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2012.09.17 05:45|読書感想
 10/3追記:実は思ったより早く、↓書いた数日後に届いてました。でもこれ、シリーズ完結編どころかラストシーンからしても続ける気満々だと思いますよ。ネタバレになっちゃうので詳しくは書けませんが、話もいちおう一区切りはついたけど二巻で判明した新事実とかぜんぜん未消化のままだし。 
 
 少し前に表紙のかわいさにつられて衝動買いしてしまった、猫のオルドウィンを主人公にしたシリーズの完結編となる第三部の英語版がこの秋出版されました。私は待ちきれなくて原書で注文しちゃったんですが、少し遅れるとかでまあ今月中に届けばいいほうでしょう。

↓こちらが三作目のカバー。前二作の例からして、日本語版でもこのイラストが表紙のはず。

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 このシリーズ、ファンタジーの王道を行く探索・冒険ものながら、いつもは忠実なお供ポジションが当たり前の動物たちの側が主役。
 シリーズの原題でもある「ファミリア」というのは、一対一のペアを組み人間の魔術師を助けて働く動物のことで、ただの使い魔とは違って固い絆で結ばれたほとんど対等な関係ということになっています。(ちなみに人と動物はふつう意思疎通できませんが、魔法使いは術で自分のファミリアと会話ができるという設定)
 
 気ままな野良猫ライフを送っていたのにひょんなことから魔法使い見習いの少年のファミリアに選ばれたのがもとで、国の運命と自分の生い立ち(ベタながら) に関わる大冒険に巻き込まれてゆくオルドウィン。
 野良猫だけあってへんに青臭いところがなく、機転が利いて肝もすわっているのに本当はけなげなオルドウィンのキャラがとってもいいです。猫、とりわけ黒白猫(強調しますが、オルドウィンは黒猫じゃなく黒白猫です!)好きの皆様、ぜひどうぞ。
 
 まだ全貌は明かされてないのですが、シリーズ通しての背景として、人間と動物族との力関係の推移が舞台となる王国の歴史を作ってきたというテーマがあります。徐々に本筋に絡んでくるこの問題にどう決着がつくのかが全体の鍵になりそう。どう完結するのか期待です。

 ところでさっきアマゾンの商品情報をチェックし直してみたら、来年一月にペーパーバックでも出るのがわかったんですが・・・

     ↓ペーパーバック版の表紙

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     オルドウィン、に、似てなすぎ 仲間二匹はそんなに違わないのに。
 
 いやこの絵も可愛いけど、、、、、こっちが日本版の表紙だったら買ってなかったかな(汗)

テーマ:本の紹介
ジャンル:学問・文化・芸術

2012.09.14 20:28|音楽鑑賞(主にオペラ)
 この「パルジファル」、さいしょに写真で見たときはいつものグートの舞台だなあ、まあ全曲の実演はそうないし行ってみるか――という感じだったんですが・・・。蓋を開けてみたら予想よりずっと面白くてうれしい驚きでした (初日の特典なのか、復刻版対訳までもらえちゃったし)。

 今回の演出チーム、クラウス・グートと装置・衣装のクリスティアン・シュミットの作る舞台はすっきりしたビジュアルながらインパクトのある、スタイリッシュな作風というのが私の勝手なイメージです。しかしなぜか家のセット、それもインテリアもよく似た階段つきのが出現する率が異常に高く、「パルジファル」も例外ではありません。
 
 ですが、ここではモンサルヴァートをある「家」に見立てるというコンセプトが全体を支配しており、それに絡めて他の演出で光が当てられたのを見たことがないティトゥレルとアンフォルタス、クリングゾルの関係も新しい切り口から描かれているので、定番の家セットも納得いく使われ方でした。

※以降最後までネタバレ

 この演出最大のポイントは、仇敵どうしのアンフォルタスとクリングゾルを実の兄弟として設定したことにあります。
 
 前奏曲の終盤、幕が上がると二人の息子と食卓を囲んでいる年取った父親。席を立った父親は自分の右手に座った息子に歩み寄り祝福するような身振りをしますが、もう一人には目もくれません。無視されたほうは怒りを爆発させたのか、急に立ち上がると荒々しく出て行ってしまいました。
 食堂の真上の部屋にはガラスケースに収まった聖杯があるので、老人はティトゥレルで気に入りの息子はアンフォルタス、家出したのがクリングゾルらしいと分かります。

