2011.08.31 23:11|音楽鑑賞(主にオペラ)|
出かけていてリアルタイムで見られなかったザルツの「影のない女」の録画,ようやく見終わりました。
感想は・・・ 音楽的には実にみごとな上演だったことに異論はありませんが、読み替え演出もここまで来ると、もはや原型をとどめていないというか、「影のない女」である必然性がないというか・・・ 個人的にこの手の楽屋落ち?系演出があまり好きではないのに加え、音楽を知るより先に原作のファンタスティックな世界観と謎の多い設定に惹きつけられた私としては、やはり最低限のストーリーラインは保ってほしいというのが率直な感想です。これと比べたら、鑑賞中はずいぶんそっけなく感じた去年の新国や、映像に残っている前のザルツのプロダクションだってはるかに「一応はファンタジー」してました。
演出はクリストフ・ロイ。ヨーロッパの劇場ではよく見る名前で、これから来日するバイエルンの「ロベルト・デヴリュー」なんかも手がけている人ですが、実際に作品に接するのは初めてです。
ほとんど予備知識無しでの初見の感想は、スタジオ・レコーディングという本来の舞台とは異なった環境のせいか、相手役とのコミュ不全に陥ってしまった歌手二組がなんとかそれを克服して役作りにこぎつけるまでの話?といったところでした。わがままで周囲に当り散らすバラクの妻役のプリマ、ワンマンな皇帝のテノール、一方で皇后役の歌手は役に全く入り込めずに周囲で起きる騒ぎの傍観者となるだけ・・・みたいな。なんだか「影のない女」でなく、「ナクソス島のアリアドネ」の方を連想してしまいました。ネットで公演評を調べてみると、たしかに1955年にウィーンでこの作品のスタジオ録音が行われた時のことを下敷きにした演出らしいとのことで、それなら特に女性陣の服装が現代としたら流行遅れもいいところなのも納得がいきます。
しかし、そういう舞台の裏話的なテーマははショルティのリング録音の時みたいなドキュメンタリーにでもしてくれればまだしも、何も「影のない女」でやらなくてもと思ったのは私だけじゃないでしょう。なんだか深く考えたら負けのような気がしますが、「現世と霊界の対比=現実と劇中の世界で、その二つの世界が調和して上演が達成されることを観念化したのが"子供の誕生"」なのかなどと想像してみたものの、やっぱり歌詞と舞台の出来事との間に齟齬がありすぎて最後までドラマに入り込めないままで終わってしまいました。そもそも舞台にいるのが「皇帝」や「バラク」ではなく、あくまで「それらの役を演じる歌手たち」であることを最後まで観客に意識させ続けるような登場人物の演技のつけ方からして、ほぼ確信犯的にそういったギャップを作り出そうとしているのかもしれませんが。
それでもなんとか退屈せずに見通せたのは最後をどう締めるかが気になったからですが、舞台裏のはずのスタジオからいきなりフォーマルな演奏会に飛ぶのはひねりがあるんだかないんだか、いまいち解釈がしにくい結末でした。ビジュアル的には華やかなハッピーエンドでお茶を濁した感がしなくもなかったですけど。
あえて面白かったところを挙げるとするなら、二幕の終わり近くで期限が迫りあせる皇后の幻覚シーン、現実的な舞台に一瞬非現実が介入するあたりでしょうか。エキストラ演じるスタッフたちがいつのまにか皆子供にすりかわってしまうあたり、ホフマンスタールの原作を意識しているようでもあり、この箇所だけはちょっと驚かされました。(小説版はオペラ台本とはまた細部の筋書きが異なっていて、皇帝が霊界に迷い込んで不思議な体験をしたり、乳母と別れてから皇后がバラクの未来の子供たちに出会うなどオペラには無いシーンもいくつかあります。とても謎めいていて美しい場面なので、R・シュトラウスが音楽をつけなかったのが残念。)
そういった無味乾燥なビジュアル面とは対照的に、ティーレマンの作る音楽はすごく正統派の解釈といった印象で、幻想性や色彩感を感じさせてくれるほぼ唯一の要素といってよく、特に三幕の地下の世界での臨場感が素晴らしかったです。それだけに舞台とのギャップがなおさら際立ってしまうわけでもあったのですが。
歌手陣ではどうしてもより分かりやすいキャラクターで、ステージでの動きも多いバラク夫妻が目立っていた感があったものの、歌だけで一番私の好みだったのは皇帝のグールドです。新国のトリスタンが記憶に新しいせいか、ちょっとこの役には声が重そうという先入観があったのですが、いかにも役柄にふさわしい風格を押し出した表現で立派でした。どう見ても気難しい中年テノールな体裁は、まあほとんど演出のせいなので責めたら酷でしょう。一方で皇后役のシュヴァンネヴィルムスは本来の声自体は好きなんだけれど、(実はドレスデンの来日でルイージ共々聴きそこねたソプラノというのはこの人です)この役は音域が合わないのか、叫ぶと声割れしたりでちょっときつそうな箇所がいくつかありました。 あまり声を張らなくて良いあたりの表現はよかったんですけれどね。
