「ライヘンバッハの奇跡」読み終えたら、やっぱり本家のほうが気になって久しぶりに読み返しているところです。たしかこの創元新訳版の「幽霊狩人カーナッキの事件簿」、私が初めて手にしたホジスン作品でした。当時まだ怪奇幻想ものに手を出し始めたばかりのころでしたが、これでホジスンという作家に興味を持ち、次に読んだ「海ふかく」で決定的にファンになったというわけです。
そんな出会いを作ってくれた貴重な一冊ではあるんですがその後ほとんど再読する機会もなく、例のパスティーシュのおかげで細部がけっこう記憶から抜け落ちていることに気づいて数年ぶりにじっくり目を通したところ、いくつか意外な発見があって驚きでした。
カーナッキシリーズの一篇に、作中唯一の海洋もの「魔海の恐怖」という作品があります。原題は"The Haunted Jarvee" で、このJarvee号という船は海に出るたび不幸に見舞われるので、船主兼船長が知り合いのカーナッキに依頼して航海に同行してもらうという話。この船で起きる怪奇現象は船員たちが不審な影を見る、いきなり乗組員がマストから墜落死するなどなど、少し前に読み終えた未邦訳作品の「幽霊海賊」(原題は "The Ghost Pirates"、簡単なあらすじはこちら )ほぼそのままなのです。長編「異次元を覗く家」の豚お化けが「カーナッキ」中の「異次元の豚」に酷似している等、ホジスンの作品世界には結構リンクがあるようなのですが、この二つはプロットからしてそっくりなので、ひょっとしたら「幽霊海賊」の雛形になったのがこの短編かと思ってしまいました。
実際は幽霊海賊のほうが先に出版されているので、(「魔界の恐怖」はホジスンが戦死したずっと後にシリーズに付け足されました)先に書いたプロットを転用した可能性のほうが大きそうですが。
なんだかこの話ではカーナッキもそんなに活躍できてない印象でほぼ解説に徹するだけ、結局はJarvee号も怪異にあって沈んでしまいますが、それでも多少は電気式五芒星が功を奏したのか(?)運が良かっただけなのか、全員ボートに移って救助され、マストから落ちた二人以外の犠牲は出さずにすみました。もしかしたら「幽霊海賊」の船にもカーナッキが乗っていたら少しは事態も好転していた?
もう一つ面白いことに、カーナッキが毎回晩餐に招待して事件のあらましを語る友人の一人はジェソップというのですが、これは「幽霊海賊」の主人公の名前でもあります。(ちなみに「カーナッキ」全体の語り手の名はドジスンで、こちらはホジスンをもじったものらしいです。幽霊海賊のほうのジェソップもそれなりに教育は受けているらしく(確か航海士の免状も持っているという台詞があったはず)、船乗りでも中流階級くらいの出ではないかと思われるので、実は同一人物で生還したジェソップのその後という裏設定があったり・・・しないかな。
そんな出会いを作ってくれた貴重な一冊ではあるんですがその後ほとんど再読する機会もなく、例のパスティーシュのおかげで細部がけっこう記憶から抜け落ちていることに気づいて数年ぶりにじっくり目を通したところ、いくつか意外な発見があって驚きでした。
カーナッキシリーズの一篇に、作中唯一の海洋もの「魔海の恐怖」という作品があります。原題は"The Haunted Jarvee" で、このJarvee号という船は海に出るたび不幸に見舞われるので、船主兼船長が知り合いのカーナッキに依頼して航海に同行してもらうという話。この船で起きる怪奇現象は船員たちが不審な影を見る、いきなり乗組員がマストから墜落死するなどなど、少し前に読み終えた未邦訳作品の「幽霊海賊」(原題は "The Ghost Pirates"、簡単なあらすじはこちら )ほぼそのままなのです。長編「異次元を覗く家」の豚お化けが「カーナッキ」中の「異次元の豚」に酷似している等、ホジスンの作品世界には結構リンクがあるようなのですが、この二つはプロットからしてそっくりなので、ひょっとしたら「幽霊海賊」の雛形になったのがこの短編かと思ってしまいました。
実際は幽霊海賊のほうが先に出版されているので、(「魔界の恐怖」はホジスンが戦死したずっと後にシリーズに付け足されました)先に書いたプロットを転用した可能性のほうが大きそうですが。
なんだかこの話ではカーナッキもそんなに活躍できてない印象でほぼ解説に徹するだけ、結局はJarvee号も怪異にあって沈んでしまいますが、それでも多少は電気式五芒星が功を奏したのか(?)運が良かっただけなのか、全員ボートに移って救助され、マストから落ちた二人以外の犠牲は出さずにすみました。もしかしたら「幽霊海賊」の船にもカーナッキが乗っていたら少しは事態も好転していた?
