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2013.02.26 20:34|レシピ
 以前記事にした、"Die Oper kocht"でピョートル・ベチャワが作っているポーランドのアップルパイかクランブルのようなお菓子シャルロトカ。

Die Oper kocht"試作そのⅡ ベチャワのシャルロトカ(アップルパイ)

 両親にも好評だったと書きましたが、確かに癖になる味で私自身はまってしまい、最近はほぼ週一の割合で焼いてます。リンゴに砂糖が入らず生地も含めて全体に甘さ控えめなので、飽きがこずパクパク食べられるんですよね。私はよくミルクティーと一緒に朝ごはんにしてます。

 ただ本の記載はどうも粉とバターの分量表記がおかしい(上のリンク記事参照)ので、私なりに一番作りやすくておいしいという結論に達した材料の配分をご紹介しましょう。後はほとんどベチャワのレシピそのままですが。
 
材料 (25cm×25cmのオーブンパン使用)

薄力粉300g(3カップ)/卵黄2個分/ 砂糖大さじ4杯半/バター(有塩)150g ※以上生地分

リンゴ3~4個/レーズン(前日くらいからお酒に漬け込んでおく)1カップ/シナモン(粉末)/レモン汁

生のアーモンドスライス 一掴み半程度/ 粉糖適量 ※トッピング用

さいの目切りにしたバターを湯せんにかけ、そこに砂糖を全量入れて溶かします。
そこに粉を1カップ分ずつふるい入れて混ぜるのですが、二杯目と三杯目を足すとき卵黄を一個ずつ一緒に加えてください。ささっとこねあげ、全体がむらなく混ざったら一かたまりにまとめます(粉っぽすぎるようなら、水または牛乳を大さじ1弱ほど加える)。

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出来上がった生地を二等分し、半分は冷蔵庫(急ぐ場合は冷凍庫)へ。
残り半量を5~7ミリ位の厚さにのばして、薄くバターかサラダ油を塗ったパイ皿の底に敷きます。バターが多い生地で扱いにくいですが、小分けしてラップ二枚のあいだにはさんで上から麺棒でのばし、それを少しずつくっつけ合わせるようにしていきます。
でこぼこになってしまったら、最後にコップの底などを押し付けて全体を均等にならすと良いです。

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最初は側面にも生地を貼り付ける式の丸いパイ皿を使っていたけれど、四角い容器のほうが作ったり取り分けたりするのにも簡単です。百円ショップで売っているアルミ製の使い捨てグラタン皿みたいなものでも十分です(そのまま人にあげたりもできるし)。

生地の上に油を塗ったアルミホイルを敷き(膨れるのを防ぐため)180~90度のオーブンで二十分から二十五分ほど焼きます。うっすらきつね色がつき、指で押したときにふんわりした感じがほぼ消えているくらいが目安。

この後は前回書いたこととほとんど変わりませんが、ニンジンや大根を千切り状にするとき使うおろし金でリンゴを削り、シナモンとレモン汁を混ぜてレーズンと一緒に底の生地の上にのせます。
個人的にリンゴの品種はお菓子用に定番の紅玉より、酸味の少ない王林などがおすすめ。火を通したときの自然な甘さがちょうどいいです(値段も手ごろですし)。あとレーズンは赤ワインに漬けておくのがさっぱりしていて好み。

その上に冷やしておいた残り半分の生地をリンゴと同じ方法で削って敷き詰め、最後にスライスアーモンドを散らしてオーブンで約四十五分焼けば完成です。

ベチャワの顔文字ふう?飾りの代わりに、私は粉砂糖を振りかけて仕上げてます。

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粗熱を取ってからのほうが切り分けやすいです。

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 ポーランドでは泡立て生クリームやバニラアイスを添えるのが定番のようですが、そのままでも十分おいしいと思うんですけどね。

 ついでに五月に発売が決まったベチャワの新アルバムについても少し。ドイツ・グラモフォンのサイトに紹介ページができてました。リヒャルト・タウバーをオマージュしたウィンナオペレッタのアリア集だということです。

PIOTR BECZALA Heart's Delight

 今度のライヴビューイングの「リゴレット」のほうは私はパスなんですが(演出はケバいし作品自体あんまり好きじゃないし)、来シーズンは「オネーギン」と「ルサルカ」の二回スクリーンでベチャワが見られそうで楽しみです。