 次にグルネマンツたちがいるのも同じ邸宅ですが、年月が流れていまは戦時中、傷病兵用の病院に姿を変えています。クンドリーはここに逃れてきた難民で、看護婦さん(本来はズボン役の小姓)たちを手伝っている様子。グルネマンツも病院の理事か専属の聖職者という感じだけれど、彼と医者や看護婦以外は本来の主人アンフォルタスはじめみな負傷者ばかり、中には明らかに精神を病んだものもいて、平穏な聖域とはほど遠い雰囲気です。

(もっとも台本でも外の戦いに派遣されるのも聖杯騎士たちの役目というし、そこから負傷して戻りもするでしょうから、モンサルヴァートを病院に読み替えるのは部分的にはありかと。聖杯には癒しの力もあるわけですし。)

 特徴的なのは歌手本人が姿を現さない方が多い(下手するとミイラ状態の人形で声のみ出演とか)ティトゥレルがよぼよぼでもまだ何とか動け、ほとんど儀式の主導権を握ってさえいることです。
 一幕で聖杯を開帳する場面、アンフォルタスを追い詰める騎士団というよりは父と子の感情のぶつかり合いといった構図で、かつて良好だった親子の関係が壊れてしまったことをうかがわせ、かえってアンフォルタスの孤独感を際立たせていました。
 聖餐式の描き方がこれまた嫌悪感を催さずにはいられないようなもので、生きるために仕方ないとはいえティトゥレルはじめ騎士団の閉鎖的な異常性をあらわにしています。

 二幕のクリングゾルの城はなぜか一幕と同じ家のセットながら、こちらは優雅にライトアップされて1920年代のフラッパーの格好をした花の乙女たちが集うダンスホールになったり、続くクンドリーの語りでは草地にブランコが下りてパルジファルの子供時代を再現する空間になったりと幻想的に変化します。この幕のコンセプトとしてはわりとオーソドックスな印象。

 三幕では一幕の館にも戦火が及んだらしく、床には瓦礫が散乱してもはや病院として機能してません。騎士(患者)たちの生き残りに癒しを与えたパルジファルですが、ラストで彼が迎えられるのは新しい軍事的リーダーとして。一人で全体を救える唯一の存在は、結局は独裁者にならざるを得ないということでしょうか。
 戻ってきたクリングゾルとアンフォルタスも和解して騎士団は再団結を果たすものの、彼らを待つのは新たな戦争・・・という不穏な未来が暗示されます。一方でクンドリーは安らぎを得るどころか、また難民として逃げるように去っていくのです。

 意地悪い見方をすれば家の中での親子兄弟げんかが戦争の火種とか、なんてスケールの小さい話だよと言いたくなりますが、実権を握った一部の指導者層の内輪もめに軍や民衆が振り回される惨状(この演出が先に上演されたスペインあたりの内戦?)の皮肉な象徴にもとれます。
 
 あとこの「階層」という問題も全体を通したテーマではないかと。聖杯がある二階に下っ端の騎士たちは上らず下から礼拝するだけだし、クリングゾルも階上から一階のクンドリーに命令する文字通りの上下関係。これはパルジファルの新体制によっても解消せず、むしろ強化すらされたように見えてなりません。
 
 回り舞台を使った家の装置はこういった人間関係をわかりやすく図式化できるうえ、つぎつぎ新しいドラマが展開して飽きがこないという点でたいへん効果的でした。ただ音が反響しやすい造りなのか歌声もよく響く反面、ステージでの物音、何より舞台が回転するときにミシミシギシギシいうのがやたらと大きく聞こえるのが困りものです。

 それでも個人的にはセットの騒音以外に文句のつけようがないくらい、音楽も演技も一体となって充実した上演だったと思います。登場人物一人一人に細かな演技づけが徹底していたのも、完成度を格段に高めていました。

 念願の飯守指揮ワーグナーをようやく聴けたのですが、序曲こそちょっとしゃちこばって感じたものの、その後は舞台とぴったりかみ合った柔軟性とキレのある音楽作りですばらしかったです。読響も十年前に同じ文化会館でこの曲をやったときとはぜんぜん違う力強さだったし。
 
 歌唱面でも思っていた以上の完成度。バイロイトの映像を見てクンドリーの存在感が大きく全体の印象を左右すると再認識したばかりですが、今回の橋爪さんは幕ごとに違ったキャラクターをしっかり演じわけ、とりわけ妖艶さと包容力を兼ね備えた二幕の誘惑の歌が耳に残りました。誘惑シーンも様になってましたし。
 福井さんの珍しいくらい熱血タイプなパルジファル、小鉄さんの威圧的過ぎない等身大のグルネマンツ、それにより複雑な設定にされたアンフォルタスの苦しみを演じきった黒田さんはじめ男声陣もバランスよく、他の小さな役にいたるまで穴のない歌唱でした。
 