もう一つ面白いことに、カーナッキが毎回晩餐に招待して事件のあらましを語る友人の一人はジェソップというのですが、これは「幽霊海賊」の主人公の名前でもあります。(ちなみに「カーナッキ」全体の語り手の名はドジスンで、こちらはホジスンをもじったものらしいです。幽霊海賊のほうのジェソップもそれなりに教育は受けているらしく(確か航海士の免状も持っているという台詞があったはず)、船乗りでも中流階級くらいの出ではないかと思われるので、実は同一人物で生還したジェソップのその後という裏設定があったり・・・しないかな。
2011.09.11 00:55|怪奇幻想文学いろいろ|
気がつかない間にこんなホジスン絡みの新刊が出ていたのでさっそく読んでみることにしました。出たばかりだし、一応ミステリ?の範疇に入るでしょうから、紹介はなるべくネタバレなしで行かせていただきますが。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ライヘンバッハの奇跡(シャーロック・ホームズの沈黙)ジョン・R・キング/夏来健次 訳 創元推理文庫
内容紹介:のちに幽霊狩人として知られる若き日のトマス・カーナッキは、美しい女性アンナ・シュミットに出会い、ともにライヘンバッハの滝へ赴くことに。そこで彼らは、滝の上で二人の男が争い、片方が突き落とされるのを目撃する。川を流れてきた男は一命をとりとめたが、記憶を失っていた。そんな彼らに迫りくる謎の男の影……。ホームズの大空白期間を埋める、二大探偵夢の共演の物語。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
この紹介文にあるとおり、ホームズとモリアーティ因縁の対決に青年時代のカーナッキを絡ませたパスティーシュものです。さすがに知名度ではホームズに大きく水をあけられていると思うので知らない方のために一言説明しておきますと、カーナッキとは不可解な事件があると出向いていき、自作の除霊装置と「シグザンド写本」なる古書から得た知識を元に事態の解決にあたる、いわばオカルト探偵です。問題が解決すると、枠物語の語り手である「私」を含めた友人四人を夕食に招待してはその顛末を語って聞かせるのが毎度のパターン。ちなみに訳者は同じ文庫から出ている「幽霊狩人カーナッキの事件簿」の新訳も担当された方なので、その点は安心して読めます。
一連のカーナッキものが世に出たのは1910年頃なので、作中の年代設定もほぼ同じと考えて逆算するとライヘンバッハの事件当時はまだ二十歳そこそこの青年ということになります。大陸を貧乏旅行中、空腹のあまりピクニック籠にチーズを入れた美人を見つけてストーキング、うまいこと同行を取りつけたところまでは良かったけど・・・ という調子。真面目くさったホジスンのカーナッキにもこんな時代があったのかもとおかしくなるこのつかみは抜群です。そして滝に向かった二人がホームズを助け、三人協力し合いながらしぶとく追いかけてくるモリアーティの追及をひとまずかわすまでの流れもアクション満載で飽きさせません。
ですが実は(ネタバレなんですが、ほんの序盤で判明することだしこれくらい大丈夫ですよね?) カーナッキを誘ったアンナはモリアーティの娘で、嫌々ながらも父のホームズ殺害計画に加担させられていたことが本人の口から明かされ、ここで話はいったん主役サイドから敵役モリアーティの生い立ちへと移ります。ホームズとカーナッキの共演と銘打っているものの、実際はモリアーティが第三の主人公といってもいいくらいの位置づけでしょう。
ただこのモリアーティ自身による回想パート、ちょっとだれ気味なうえに感傷風味が強く、彼のキャラ自体もなんだかぶれ気味に感じられてしまうのがいまいちでした。一応悪の道に足を踏み入れた理由についてのフォローはあるんですが、それより前のこと、かなりひねた子供時代(かなり引く描写あり)から急にロマンチストで紳士的な青年に育っちゃうのもどうかと。たしかに複雑な人物には違いないけれど。