テーマ:お菓子
ジャンル:グルメ

2013.02.22 22:45|怪奇幻想文学いろいろ
 ドイツの児童文学作家、オトフリート・プロイスラー氏が18日に89歳で亡くなられていたことを昨日の朝刊で知りました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 プロイスラーの代表作「大どろぼうホッツェンプロッツ」シリーズと「小さい魔女」は、幼児向けのグリム童話のようなものを除けば、ミヒャエル・エンデの作品と並んで私が人生で最初に接したドイツ文学だったと記憶しています。
 
 エンデの「モモ」や「ジム・ボタン」がそれほど特定の国や地域性を感じさせない作風だったのに対し、深い森が主な舞台の「ホッツェンプロッツ」といいワルプルギスの魔女の夜会で始まる「小さい魔女」といい、今思えばプロイスラーの物語はドイツという国に対するイメージの原点だったかもしれません。「ホッツェンプロッツ」三部作は小学校中学年のころには学級文庫にも置いてあって、あまり本を読まない子でも一度は目を通したことがあるというくらいには人気でした。

 家にあった本もいつの間にか処分してほとんど忘れかけていたのを、昨年ふとしたきっかけで「ホッツェンプロッツ」のことを思い出して読み直してみました。大人になった今でもやっぱり面白く、それにつられて年末あたりから未読だった「クラバート」などプロイスラーの他の本を数点購入したばかりだったのです。

 プロイスラー作品はほとんどがドイツや出身地ボヘミア地方(現在はチェコ)の民話や伝説を題材にしていますが、驚いたのは「ホッツェンプロッツ」もドイツの伝統的人形芝居に基づくものだったということ。
 
 去年再読したころこちらのマッドハッターさんのブログの記事で教えていただいて初めて知ったのですが、とんがり帽子の道化人形「カスパー(ル)」が主人公の「カスパー・テアター」なる民衆劇が古くから存在しており、そこからプロイスラー流に組み立てられた話だったのですね。(コメディア・デラルテやパンチとジュディのドイツ語圏版みたいなものでしょうか。)相棒のゼッペルはじめ、泥棒(つまりホッツェンプロッツ)とお巡りさん、おばあさんといったほかの登場人物たちもみんな人形劇の定番キャラクターを元にしているようです。

 もともとの類型化された芝居の役柄に感情移入するのはちょっと難しいかもしれませんが(実際にそういうドイツの人形劇を見たことがないのではっきりは言えないけれど)、「ホッツェンプロッツ」のキャラたちは多少デフォルメされてはいてもみな血の通った生身の人間という感じで、それが小さな子供にも受ける最大の理由なんだろうと思います。こちらはもっと対象年齢が上ながら、ボヘミアの民話が下敷きという「クラバート」の主人公にしても然り。
 
 現代では古典を題材に創作をしようとすると、視点や解釈の目新しさがなければ芸術性を認められないような風潮がなきにしもあらずでしょう。しかしプロイスラーのように、歴史と本来の形を尊重しつつさらなる魅力を引き出すのも実は負けず劣らず高度な技法なのではないかと思ったものでした。

つい一月ほど前に買ったばかりのプロイスラーの作品集。

魂をはこぶ船―幽霊の13の話 (プロイスラーの昔話)魂をはこぶ船―幽霊の13の話 (プロイスラーの昔話)
(2004/01)
オトフリート プロイスラー

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地獄の使いをよぶ呪文―悪魔と魔女の13の話 (プロイスラーの昔話)地獄の使いをよぶ呪文―悪魔と魔女の13の話 (プロイスラーの昔話)
(2003/12)
オトフリート プロイスラー

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真夜中の鐘がなるとき―宝さがしの13の話 (プロイスラーの昔話)真夜中の鐘がなるとき―宝さがしの13の話 (プロイスラーの昔話)
(2003/11)
オトフリート プロイスラー

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 各地の民話(とりわけ「遠野物語」的な怪談系の)をテーマ別に編纂し、簡単な解説つきでまとめた三冊です。仕様からして低年齢層が対象という感じなので一冊ごとのボリュームは少ないですが、どれも見かけのわりになかなかの読み応え。プロイスラーが作品にしたのとは異なる「クラバート」伝説の一エピソード、それにこれもウェーバーのオペラとはまったく別の「魔弾」にまつわる話などもあっていい勉強になりました。

