされる方がそうそうおられるとも思えませんが、タイトルで検索するとこの記事がやたら上に来ており、読み返すと実に恥ずかしかったので内容のネタバレを削ったうえで一部書き直しました。「ナイトランド叢書」企画も陰ながら応援させていただきたいと思います。
ここ数年はまっているのがイギリスの怪奇小説作家ウィリアム・ホープ・ホジスンの作品です。しかし日本語で読めるものには一通り手を出してしまったので、未邦訳長編のThe Ghost Pirates (「幽霊海賊」と直訳するのが妥当なところでしょうか)に挑戦してみることにしました。
「幽霊海賊」はホジスンの「ボーダーランド三部作」といわれる長編小説三つの最後に出版されたもので、最初が「グレン・キャリッグ号のボート」、二作目が日本語版も出ていて一番有名な「異次元を覗く家」にあたります。
各作品の雰囲気はかなり異なっていますが、三部作全てに共通するモチーフ、「ボーダーランド」とは、いわば現実と超自然界の境界とでもいった意味。「グレン・キャリッグ号」では未知の海域に迷い込んだ主人公一行が想像を絶する怪異に遭遇し、「異次元を覗く家」の語り手は二つの世界のはざまに存在する家から向こう側の光景をかいま見ることになります。ただこれら二作や大長編「ナイトランド」で繰り広げられる異界のスペクタクルに比べ、基本決まりきった当直の日課が繰り返されるだけの船上を舞台にした「幽霊海賊」はひどく地味に映るかもしれません。
とはいえこの作品の醍醐味は、むしろその地味さに由来する、はっきりと姿を現さない脅威の不気味さでしょう。逃げ場もない大海原の真っ只中でじわじわ異様な空気に包み込まれてゆきながらも、自分たちが今どれぐらい危険な状態にあるのか、そもそもまだ現実世界にいるのかすらわからないという緊迫感が途切れず支配しており、ホジスンの長編のうちではもっとも「正統派のホラー」と呼ぶのにふさわしいと思います。
物語はとある商船の求人に応じて乗り組んだ主人公の船員、ジェソップの語る体験談(ネタバレになるかもしれませんが、この語りの構造はどことなくメルヴィルの「白鯨」を連想させます)という形で展開します。船はイギリスに向けてサンフランシスコを出航しますが、この時代まだパナマ運河は開通していないため、西海岸からヨーロッパへは南米大陸の先端ホーン岬を廻るという結構な距離になるのでした。
しかし、実はこの船にはあれこれ原因不明のトラブルに見舞われてきたとの噂が付きまとっていました。そのため以前の乗組員はウィリアムズという男一人を除く全員がサンフランシスコで船を降りてしまい、新しい人員と入れ替わっていたのです。
もっとも皆そんな噂を深刻にとるでもなく、航海は最初のうちは順調でした。ただ一人、「この船には影が多すぎる...」と不可解なことを口走っているのは、一人だけ船を離れようとしなかったウィリアムズ。
彼の言葉どおり、ある夜当直に立っていたジェソップは海から現れたとおぼしき不思議な人影を目にします。やがて他の乗組員の中にも怪しい姿の目撃者は増えていき、さらには風もないのに急に動いた帆が、マスト上にいた船員の一人を叩き落としかけるといった椿事が相次ぎます。
その後まもない深夜の当直中。異様な物音を聞きつけたジェソップとウィリアムズは確認のためマストに昇り、見つけた不具合を修理にかかりました。しかしジェソップがいったん甲板に降りたあと、ひとり上に残ったウィリアムズがおかしな言動を取り始め...そして沈黙と叫び声のあと、闇の中を落ちてきたのはすでに息絶えた彼の体でした。
見習いの少年タミーに相次ぐ怪奇現象の説明を求められたジェソップは、この船上ではどういうわけか物質界と非物質界を隔てる壁が破壊されて二つの世界のはざまを漂う状態になり、向こう側から不可視の邪悪な存在がこちらを狙っているのではないかと仮説を立てます。その推測を裏付けるかのように、船の周囲には不気味な霧が立ち込め、さらなる異常事態が次々と起こって...。
