すっかり新婚旅行モードで二人揃っての船旅を満喫していたフィリップとアミーネですが、突然の椿事がその幸福感に水をさします。喜望峰近くの航路上で水夫を一人だけ乗せたボートが漂っているのが発見され、しかも死んだかに見えたその男― シュリフテン― はユトレヒト号に引き上げられると間もなく息を吹き返し、見るまに立って歩けるまでに回復したのでした。
嫌悪感を隠しきれないフィリップに対し、あの男は確かに魔性のものだが、それゆえこちらの味方につければフィリップの目的を果たす手助けにもなりうるというアミーネ。しかし接近を試みた彼女に、シュリフテンは夫に安らかな余生を送らせたければ今すぐこっそりと聖遺物の十字架を奪ってしまうことだと言い、その上このまま旅を続ければ、アミーネには無残な死が待っていると忠告します。結局、アミーネは迷いつつも夫にすべてを打ち明けたものの、この予言は二人の上に暗い影を落としました。
やがて東南アジア付近の海に入ったユトレヒト号に台風が接近。ほとんど何も見えない風雨の中、船員たちが気づくと至近距離に一隻の船が。いくら呼びかけても進路を変えず、側面にまっすぐ突っ込んでくる!という瞬間、一同は信じられない光景を目にしました。船は衝撃ひとつ与えず、ユトレヒト号の船体をそのまま突き抜けてゆくのです。そしてその実体のない船、つまりフライング・ダッチマン号の船尾にたたずんでいたのは、フィリップと瓜二つの船長、父親のヴァンダーデッケンに他なりませんでした。
運命からは逃れられないというべきか、一度は天候が回復し順調な航海が続いたものの、船はニューギニアの北端あたりで座礁。乗組員たちはボートと、それに収容しきれない物資と人員を乗せるいかだで脱出せざるをえなくなりました。しかし積んであった大量の金貨を、そのまま船に放置するわけにもいかないと持ち出しを許可し、部下たちに配分したのが悲劇の始まりだったのです。
海賊の襲撃にあい、ボートにいた乗員たちは自分達の命と金貨だけでも守ろうと、引いていたいかだを見捨てて逃げ出します。しかし逆に追跡され、全員が海賊の餌食に。いかだは命拾いしたものの、岸に着く手段を失って飲み水も尽きはじめ、残った部下たちの様子もきな臭くなってきました。
ついにある夜、いずれは東インド会社の所有である金を返せと要求するに違いないフィリップやクランツへの敵意が爆発。前の難破での苦い経験から、フィリップがいかだを前後に分割できる仕様にさせたのが裏目に出、反乱を起こした者たちはアミーネが一人でいたいかだの後部を切り離します。いかだはアミーネを乗せたまま、たちまち彼方へと押し流されていってしまいました。
翌晩、隙をついて敵対者たちを皆殺しにしたフィリップ。自暴自棄の彼は、さらに自分の十字架を盗もうとするそぶりを見せたシュリフテンまでも海に放り込んでしまうのでした。
すっかり数を減らした一行はようやくある無人島に流れ着きますが、そこで生き残った者たちもたがいの取り分をめぐって争いけっきょくは全滅。残されたフィリップとクランツはいかだを作り直し、水と食糧がわりのココヤシと当座必要な金だけを積み込んで島を離れます。
一方アミーネも別の島に漂着し、そこの原住民に助けられた後、当時この地域にも勢力を拡大していたポルトガルの商館に保護されていました。そしてそこで、再びアジアを訪れていたあのマティアス神父とばったり出会います。
実はこの再会はかなり気まずいものでした。フィリップが三度目の航海に出た後、アラビアの魔術と宗教を捨てていないアミーネと、彼女に熱心にカトリックの教えを説こうとする神父との関係は急激に悪化し、ついに神父は村を去って祖国に戻ったといういきさつがあったのです。それでもフィリップから受けた恩義を忘れない神父は、事情を聞くと当座の目的地であるインドのゴアまで彼女に同行し、力になろうと申し出てくれました。
そしてアミーネを捜しつつ、いろいろな苦難や冒険に巻き込まれていた(例によって生きてたシュリフテンも再登場ですが、この辺きりがないのですっぱり省略)フィリップたちも、巡り合わせでそのポルトガル商館にたどり着き、彼女がマティアス神父に伴われてゴア行きの船に乗ったという情報を手に入れ、後を追って一路ゴアに。
その船上でクランツは自身の生い立ちを話し出します。
元々トランシルヴァニアの農奴だった父親は、妻と領主の密通現場を目にして激昂のあまり二人を殺害、子供達を連れハルツ山麓へ逃げこんだのでした。ある日父は山中で自分と似た身の上の親娘に出会い、娘を後妻に迎えましたが、実は女の正体はハルツ山の精の娘である人狼。
やがて本性を現して兄と妹を食い殺した妻に父親は復讐を果たしたものの、山の精の呪いによって自らも狂死をとげます。一人残された自分にもその呪いは及んでおり、じき家族と同じ運命をたどるのだろう...と語り終えた彼の顔は不安で曇っていました。
その虫の知らせは幾日も経たないうちに現実のものとなり、水の補給に立ち寄ったマラッカ海峡の岸でクランツは虎の餌食となってしまいます。