テーマ:本の紹介
ジャンル:学問・文化・芸術

2013.02.14 19:01|音楽鑑賞(主にオペラ)
 いわゆる観光名所にはあまり足を運ばなかった今回のフランス行きでしたが、パリに来て美術館の一つも行かなかったというのも癪なので、最終日にオルセーを見てくることにしました。

 ただ最初にのんびり鑑賞しすぎたつけが回り(時間的には余裕を持って行ったつもりだったけど)、全体の四分の三ぐらい見たところで閉館時刻が来てしまいましたが…。そんな調子で出る間際に見た中の一枚がこの絵です。

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ジョルジュ・ロシュグロス(Georges Antoine Rochegrosse) 「花の騎士」 

↓大きな画像へのリンクと画家のプロフィール。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Le_Chevalier_aux_Fleurs_2560x1600.png
ジョルジュ・ロシュグロス・・・英語版Wikipedia

 ワーグナーの曲にインスパイアされた美術作品は十九世紀末ヨーロッパでは珍しくはなかったでしょうが、1894年に制作されたこの絵もその一例。「パルジファル」第二幕、クリングゾルの城でパルジファルにまとわりつく花の乙女たちの場面に基づいています。
 
 アラビア風の庭園という本来の設定とは正反対に、背景は見渡す限りの明るい野原。それでも一面の花々からそれを擬人化したように続々と現れる乙女たちは(これも台本にあるエキゾチックな熱帯植物ではなくアサガオ、アイリス、キンレンカ等々、普通に庭にある花ばかりですが)、一般的にイメージされる花の乙女のビジュアルに極めて近いのではないでしょうか。 
 
 この絵はずっと前、日本でオルセー展が開催されたときに一度見ていますが、改めて見直すと記憶より相当大きく感じました。周囲の絵と比べひときわ鮮やかな極彩色なので自己主張が強く目を引きます。
 
 花好きとしてはカラフルで写実的な花々の配置を見ているだけでも楽しいという単純極まりない理由もあるものの、舞台を青空の下の野原にするというアレンジがとりわけ気に入ってるのです。このうららかな風景も、実はクリングゾルの魔法で作られた幻ではないか・・・と考えるともっと面白いですし。

 パルジファルといえば、明日(十五日)幕を開けるメトロポリタンオペラの新演出。花の乙女たちはうって変わってこんな姿に↓ 舞台には血の池や川があふれるダークな雰囲気のようです。

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なんだかジャパニーズホラーちっくに思えてきてしまった

 HDの収録日(3/2)とは別に、初日はMetのサイトで聞ける中継放送があります。金曜の夜六時に始まる公演なので、日本では土曜の午前八時から。
 しかし週末なのは運がいいのですが、一時から用事で出かけなくちゃならないのです。上演時間は余裕で五時間越えそうだし、初日だけでいいからガッティちょっと速めに振ってくれませんかね~(遅めのパルジファルが好きという方怒らないでください)

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル:学問・文化・芸術

2013.02.09 16:37|音楽鑑賞(主にオペラ)
 前回(Part1)の続き。 
 
 ユロフスキのテンポ運びは終盤に向かうにつれ安定してきたのではないでしょうか。舞台で起きる出来事の強烈さと比べあっさり目ではあるのですが、歌やバレエを手堅くサポートした好演でした。
 
 しかし(少なくとも私にとって)「ホヴァンシチナ」演奏面での最大の関心事といえば、いまだに版の固定されていないラストシーンの音楽がどう処理されるか。個人的には他のバージョンにかなり大きく差をつけてストラヴィンスキー編曲版が好みで、最近ではミュンヘンや去年のメトでも使われていたので、もしかしたらパリでも聞けないかと密かに期待していたのです。

 蓋を開けてみると、使用されたのはこれまで聞いたどれとも違ったバージョンでした。基本はゲルギエフのマリインスキー版(分離派教徒たちの合唱に、燃え上がる炎を表すメロディがかぶさる)とほぼ同じなのですが、マリインスキー版がアンドレイとマルファの叫びを最後にあっという間に終わるのに比べ、こちらはもう少し長く二人の台詞の後にもまた合唱が繰り返されたように記憶しています。あとゲルギエフは最後にオーケストラが繰り返す合唱の旋律をフォルティッシモで壮絶に締めていた一方で、ユロフスキはそこまで鳴らしていなかったとも。