ラストの第三章では舞台はパリのルーヴル美術館へと移り、カーナッキが後に得意とする例の装置も登場しての謎解きと大立ち回りが演じられることになります。読後感としては、あれこれと双方の作品のパスティーシュに欠かせない要素を盛り込みつつまとめたとは思うけれど、どこか今ひとつ物足りない印象がぬぐえませんでした。
最大の原因はやっぱり舞台がほとんど人でいっぱいの都会に置かれていて、ゴシック小説的不気味さを醸す道具立てに欠けているせいかなと。ホームズは探偵ものとはいえ、個人的にはいつお化けや亡霊が出てきてもおかしくないようなおどろおどろしさがミソだと思いますし、ホジスン作品のほうはそれ以上に雰囲気重視なのに、社会派的描写にウェイトを置きすぎてそういう成分が薄れてしまった感ありです。そのせいか、作品全体の黒幕というか元凶(これ以上は書けません)の正体とのあいだに齟齬が生じていて、あまりその脅威が読む側に伝わってきてくれません。
ホジスン好きとしてはついあれこれと点が厳しくなってしまうんですが、それでもこういうオマージュやパスティーシュのたぐいは大歓迎なのでこれからももっと出てきてほしいものです。
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ライヘンバッハの奇跡(シャーロック・ホームズの沈黙)ジョン・R・キング/夏来健次 訳 創元推理文庫
内容紹介:のちに幽霊狩人として知られる若き日のトマス・カーナッキは、美しい女性アンナ・シュミットに出会い、ともにライヘンバッハの滝へ赴くことに。そこで彼らは、滝の上で二人の男が争い、片方が突き落とされるのを目撃する。川を流れてきた男は一命をとりとめたが、記憶を失っていた。そんな彼らに迫りくる謎の男の影……。ホームズの大空白期間を埋める、二大探偵夢の共演の物語。
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この紹介文にあるとおり、ホームズとモリアーティ因縁の対決に青年時代のカーナッキを絡ませたパスティーシュものです。さすがに知名度ではホームズに大きく水をあけられていると思うので知らない方のために一言説明しておきますと、カーナッキとは不可解な事件があると出向いていき、自作の除霊装置と「シグザンド写本」なる古書から得た知識を元に事態の解決にあたる、いわばオカルト探偵です。問題が解決すると、枠物語の語り手である「私」を含めた友人四人を夕食に招待してはその顛末を語って聞かせるのが毎度のパターン。ちなみに訳者は同じ文庫から出ている「幽霊狩人カーナッキの事件簿」の新訳も担当された方なので、その点は安心して読めます。
一連のカーナッキものが世に出たのは1910年頃なので、作中の年代設定もほぼ同じと考えて逆算するとライヘンバッハの事件当時はまだ二十歳そこそこの青年ということになります。大陸を貧乏旅行中、空腹のあまりピクニック籠にチーズを入れた美人を見つけてストーキング、うまいこと同行を取りつけたところまでは良かったけど・・・ という調子。真面目くさったホジスンのカーナッキにもこんな時代があったのかもとおかしくなるこのつかみは抜群です。そして滝に向かった二人がホームズを助け、三人協力し合いながらしぶとく追いかけてくるモリアーティの追及をひとまずかわすまでの流れもアクション満載で飽きさせません。
ですが実は(ネタバレなんですが、ほんの序盤で判明することだしこれくらい大丈夫ですよね?) カーナッキを誘ったアンナはモリアーティの娘で、嫌々ながらも父のホームズ殺害計画に加担させられていたことが本人の口から明かされ、ここで話はいったん主役サイドから敵役モリアーティの生い立ちへと移ります。ホームズとカーナッキの共演と銘打っているものの、実際はモリアーティが第三の主人公といってもいいくらいの位置づけでしょう。