乳母役のシュースターは顔つきも歌も、細かい表情付けがいちいち芸達者。声が時々上ずるのが役のヒステリー気味なところと重なるヘルリツィウスともども、女のエゴイズムを十二分に見せつけてくれ、実直そうなのにどこか茫洋とした雰囲気のバラク役コッホともどもナイスキャスティングだったと思います。そういえば、コッホとシュースターは前にネットでちょっと見たバイエルンのローエングリンではオルトルートとテルラムントの悪役夫婦だったことについさっき気がつきました。バラクと乳母の絡むシーンを見ても以前見たコンビだとぜんぜん思い出せなかったのですが、個性に欠けるというよりは役作りで別人になるのが上手いと感心するべきでしょうか。
(そういえば日本公演のローエングリン、劇場サイトだとテルラムント役がずっとシュトルックマンになってますが、いったいニキーチンとどちらなのかがカウフマンがどうこうより気になってます。ボータのローエングリンもいろんな意味で面白そうだし、もしリンデンの指環以来ご無沙汰のシュトルックマンが来てくれるならチケット買ってもいいんですが。)
追記:8月29日付けでNBSのサイトでもシュトルックマンに変更と発表されました。そうするとニキーチンはプレミエの時と同じ伝令使の役に回るんでしょうか。別にニキーチンが嫌というわけじゃないんですが、こっちはすぐに新国のさまよえるオランダ人もあるし、マリインスキーあたりでもまた来てくれそうなので、やはりテルラムント役は相手役のマイヤーとの共演も多いベテランにお願いしたいところです。
しかしプレミアムエコノミー申し込もうと思って日程をチェックしてみたら、行けそうなのが三日のうち一日だけと判明してちょっとがっくりしています。当たるかなー。私ほんとにいつもチケットのくじ運が悪いんですよね。直前になにが起きるか分からないのでチケットを買い控えていたんですが、やっぱり早くから安席を押さえておいたほうが良かったかも。
それにしてもリチートラ・・・何とか一命を取り止めてくれる事を願うばかりです。
感想は・・・ 音楽的には実にみごとな上演だったことに異論はありませんが、読み替え演出もここまで来ると、もはや原型をとどめていないというか、「影のない女」である必然性がないというか・・・ 個人的にこの手の楽屋落ち?系演出があまり好きではないのに加え、音楽を知るより先に原作のファンタスティックな世界観と謎の多い設定に惹きつけられた私としては、やはり最低限のストーリーラインは保ってほしいというのが率直な感想です。これと比べたら、鑑賞中はずいぶんそっけなく感じた去年の新国や、映像に残っている前のザルツのプロダクションだってはるかに「一応はファンタジー」してました。
演出はクリストフ・ロイ。ヨーロッパの劇場ではよく見る名前で、これから来日するバイエルンの「ロベルト・デヴリュー」なんかも手がけている人ですが、実際に作品に接するのは初めてです。
ほとんど予備知識無しでの初見の感想は、スタジオ・レコーディングという本来の舞台とは異なった環境のせいか、相手役とのコミュ不全に陥ってしまった歌手二組がなんとかそれを克服して役作りにこぎつけるまでの話?といったところでした。わがままで周囲に当り散らすバラクの妻役のプリマ、ワンマンな皇帝のテノール、一方で皇后役の歌手は役に全く入り込めずに周囲で起きる騒ぎの傍観者となるだけ・・・みたいな。なんだか「影のない女」でなく、「ナクソス島のアリアドネ」の方を連想してしまいました。ネットで公演評を調べてみると、たしかに1955年にウィーンでこの作品のスタジオ録音が行われた時のことを下敷きにした演出らしいとのことで、それなら特に女性陣の服装が現代としたら流行遅れもいいところなのも納得がいきます。
しかし、そういう舞台の裏話的なテーマははショルティのリング録音の時みたいなドキュメンタリーにでもしてくれればまだしも、何も「影のない女」でやらなくてもと思ったのは私だけじゃないでしょう。なんだか深く考えたら負けのような気がしますが、「現世と霊界の対比=現実と劇中の世界で、その二つの世界が調和して上演が達成されることを観念化したのが"子供の誕生"」なのかなどと想像してみたものの、やっぱり歌詞と舞台の出来事との間に齟齬がありすぎて最後までドラマに入り込めないままで終わってしまいました。そもそも舞台にいるのが「皇帝」や「バラク」ではなく、あくまで「それらの役を演じる歌手たち」であることを最後まで観客に意識させ続けるような登場人物の演技のつけ方からして、ほぼ確信犯的にそういったギャップを作り出そうとしているのかもしれませんが。