※Operacastのサイトによれば、今日深夜(正確には日曜の午前三時過ぎ)に上演最終日のネット放送があるので聴きなおして確認してみます。

 その場面の演出はというと、白煙が立ち込める舞台奥に消えていく分離派教徒達の後ろ姿を、ふいに現れた金ぴか衣装のツァーリらしき人物(たぶんピョートル大帝。でもカーテンコールで前を向いたら、演じてたのはなんと東洋系っぽい女の人でした)が見送って終わるというもの(下写真)。
 皇帝本人の登場は唐突ではあるのですが、集団焼身自殺の凄惨さよりは新しい時代の幕開けと信仰に殉じた人々の昇華を暗示しているのでしょう。今まで見てきた舞台に比べ、どことなく救いのある幕切れだったのが印象的でした。演出にオリジナリティを感じたのがほぼこの箇所だけだったからかもしれないけど。

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 キャスト陣は端役にいたるまでほぼスラヴ勢で固めた布陣で、歌唱レベル的には録音・映像としてソフト化されている上演に比べても遜色ありませんでした。ドラマの核となる三人の男性低音歌手、グレブ・ニコルスキ(ホヴァンスキー公)、セルゲイ・ムルツァーエフ(シャクロヴィトゥーイ)、オーリン・アナスターソフ(ドシフェイ)はみんな深い良く通る声で威厳たっぷり。とりわけアナスターソフは美声です。
 
 それ以上に存在感を示していたのが女性で唯一の主要人物であるマルファを歌ったラリッサ・ジャチコーワ(←そのまま英語読みでディアドコヴァという表記もありますが、どっちが一般的なのかいまだに良くわかりません)で、もう相当なベテランのはずですが、その強い声の張りを保ったまま流れるように歌うロシア語のフレージングは見事のひとこと。内面の強靭さというか、一種の怖ささえ感じさせるマルファでした。
 だいぶ前マリインスキー来日の「スペードの女王」(確か二キーティンの「オランダ人」と同時だったので2000年)で一回だけ生で聴いた時と比べても、声にまったく変化や衰えがないのにも感心します。

 マルファの元恋人アンドレイ・ホヴァンスキーは、そのスペードの女王で主演したやはりベテランのガルーシン。声自体はまだ十分パワフルなのですが、最後まで役柄と音楽的に全くいいところなしのこの役には無駄使い感がひどいです。(まあ自業自得とはいえ、元彼女に半強制的に付き合わされて焼け死ぬはめになるのにはちょっと同情したくなりますが)
 もう一つテノールでメインどころのゴリーツィン公爵はフセヴォロド・グリヴノフが気弱な感じでそこそこにこなしていましたが、こちらをガルーシンのような強い声の人が歌ってくれたほうが個人的には好み。合唱は圧倒的パワーはないもののそれなりのレベルでした。

 終演は十一時半くらい。また一人メトロを乗り継いでホテルに戻り、買っておいたサンドイッチ食べて寝ました。フランスはスーパーで売ってるサンドの種類が豊富でいいですね。コンビニがないからスーパーを見つけるのがちょっと大変だけれど。


Conductor Michail Jurowski
Producer Andrei Serban
Sets, Costumes Richard Hudson
Lighting Yves Bernard
Choreographer Laurence Fanon
Chorus master Alessandro Di Stefano

Prince Ivan Khovanski Gleb Nikolsky
Prince Andrei Khovanski Vladimir Galouzine
Prince Vassili Golitsine Vsevolod Grivnov
Chakloviti Sergey Murzaev
Dosifei Orlin Anastassov
Marfa Larissa Diadkova
Susanna Marina Lapina
Le Clerc Viacheslav Voinarovskiy
Emma Nataliya Tymchenko
Varsonofiev Yuri Kissin
Kouzka  Vasiky Efimov
Strechniev Vladimir Kapshuk

テーマ:クラシック
ジャンル:音楽

タグ:オペラ感想

2013.02.08 08:11|音楽鑑賞(主にオペラ)
 月曜日の午前中に無事帰ってまいりました。冬はたいていそうらしいのですが、パリは連日小雨続きだったので晴れの多い東京がやけに暖かく感じます (とはいえ、出発日に成田近くが雪になり空港への電車がだいぶ遅れたのには慌てました…。)