テーマ:クラシック
ジャンル:音楽

タグ:オペラ感想

2012.09.06 07:42|読書感想
 ※9/9追記:「タイムトラベルロマンス」ってのはタイトルとしてさすがに意味不明だよなと思ったので、そこだけ変更させていただきました。
 
 バイロイトの録画を見終えて感想を書き終えたと思ったら、今度は二期会の「パルジファル」がもうすぐなのに気がついたのがおととい(私は初日の十三日に行きます)。 せっかくの機会だし、数ヶ月前買ったままだったこの本に目を通してみることにしました。 

常世の森の魔女 (ハヤカワ文庫FT)  ←Amazonリンク

 オハイオ出身の女流作家スーザン・シュウォーツの小説で、原題は The Grail of Hearts 。邦訳版のタイトルから想像できるように、ワーグナーの「パルジファル」を、クンドリーの視点から再構築した作品です。
 
 そもそも「パルジファル」という物語自体がオペラ内で起こる出来事よりずっとスケールの大きなもので、その中に収まりきらなかったことの補足は、一幕のグルネマンツの過去語りに代表されるような登場人物の説明によるしかありません。
 中でもとりわけ謎のかたまりのようなのがクンドリーというキャラクターでしょう。各幕ごとになんとも不可解なありさまで出現するうえ、素性やたどってきた運命は台詞から断片的に推測することしかできず、それらをつなぎ合わせても至るところに疑問が残るという存在。
 
 ですから「常世の森の魔女」ではそういった物語の隙間を埋めるべく、ユダヤの羊飼いの少女だったクンドリーがしだいに身を落として、クリングゾル(この作品ではなんとクンドリーより長生き!)の手先となり、ついにはアンフォルタスを罠にかけるまでのいきさつが解き明かされるというわけです。
 クンドリーの生い立ちはじめ作者による創作も少なくありませんが、楽劇にはおおむね忠実でオリジナル部分も台本の記述とさほど違和感なくつながっています。

 内容がオペラに追いつくのは後半三分の一ほどで、パルジファルが登場してのちはだいたいオペラのノベライズ版という感じでした。残念ながらパルジファル本人にはそう際立った性格づけは与えられてません。心情と背景的に掘り下げられているのはクンドリー以外にはアンフォルタス、それにまるっきりゲスな悪役だけれどクリングゾルなので、このキャラ達に興味がある人には特におすすめ。あとアーサー王の魔術師マーリンがちょろっとゲスト出演(?)しているのも面白いです。
 
 なかなか捻りがきいてるなと思ったのは、「クンドリーがイエスをあざ笑ったため呪われた」瞬間の扱い方。彼女の運命を決定してしまったこの出来事、なんとそのままの形では語られていません。
 
 アンフォルタス負傷事件の後、クリングゾルに逆らった罰として魔術で一世紀のエルサレムへ飛ばされたクンドリーの精神。過去の肉体に戻され、もう一度あの呪われた瞬間を生き直さねばならない彼女の意識に、それでも今度こそイエスを刑死から救えはしまいかという考えが浮かびます。
 彼が神の子として死ななければ、その血を受けた聖杯もキリスト教も存在せず、したがって聖杯を守る王(この作品ではアリマタヤのヨセフの末裔が代々世襲でつとめるという設定)がいる必要もないので、はるか未来でアンフォルタスが傷を負うこともなくなる――というわけです。唯一の望みにかけて奔走する彼女ですが、結局は…。
 
 オペラ冒頭でクンドリーが持ってくる「アラビアの秘薬」の出どころについても納得のいく説明になってますし、この部分はうまくファンタジーの要素を取り入れて、台本から一歩踏み出した巧みな構成だと感じました。ある種のタイムトラベルもの?といえなくもないです  
 
 ただ元の楽劇からして娯楽的作品とはいえないうえ、ややフェミ色が強いきらいがあり(まあ本来のクンドリーの設定からしてどうしてもそうならざるを得ないのでしょうが。しかし私はフィクションだとどうも苦手)、決して気軽に読めるタイプの本ではないかもしれません。
 それでも舞台での制約では伝えきれない「パルジファル」という作品の背景をオリジナルの世界観からかけ離れずにわかりやすく掘り下げており、楽劇を観るうえで参考になるのは確かだと思います。