親友を失った悲しみをこらえながらもフィリップはゴアにたどり着きます。しかし、彼を待ち受けていたのは街中あげての※アウト・ダ・フェと、そこに異端者として引き出されたアミーネの姿でした。マティアス神父に住居を世話してもらい暮らしていたアミーネでしたが、フィリップの居所を探ろうと魔術を試みたところを隣人に密告され、魔女の告発を受けたのです。
判決が言い渡されようとする瞬間アミーネの眼前に飛び出すフィリップ。とはいえ宗教裁判所の手から救い出せるはずもなく、最後まで改宗を拒み通した彼女は生きたまま火刑に処されてしまいました。
※アウト・ダ・フェ/アウト・デ・フェ(ここでは原語の表記にならいました)というのはオペラファンには「ドン・カルロ」でおなじみですが、要は宗教裁判で異端とされた人々に変な格好をさせて街中お祭り騒ぎのように引き回し、最も罪の重い者たちをおしまいに処刑するという儀式で、この時代ポルトガル領だったゴアでも総督立ち会いのもと行われていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7 ショックですっかり心身の健康を損なったフィリップは、そのままゴアの精神病院に収容され廃人のような日々を送ります。
アミーネの死の遠因を作った自責から、その病状を見守り続けていたマティアス神父もついに亡くなり、それからまた長い年月の後、かろうじて一人旅ができるまでに回復したフィリップはあてもなくヨーロッパ行きの船へ乗り込みました。父の船とめぐり合い一刻も早く自分たち親子をこの世の生から解き放つことが、いまや彼の唯一の望みとなっていたのです。船で昔と変わらない様子のシュリフテンと再会しますが、もうそれほど驚くこともありませんでした。
その願いが届いたのでしょうか。大海原の真っ只中、彼らの船からほどない海面に、水中から浮かび上がってくる「フライング・ダッチマン」号。船の者たちが呆然とする中、幽霊船のボートが近づいてくる気配がして一人の男が甲板に上がってくると、シュリフテンに気づき、お前はとっくに死んだはずだと口にします。
幽霊船の船員は携えてきた幾通かの手紙を示し、これを故郷の身内に届けてほしいと頼みますが、フィリップが見ると、その宛先は今はもうない住所や人ばかり。彼が最後の船長から息子へという一通を受け取ろうとすると、シュリフテンがそれを引ったくって他の手紙とともに海へ投げ捨てました。
パニック状態の船長と船員達は、「フライング・ダッチマン」と因縁ありげなフィリップとシュリフテンをともに厄介払いすべきという結論に達し、二人をボートに下ろし去ってしまいます。それに動じることもなく、一心に幽霊船目指して霧の中を漕ぐフィリップ。そしてシュリフテンに向かい、彼がアミーネには好意的だったことに免じて今までの憎悪はすべて水に流そう、自分の友となってほしい...と語りかけるのでした。
するとシュリフテンは、自分は父ヴァンダーデッケンに嵐の海に落とされた水先案内人に他ならず、呪われた船と船長が存在するかぎり、同様にこの世にとどまるという定めだったのだと明かします。さらに、フィリップが自分を許し、たがいに和解しあうことが父のもとへ至るための条件であり、それが成ったいま目的は叶うだろうと告げると、跡形もなくかき消えました。
その言葉を裏付けるように、今までいくら漕いでも変わらなかった船との距離がみるみる縮まり、とうとうフィリップは船にたどりつきます。ついに邂逅した父と息子。
若い姿のままの父親が嬉し泣きしつつ、手渡された十字架の破片に改悛の情をこめて口づけを繰り返すごとに、船の各部や乗組員はことごとく塵と化して消滅してゆきます。そして、最後に残った船体が固く抱き合ったままの親子とともに波間に消えると、あとには再び輝きを取り戻した海原が広がっているばかりでした。(了)
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最後の回は前にもまして駆け足(それでもこの長さ)ですが、ヴァンダーデッケン親子の航海もようやく終わりました。しかし何だかやりきれない結末ですね。補足や感想はまた別の記事でまとめることにします。
オペラのほうのオランダ人にもおととい行ってきましたが、オランダ船が現れるあたり、見ていてこちらの小説とシンクロするところがあってけっこう楽しかったです。手前に現実の船があって、そこに幽霊船が真横(舞台奥)から突っ込んでくるという構図がやっぱり一番効果的ですね。幽霊船なら普通に海を走ってくるんじゃなくて、こちらの度肝を抜くような登場の仕方をしてくれないと。
プログラムをちょっと立ち読みしてみたら、そこでも一言ですがこの小説に触れてあってちょっと嬉しかったです。(他では見かけたことない"マリヤート"という表記でしたが) 解説自体はさまよえるオランダ人伝説の歴史的背景に対するアプローチで、たいへん参考にさせていただきました。
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