それでもなんとか退屈せずに見通せたのは最後をどう締めるかが気になったからですが、舞台裏のはずのスタジオからいきなりフォーマルな演奏会に飛ぶのはひねりがあるんだかないんだか、いまいち解釈がしにくい結末でした。ビジュアル的には華やかなハッピーエンドでお茶を濁した感がしなくもなかったですけど。
あえて面白かったところを挙げるとするなら、二幕の終わり近くで期限が迫りあせる皇后の幻覚シーン、現実的な舞台に一瞬非現実が介入するあたりでしょうか。エキストラ演じるスタッフたちがいつのまにか皆子供にすりかわってしまうあたり、ホフマンスタールの原作を意識しているようでもあり、この箇所だけはちょっと驚かされました。(小説版はオペラ台本とはまた細部の筋書きが異なっていて、皇帝が霊界に迷い込んで不思議な体験をしたり、乳母と別れてから皇后がバラクの未来の子供たちに出会うなどオペラには無いシーンもいくつかあります。とても謎めいていて美しい場面なので、R・シュトラウスが音楽をつけなかったのが残念。)
そういった無味乾燥なビジュアル面とは対照的に、ティーレマンの作る音楽はすごく正統派の解釈といった印象で、幻想性や色彩感を感じさせてくれるほぼ唯一の要素といってよく、特に三幕の地下の世界での臨場感が素晴らしかったです。それだけに舞台とのギャップがなおさら際立ってしまうわけでもあったのですが。
歌手陣ではどうしてもより分かりやすいキャラクターで、ステージでの動きも多いバラク夫妻が目立っていた感があったものの、歌だけで一番私の好みだったのは皇帝のグールドです。新国のトリスタンが記憶に新しいせいか、ちょっとこの役には声が重そうという先入観があったのですが、いかにも役柄にふさわしい風格を押し出した表現で立派でした。どう見ても気難しい中年テノールな体裁は、まあほとんど演出のせいなので責めたら酷でしょう。一方で皇后役のシュヴァンネヴィルムスは本来の声自体は好きなんだけれど、(実はドレスデンの来日でルイージ共々聴きそこねたソプラノというのはこの人です)この役は音域が合わないのか、叫ぶと声割れしたりでちょっときつそうな箇所がいくつかありました。 あまり声を張らなくて良いあたりの表現はよかったんですけれどね。
乳母役のシュースターは顔つきも歌も、細かい表情付けがいちいち芸達者。声が時々上ずるのが役のヒステリー気味なところと重なるヘルリツィウスともども、女のエゴイズムを十二分に見せつけてくれ、実直そうなのにどこか茫洋とした雰囲気のバラク役コッホともどもナイスキャスティングだったと思います。そういえば、コッホとシュースターは前にネットでちょっと見たバイエルンのローエングリンではオルトルートとテルラムントの悪役夫婦だったことについさっき気がつきました。バラクと乳母の絡むシーンを見ても以前見たコンビだとぜんぜん思い出せなかったのですが、個性に欠けるというよりは役作りで別人になるのが上手いと感心するべきでしょうか。
(そういえば日本公演のローエングリン、劇場サイトだとテルラムント役がずっとシュトルックマンになってますが、いったいニキーチンとどちらなのかがカウフマンがどうこうより気になってます。ボータのローエングリンもいろんな意味で面白そうだし、もしリンデンの指環以来ご無沙汰のシュトルックマンが来てくれるならチケット買ってもいいんですが。)
追記:8月29日付けでNBSのサイトでもシュトルックマンに変更と発表されました。そうするとニキーチンはプレミエの時と同じ伝令使の役に回るんでしょうか。別にニキーチンが嫌というわけじゃないんですが、こっちはすぐに新国のさまよえるオランダ人もあるし、マリインスキーあたりでもまた来てくれそうなので、やはりテルラムント役は相手役のマイヤーとの共演も多いベテランにお願いしたいところです。
しかしプレミアムエコノミー申し込もうと思って日程をチェックしてみたら、行けそうなのが三日のうち一日だけと判明してちょっとがっくりしています。当たるかなー。私ほんとにいつもチケットのくじ運が悪いんですよね。直前になにが起きるか分からないのでチケットを買い控えていたんですが、やっぱり早くから安席を押さえておいたほうが良かったかも。
それにしてもリチートラ・・・何とか一命を取り止めてくれる事を願うばかりです。
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