ここでのホジスンの異界観は「ナイトランド」、「異次元を覗く家」、「カーナッキ」といった作品とあわせて読むことでよりはっきり浮かび上がってきますが、ある意味クトゥルフ神話的なコズミック・ホラーに通じる要素も含んでいます。もっとも「異次元...」や「ナイトランド」では、そうした脅威が登場しても怖さよりほとんど壮麗で崇高でさえあるヴィジョンの方に意識が向かってしまうので(笑)、繰り返しますが恐怖感、それに密度の二点においては「幽霊海賊」に軍配を上げたいです。
安易にお化けやクリーチャーを出したりせず、海上の船という特殊環境の持つ怖さを最大限に引き出してみせるのも、実際に長い船員暮らしを体験したホジスンならでは。なにせまだ無線のような連絡手段もない頃で、外界と切り離された逃げ場なしの閉鎖空間ですし、夜でも真っ暗な中を数十メートルのマストに登ったりと一歩間違えば命取りになる危険だらけなのです。
この間パイレーツ・オブ・カリビアン三部作がテレビ放映されていたのではじめて見てみましたが、面白かったものの海洋・海賊作品の定番ネタをこれでもかというくらい詰め込んでいたのにはいささかげんなり。なので海と船という装置だけで、これだけの雰囲気を出してみせたホジスンの構成力がよけい見事に思えてしまったのでした(まあ絵面にすると非常に地味になりかねない作品のため、映像化には全くもって不向きそうですが...もちろん登場人物は全員男です)。
ずっと前邦訳の刊行予定がありながらお蔵入りになったとかで、海洋ホラーでは傑作の部類に入る一作と思うのに日本語で読めないのは勿体ないことこの上ありません。それでも船舶関係の専門用語と会話の船員訛りをのぞけば、英語はそんなに難しくないですからこのジャンルのファンの方にはお勧めです。(私は安いペーパーバック版を買いましたが、原文はネットで無料で読むことができます)
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こんな開店休業状態のブログを参考にされる方がそうそうおられるとも思えませんが、タイトルで検索するとこの記事がやたら上に来ており、読み返すと実に恥ずかしかったので内容のネタバレを削ったうえで一部書き直しました。「ナイトランド叢書」企画も陰ながら応援させていただきたいと思います。
ここ数年はまっているのがイギリスの怪奇小説作家ウィリアム・ホープ・ホジスンの作品です。しかし日本語で読めるものには一通り手を出してしまったので、未邦訳長編のThe Ghost Pirates (「幽霊海賊」と直訳するのが妥当なところでしょうか)に挑戦してみることにしました。
「幽霊海賊」はホジスンの「ボーダーランド三部作」といわれる長編小説三つの最後に出版されたもので、最初が「グレン・キャリッグ号のボート」、二作目が日本語版も出ていて一番有名な「異次元を覗く家」にあたります。
各作品の雰囲気はかなり異なっていますが、三部作全てに共通するモチーフ、「ボーダーランド」とは、いわば現実と超自然界の境界とでもいった意味。「グレン・キャリッグ号」では未知の海域に迷い込んだ主人公一行が想像を絶する怪異に遭遇し、「異次元を覗く家」の語り手は二つの世界のはざまに存在する家から向こう側の光景をかいま見ることになります。ただこれら二作や大長編「ナイトランド」で繰り広げられる異界のスペクタクルに比べ、基本決まりきった当直の日課が繰り返されるだけの船上を舞台にした「幽霊海賊」はひどく地味に映るかもしれません。
とはいえこの作品の醍醐味は、むしろその地味さに由来する、はっきりと姿を現さない脅威の不気味さでしょう。逃げ場もない大海原の真っ只中でじわじわ異様な空気に包み込まれてゆきながらも、自分たちが今どれぐらい危険な状態にあるのか、そもそもまだ現実世界にいるのかすらわからないという緊迫感が途切れず支配しており、ホジスンの長編のうちではもっとも「正統派のホラー」と呼ぶのにふさわしいと思います。