 さて、私にとっては旅行の主目的だったバスティーユでのオペラ鑑賞。今回のパリ旅行で、こちらの日程的に観られそうな公演はこの「ホヴァンシチナ」と翌日の「ラインの黄金」だったのですが、実は隠れムソルグスキーマニアの私は迷うことなく前者をチョイスしました。狙って日程を組んだわけでもないのに、ロシア語圏以外の劇場ではそう掛からない作品であることを考えるとものすごく運がいいタイミングで行けたとしかいえません。

 上演は七時から。ホテルすぐそばの駅から地下鉄に乗り、シャトレで乗り換えて十五分程度でバスティーユに着くことができました。事前にバスで行って下見はしてあったのですが、あそこは駅を出てすぐが劇場の入り口だし、電車もあまり時間をおかずに来てくれるのでメトロを使ったほうが楽ですね。
 私が座った一階後方から見た限りではほぼ満席の様子。客層が日本の新国や引越しオペラ以上に平均年齢高めな感じだったのにはちょっと驚きましたが…。椅子の座り心地はかなりよかったです。

 この「ホヴァンシチナ」はプレミエが2001年とのことで、おそらくそのとき以来久しぶりの再演かと思われます。ショスタコーヴィチのオーケストレーションを使用した版で、指揮は67歳にしてパリオペラ座へのデビューというミハイル・ユロフスキ(ウラディミール・ユロフスキのお父さん)。

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第一幕、ホヴァンスキー公の登場

 アンドレイ・セルバンの演出は良くも悪くもトラディショナルで、二十一世紀に入ってからの制作というのが正直意外な気がしたくらいでした。農家の庭先に転がってそうな手押し車の巨大バージョン(上の写真)に乗ったホヴァンスキー公の登場シーンなどはいくぶん風刺テイストですが、演出家自身の解釈よりは、台本内の出来事や登場人物の立場をわかりやすく視覚化することが重視されています。

※作品あらすじはWikiかこちらあたりで

 ユロフスキに率いられたオーケストラは力強くすっきりとした音で、きびきびとした演奏スタイル。作品全体へのアプローチとしてはこれはこれで嫌いではないのですが、前奏曲「モスクワ川の夜明け」が終わりにさしかかるあたりなど、ややせかせかし過ぎて「モスクワ川」のテーマに集約される無常感のようなものに欠けていました。特にそれから始まる第一幕は主要人物が顔見世的に次々と登場して人の出入りが激しいこともあって、その後もどうも効果的な間合いが取れておらず、落ち着かなかったのが残念です。

 もっともこれは演奏のせいばかりではなく、交通整理的な統制は取れているものの、いまいち緊張感がなく無個性な群集や人物の出入りと動かし方のせいもあったでしょう。(初演からだいぶ経っているので、今回はそのへん演出家の手を離れておざなりになってしまったのかも)
 とはいえそういったことを除けば個々の場面の出来は悪くなく、セットもこのタイプのプロダクションにしてはあまり古臭さを漂わせずすっきりとして見やすいものです。ホヴァンスキー公とその配下の銃兵隊をはじめとする世俗の権力はきらびやかな赤や金、信仰に生きるマルファやドシフェイたち分離派教徒たちの世界はモノトーンの白黒に象徴させた色彩の対比が記憶に残る舞台でした。

 ただ問題は、場面ごとにはまとまっていても部分どうしのつながりが希薄なため全体としての流れがつかみにくく、結果そこから生まれる緊迫感も薄れてしまったことです。
 これはセルバンの演出というより焦点が定まりにくい群像劇であるこのオペラ自体が抱える弱点なのかもしれませんが(マリインスキーの来日公演で、もっとリアル寄りの舞台を見たときにも似たことを漠然と感じたような)、ロシアがピョートル大帝のもと変革し始める過程で、そこからはじき出されてゆく人々の悲劇という大きなテーマに実感を持たせるには、やはり台本をわかりやすく見せるだけではない何らかの演出上の工夫が必要ではないかと思ってしまいましたが…。

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(第四幕、上・ペルシャ奴隷の踊り、下・銃兵隊特赦の場面)

写真を入れたりしているとだいぶ長くなってしまいましたので、感想は二つの記事に分けることにしました。
ここで一旦切らせていただき、残りも引き続きアップします。

テーマ:クラシック
ジャンル:音楽

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筆不精にも関わらずメモ帳代わりとして始めてしまったブログ。
小説や音楽の感想・紹介、時には猫や植物のことも。
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