ただこのモリアーティ自身による回想パート、ちょっとだれ気味なうえに感傷風味が強く、彼のキャラ自体もなんだかぶれ気味に感じられてしまうのがいまいちでした。一応悪の道に足を踏み入れた理由についてのフォローはあるんですが、それより前のこと、かなりひねた子供時代(かなり引く描写あり)から急にロマンチストで紳士的な青年に育っちゃうのもどうかと。たしかに複雑な人物には違いないけれど。
ラストの第三章では舞台はパリのルーヴル美術館へと移り、カーナッキが後に得意とする例の装置も登場しての謎解きと大立ち回りが演じられることになります。読後感としては、あれこれと双方の作品のパスティーシュに欠かせない要素を盛り込みつつまとめたとは思うけれど、どこか今ひとつ物足りない印象がぬぐえませんでした。
最大の原因はやっぱり舞台がほとんど人でいっぱいの都会に置かれていて、ゴシック小説的不気味さを醸す道具立てに欠けているせいかなと。ホームズは探偵ものとはいえ、個人的にはいつお化けや亡霊が出てきてもおかしくないようなおどろおどろしさがミソだと思いますし、ホジスン作品のほうはそれ以上に雰囲気重視なのに、社会派的描写にウェイトを置きすぎてそういう成分が薄れてしまった感ありです。そのせいか、作品全体の黒幕というか元凶(これ以上は書けません)の正体とのあいだに齟齬が生じていて、あまりその脅威が読む側に伝わってきてくれません。
ホジスン好きとしてはついあれこれと点が厳しくなってしまうんですが、それでもこういうオマージュやパスティーシュのたぐいは大歓迎なのでこれからももっと出てきてほしいものです。
2011.09.05 23:55|音楽鑑賞(主にオペラ)|
先月突然壊れたキーボードを買い換えたと思ったら、今度はパソコン本体の寿命がいよいよ迫ってきたらしくひっきりなしにフリーズします。前の記事は書いている途中に一度消え、やっと保存ボタンを押したと思ったらまたその直後に固まってしまい、半分以上も書き直す羽目になってほんと泣きたくなりました。(懲りたのでこれは携帯から書いてます。)
いちばん困るのはネットのラジオ放送や動画が正常に作動してくれなくてオペラ分不足になってることです。といっても最近どんどんネット媒体偏重の鑑賞になる一方で、気がついたら見ていない映像ソフトや録画がどっさり溜まってしまっていたので、これはちょうど消化するのにいい機会かもしれません。
ずっと楽しみにしていたバイロイトのローエングリンの録画もまだ半分近く残ってるんですが、あれを両親が起きている間にリビングの真ん中で流す気になれず、深夜か休みの日一人になった時にちょこちょこ見てます。というか幕間のドキュメンタリー込みでぶっ通しで撮ってあるので、いったん止めたところまでまた早送りするのが面倒くさい・・・
挙句気になるところをまた繰り返して見ちゃったり。(演出は今のところなかなか楽しめるし、ドキュメンタリーの方も最初は後回しにしようと思ったけれど、パルジファルの舞台映像も見られたりでなかなか充実したつくりなのでスルーできずにいます。)バイエルンの公演(何とかチケット取れました)までに完走できるでしょうか。とりあえずこれと、どうにか一気見したテオリンとマイヤー主演の去年のザルツのエレクトラのDVDだけは早めに感想を書いておきたいと思ってますが。
いちばん困るのはネットのラジオ放送や動画が正常に作動してくれなくてオペラ分不足になってることです。といっても最近どんどんネット媒体偏重の鑑賞になる一方で、気がついたら見ていない映像ソフトや録画がどっさり溜まってしまっていたので、これはちょうど消化するのにいい機会かもしれません。
ずっと楽しみにしていたバイロイトのローエングリンの録画もまだ半分近く残ってるんですが、あれを両親が起きている間にリビングの真ん中で流す気になれず、深夜か休みの日一人になった時にちょこちょこ見てます。というか幕間のドキュメンタリー込みでぶっ通しで撮ってあるので、いったん止めたところまでまた早送りするのが面倒くさい・・・

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