物語はとある商船の求人に応じて乗り組んだ主人公の船員、ジェソップの語る体験談(ネタバレになるかもしれませんが、この語りの構造はどことなくメルヴィルの「白鯨」を連想させます)という形で展開します。船はイギリスに向けてサンフランシスコを出航しますが、この時代まだパナマ運河は開通していないため、西海岸からヨーロッパへは南米大陸の先端ホーン岬を廻るという結構な距離になるのでした。
しかし、実はこの船にはあれこれ原因不明のトラブルに見舞われてきたとの噂が付きまとっていました。そのため以前の乗組員はウィリアムズという男一人を除く全員がサンフランシスコで船を降りてしまい、新しい人員と入れ替わっていたのです。
もっとも皆そんな噂を深刻にとるでもなく、航海は最初のうちは順調でした。ただ一人、「この船には影が多すぎる...」と不可解なことを口走っているのは、一人だけ船を離れようとしなかったウィリアムズ。
彼の言葉どおり、ある夜当直に立っていたジェソップは海から現れたとおぼしき不思議な人影を目にします。やがて他の乗組員の中にも怪しい姿の目撃者は増えていき、さらには風もないのに急に動いた帆が、マスト上にいた船員の一人を叩き落としかけるといった椿事が相次ぎます。
その後まもない深夜の当直中。異様な物音を聞きつけたジェソップとウィリアムズは確認のためマストに昇り、見つけた不具合を修理にかかりました。しかしジェソップがいったん甲板に降りたあと、ひとり上に残ったウィリアムズがおかしな言動を取り始め...そして沈黙と叫び声のあと、闇の中を落ちてきたのはすでに息絶えた彼の体でした。
見習いの少年タミーに相次ぐ怪奇現象の説明を求められたジェソップは、この船上ではどういうわけか物質界と非物質界を隔てる壁が破壊されて二つの世界のはざまを漂う状態になり、向こう側から不可視の邪悪な存在がこちらを狙っているのではないかと仮説を立てます。その推測を裏付けるかのように、船の周囲には不気味な霧が立ち込め、さらなる異常事態が次々と起こって...。
ここでのホジスンの異界観は「ナイトランド」、「異次元を覗く家」、「カーナッキ」といった作品とあわせて読むことでよりはっきり浮かび上がってきますが、ある意味クトゥルフ神話的なコズミック・ホラーに通じる要素も含んでいます。もっとも「異次元...」や「ナイトランド」では、そうした脅威が登場しても怖さよりほとんど壮麗で崇高でさえあるヴィジョンの方に意識が向かってしまうので(笑)、繰り返しますが恐怖感、それに密度の二点においては「幽霊海賊」に軍配を上げたいです。
安易にお化けやクリーチャーを出したりせず、海上の船という特殊環境の持つ怖さを最大限に引き出してみせるのも、実際に長い船員暮らしを体験したホジスンならでは。なにせまだ無線のような連絡手段もない頃で、外界と切り離された逃げ場なしの閉鎖空間ですし、夜でも真っ暗な中を数十メートルのマストに登ったりと一歩間違えば命取りになる危険だらけなのです。
この間パイレーツ・オブ・カリビアン三部作がテレビ放映されていたのではじめて見てみましたが、面白かったものの海洋・海賊作品の定番ネタをこれでもかというくらい詰め込んでいたのにはいささかげんなり。なので海と船という装置だけで、これだけの雰囲気を出してみせたホジスンの構成力がよけい見事に思えてしまったのでした(まあ絵面にすると非常に地味になりかねない作品のため、映像化には全くもって不向きそうですが...もちろん登場人物は全員男です)。
ずっと前邦訳の刊行予定がありながらお蔵入りになったとかで、海洋ホラーでは傑作の部類に入る一作と思うのに日本語で読めないのは勿体ないことこの上ありません。それでも船舶関係の専門用語と会話の船員訛りをのぞけば、英語はそんなに難しくないですからこのジャンルのファンの方にはお勧めです。(私は安いペーパーバック版を買いましたが、原文はネットで無料で読むことができます)