夏といえば幽霊、それに今日からバイロイト(なんか開幕前からアレな騒動になってしまってますが)ということで、たまにはちょっと違う雰囲気の作品についてでも書こうかと思います。
アメリカの詩人エズラ・パウンドの初期の作品に「トリスタンとイゾルデ」伝説を題材にした戯曲があります。以前パウンドの詩のクラスでレポートを書かされたときに存在を知り、参考文献を漁ってみたりしたものの肝心のテキストが見つからずじまいだったのですが、最近調べたらその作品「トリスタン」
Tristan が
Plays Modelled on the Noh というパウンドの戯曲集に収録されていることが判明。国内では入手しにくいようですが米アマゾンですぐ買えました。
そもそも中世の恋愛ロマンス自体はあんまり得意じゃない私が何で惹かれたかというと、この劇がまんま日本の夢幻能をモデルにした一種のゴースト・ストーリーだからです。(←結局そこに行き着く)
もともと漢詩や俳句など東洋の文芸に関心があったパウンドは、明治の「お雇い外国人」として有名なアーネスト・フェノロサの遺稿を知り合ったその未亡人から譲られ、中に含まれていた能楽の研究と訳を元に、自分なりの英訳作品をいくつも完成させます。
それだけでなく、当時住んでいたロンドンで観たビーチャム指揮の「トリスタンとイゾルデ」に触発され、この中世伝説を夢幻能の形式に翻案した戯曲まで書いてしまいました(あくまで習作的なものだったらしく、実際に上演はされませんでしたが)。
舞台はコーンウォールのマーク(マルケ)王の城の廃墟で、すでにトリスタンとイゾルデの悲恋物語も遠い昔の出来事となった時代のこと。
時は三月、その城跡を訪れたフランス人の若い彫刻家。すると荒れ果てた建物から一人の女が現れ、ここは立ち入ってはいけない場所だと咎めるので彼はこう答えます。
Sculptor :...I came to see a quince tree. I read about it in a book. It comes out in March before the other trees. No, there are not a number, there is one tree, set on a capein Cornwall, and the Gulf Stream brings it out before any other tree has budded.
彫刻家:...私はマルメロの木を見にやってきました。ある本で読んだところでは、その木は三月、他の木に先立って花を開くのだとか。いや、幾本もではなくたった一本の木なのですが、コーンウォールの岬の上に立っていて、湾の潮流のおかげで他のどの木よりも早く咲くのですよ。 一本の木のためはるばるフランスからいらしたなんておかしな方ですねという女に、彫刻家は自分はこの地方一帯を徒歩旅行してきたが、どうして地元の者は誰もこの場所について知らないのだろうと疑問を投げかけます。そして開花の日は毎年同じ一日だけと決まっており、それが明日なので今夜はここで野宿するつもりだとも。
いったんは自分の所有地のこの城跡には泊められないとそっけなく応じた女でしたが、やはり気の毒だからと立ち去ろうとする彫刻家を引き止め、例の木はすぐそこだと言い残して姿を消してしまいます。
一人になり、女の示した木を眺めつつどうも変な場所だと呟く彫刻家。
すると不思議な光のなか、中世の衣服になった先ほどの女、実はイズー(イゾルデ)の霊が歩み出てきます。ついさっきとは違い、ほとんど彫刻家に注意を払おうともしませんでした。
彫刻家が舞台の端にかがみこんで成り行きを見守る中、誰かを探すかのように歩き回るイゾルデのもとに現れる一人の男。むろんそれは彼女が愛したトリスタンの亡霊です。
しかしかつての恋人たちはお互いに近づいても触れ合おうとはせず、すれ違いを繰り返しながら廃墟をめぐるばかり。そしてとりとめもなく、過ぎ去った日の記憶の断片をかわるがわる口にします。
(なお二人の姿については、"体の片面だけが金色に輝き、もう片方は灰色にくすんだ衣装をまとっていて、暗い色の側を観客に向けていると背景に溶け込んで見分けられないほど "だという指定がされています)
ここからは筋らしい筋がないので、あんまり上手くない訳ですが二人の台詞の一節を抜き出してみました。
Yseult:...A Sea, stretched out around,
A warm and sun-lit day, flame hid in the cup:
Why would you put the past out of mind?