 入手は一般書店では難しいようですが、ブックオフはじめ古本屋さんでは時々見ますしアマゾンでも余裕で買えますよ。

テーマ:本の紹介
ジャンル:学問・文化・芸術

2012.09.03 20:39|音楽鑑賞(主にオペラ)
 一週間前に放映されたのをやっと見終えました。2008年プレミエのこのプロダクション、近年のバイロイトでは出色の出来という評判だったので、プレミアムシアターでやると知って楽しみにしてたのです。

 しかし最初に個人的感想を一言でまとめると、部分的に引き込まれる所はあったものの、そこまでの説得力は感じられずじまいだったかな~。いろいろ詰め込みすぎ、ゴチャゴチャし過ぎの感が拭えませんでした。
 それにむろんこっちが無知なせいですが、二十世紀前半のドイツ史に絡めてバイロイトの変遷を描くというコンセプトもヨーロッパの人に比べすんなり入ってきません。(ただドイツのマスコミがこの演出を持ち上げる理由はなんとなく分かった気がしましたが) 去年のローエングリンの幕間にやっていたドキュメントでも見直しておけばよかったかも。

 私が見たヘアハイムの演出というとこの間のクトゥルフもどきが出るルサルカの配信映像だけですが、両者に共通なのはとにかく舞台の情報量が多く、常に視覚面に意識を集中してなければすぐ置いてきぼりにされてしまいそうなところ。

(ちなみに「ルサルカ」とは装置・衣装も同じ製作チームなので、一幕での群集の振り付けや背面の鏡などあちこちによく似た特徴があります。ただ鏡は「ルサルカ」では街路セットに奥行きを出すためのだまし絵的な役割が強かったのに対して、今回は要所要所で指揮者や客席を映すのがなんだかあざとくて好きになれませんでしたが。)

 どっちの作品でもアイデアが音楽と上手く融合したときの効果は抜群(今回なら聖杯城への場面転換、特に三幕のほうとか)なものの、この「パルジファル」では特に前半、大筋やキャラクターの設定をひねりすぎて収拾がつかなくなった部分が多すぎる印象です。 
 でもその一方で、逆にそういう本来の筋との矛盾や破綻を恐れず舞台に乗せてしまうのが逆にこの人の持ち味で面白さかなという気もします。私としては無難なだけで、何が起きるかという期待をことごとく裏切ってくれる演出ほど嬉しくないものはないので。

 ただ聖杯の騎士たちが場面ごとに違う姿で登場してくるのは、この特殊な閉じられた集団がどう位置づけられているのかを曖昧にしてしまうという意味で疑問が残ります。特に冒頭、女性含めたブルジョワ階級の観光客たち?の中ではメイドさん姿のクンドリーが目立たず、彼女がモンサルヴァートの男社会では異質な存在だというのが見て取れなくなってしまいますし。

 歌手陣は全体に地味目ながら堅実(ついでにP・ジョルダンの指揮も)でした。この役向きでないテノール寄りの軽い声質ながら病んだ表現の上手さでカバーしたアンフォルタスと、罰ゲームものの衣装で頑張ったクリングゾルは敢闘賞。
 パルジファル役のフリッツは、せめてもうちょっと見た目と高音に英雄らしいオーラがあればと。グルネマンツ、ユンは今回声に艶が欠けて聞こえ、控えめな歌い方もあって時にはもっと音楽にそぐう高揚感を引き出してほしく感じましたが、安定感はあり健闘してました。
 
 初めは分身的存在のパルジファルの母(演技のみの女優)に食われ気味だし、二幕でスポットライトが当たる段になっても、歌も演技もいまいち魅力的じゃないクンドリーが一番残念だったかも・・・。賛否両論あったようですが、この演出なら前任の藤村さんの柔らかい声質が似合っていたと思うしそちらで見てみたかったです。

 さて来年はどうやら今年出た「さまよえるオランダ人」が映像になるようです。ゼンタがピエチョンカ(エクサンプロヴァンスでシェロー新演出のエレクトラに出るらしい)から新国のエリーザベトとエルザ、メルベートに交代する以外は今のところキャストに変更はありません。
 しかし問題は写真で見る限り、ぜんぜん面白そうじゃない演出ってことですが・・・。

テーマ:クラシック
ジャンル:音楽

タグ:オペラ感想

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筆不精にも関わらずメモ帳代わりとして始めてしまったブログ。
小説や音楽の感想・紹介、時には猫や植物のことも。
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