(Tristan again seems unsatisfied with the speech)
Many a time in Marrois, in the high green of the forest,
Hid in a light lodge of boughs…
Tristan: Whose ring is that green on your hand?
Yseult: There is too much between us.
イズー:(前略)...四方にひろがる海、
暖かく、陽光にあふれた昼、杯に隠された焔
なぜあなたは過去を心から追いやってしまおうとしたの?
(トリスタンはまたしても彼女の言葉に不満げな様子)
いくたびもモロアの森で、緑たけなわの森の中、
枝葉が織りなす軽やかな小屋に隠されて...
トリスタン:君の手のその緑の(石のついた)指輪は誰のものだ?
イズー:私たちの間にはあまりに多くのものがありました。 こんな調子で会話が成り立つ様子もなく、二人とも互いの名を呼びつつも、ときには薄れる光の中で明滅し影のようになる相手を認識さえできません。(ちなみにドイツ語風でないYseultという表記からも分かるように、この作品は基本的にワーグナーではなく古来からのトリスタン伝説に基づいていて、モロアの森、緑の石の指輪などもそちらからの引用です。)
今の自分は風に舞う塵やヴェールのようなものだと嘆くトリスタン、すべてのことには終わりがあるというイズー。そして彼女は「私たちの間にはあまりに多くの...」と繰り返したあとで"We are neither alone, nor togather…"、さらに"I am torn between two lives/ Knowing neither..."と最後の独白を結びます。
やがてトリスタンは、岩間に打ち寄せる波のように、心乱される自分に安らぎはないという言葉を残して退場。あとに続くイズーに、彫刻家がふとこの場所の名はと尋ねると、彼女は一言
「ティンタジェル」と告げて消えていきました。
われに返った彫刻家があのマルメロを見にゆくと、先ほどまでまったく咲く気配のなかった木にはいつの間にか一面の花と葉が。呆然とした彼が先刻の二人の台詞を反復し、去っていくところで幕。
はっきり言って私も内容は完全に理解しきれてませんが(英語自体はパウンドの作品中ではわりと読みやすいほうだと思いますけど)、構成上のことだけ補足すると、彫刻家(能でいう「ワキ」に相当)がトリスタンたちの幽霊に出会うのは、伝説の主人公の霊がゆかりの地に現れて過去を語るという夢幻能の法則を踏襲しています。
さらにパウンドはフェノロサ遺稿に含まれ、自身でも訳した能の演目「錦木」や「須磨源氏」などの要素も翻案して作中に組み込んでいて、「マルメロの木」というのも「須磨源氏」中にある桜の木がモデルのようです。
個人的には諸星大二郎「桜の花の満開の下」という短篇の、平将門の残党の怨念が百年に一度咲かせる桜なんてのを連想してしまうんですけどね。元のトリスタン伝説は二人の墓から木が生え、切っても切っても絡みあったという後日譚で結ばれますが、決まった一日だけ咲いて散ってしまう花というのもまた恋人たちの妄執がなせる業かもしれません。
話はより古いバージョンに基づきながらも、光と影、渦巻く海と波、その中で咲いては散る花びら (これらはパウンド好みのイメージでもありますが)といったモチーフにはやはりインスピレーションとなった楽劇との共鳴要素が豊か。 かつての恋人たちが語るとぎれとぎれの追憶も、ワーグナーの音楽と舞台を思い浮かべつつ読むと愛と死の残酷さがいっそう際立ち、なおのこと感慨深いものがありました。

これが
Plays Modelled on the Nohのテキスト。収録作品は「トリスタン」も含めみな短いので、本よりは小冊子といった作りですが。
あと作品の成立過程や影響を与えたと推測される能の演目については、テキスト全文は載ってないものの上の研究書が非常に参考になります。
パウンド訳の「錦木」や「須磨源氏」はこちらで。
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