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2014.01.31 02:21|花・植物
 先週末から大仕事でした というのも来月からうちのマンションでは外壁の塗装と改修工事が始まるので、ベランダにある物干し用具や植木鉢のたぐいを全部片付けなくちゃならないのです。
 
 バラにはまったこの数年で場所が足りなくなるくらい鉢を増やしてしまったのですが、夏までベランダには何も置けないので室内で管理しなくてはなりません。マンションで用意してくれる植木鉢用仮置き場もあるとはいえ、一戸で置ける分のスペースには十鉢くらいが限界でしょうし。
 しかしベランダの鉢を数えてみると余裕で五十個近く!仕方なくバラ以外の植木草花(料理に使うローズマリーと月桂樹など少数のハーブ除く)と、バラでも生育不良だったり期待通りに花が咲かなかったりなのはこの際全部処分することにしました。ついでに残す分のバラの剪定も済ませることに。
 
 捨てる鉢はハサミ、それに土と一体化した根っこに使うパン切りナイフで解体したんですが(←こう書くとすごい物騒)うっかり素手でやったらバラのトゲで手がボロボロ。 バラよりもっと手ごわかったのは私が物心つく前から家にあった古株のアロエで、それ自体のトゲに加え切ったときの汁がトゲの刺さった傷に沁みてヒリヒリすることといったら…。(このアロエはあまりにトゲだらけなので、小さいときの私はこれはアロエでなくてサボテンだと思い込んでたくらいです)
 
 残りのバラも二株で一つの大きな鉢に植え替えたりして二十鉢ちょっとまでに減らしました。後は部屋の窓際を片付けてそれらを置けるスペースを作らないと。今までは私の本やら古着やらの収納場所だったので、まずそっちの整理から始めなくては…先は長い

140128_1753~01

処分したバラの枝はせめてもの供養に挿し木に挑戦してみようと思ってます。成功したことありませんけど。

 ところでこれを書いていて気がついたのは、どうも私はアロエやサボテンのような多肉植物のたぐいにいまひとつ親しみが湧かないようだということです。サボテンの花なんかはいくら綺麗だと感心はしても、自分で育ててみる気になったことないですし。「肉」が「多」いという質感からしてクリーチャーっぽく感じるからか!?
 最近読みはじめた植物ホラー小説の代表作「トリフィド時代」のトリフィドが、いつのまにか上で書いたアロエに三本足が生えたような姿で脳内再生されるのもそのせいかもしれません(笑)
 
 それでもそういった植物がテーマの怪奇小説を読むのは大好きなので、どこかでそういうアンソロジー出してくれないかとよく思ったりしてます。植物が人を襲う話、人間が植物に変異する話、草木の精の話、とか洋の東西を問わず色々あってバラエティ豊かなんじゃないでしょうか。

…いきなり話の方向性が変わって失礼いたしました。
 

テーマ:***ベランダガーデニング
ジャンル:趣味・実用

2014.01.19 22:40|怪奇幻想文学いろいろ
 前回の続き。マリヤットの小説「幽霊船」で、ポルトガル人宣教師のマティアス神父が日本で起きたキリスト教徒たちの反乱について語るくだりです。

 ある領主(キリシタン大名)家の内紛に乗じ、日本での勢力拡大を図るオランダ人たちはキリシタンがポルトガル人と結んで国家転覆を企てていると時の"emperor"(ここでは将軍のこと)に讒言しました。すぐさま幕府の討伐軍が差し向けられ、追い詰められたキリシタンの側も結集してそれを迎え撃とうとします。
 
 問題の大名家には父と共にキリシタンになった二人、改宗せず将軍の側で仕えていた他の二人とあわせて四人の息子がいましたが、彼らがそれぞれ幕府軍とキリシタン軍の総大将として敵味方に分かれ戦うことになったわけです。

以下、戦の経過についての原文引用。
…The Christian army amounted to more than 40,000 men, but of this the emperor was not aware, and he sent a force of about 25,000 to conquer and exterminate them. The armies met, and after an obstinate combat (for the Japanese are very brave) the victory was on the part of the Christians, and, with the exception of a few who saved themselves in the boats, the army of the emperor was cut to pieces.

"This victory was the occasion of making more converts, and our army was soon increased to upwards of 50,000 men. On the other hand, the emperor, perceiving that his troops had been destroyed, ordered new levies and raised a force of 150,000 men, giving directions to his generals to give no quarter to the Christians, with the exception of the two young lords who commanded them, whom he wished to secure alive, that he might put them to death by slow torture. All offers of accommodation were refused, and the emperor took the field in person. The armies again met, and on the first day's battle the victory was on the part of the Christians; still they had to lament the loss of one of their generals, who was wounded and taken prisoner, and, no quarter having been given, their loss was severe.

"The second day's combat was fatal to the Christians. Their general was killed; they were overpowered by numbers, and fell to a man. The emperor then attacked the camp in the rear, and put to the sword every old man, woman, and child. On the field of battle, in the camp, and by subsequent torture, more than 60,000 Christians perished. But this was not all; a rigorous search for Christians was made throughout the islands for many years; and they were, when found, put to death by the most cruel torture. It was not until fifteen years ago that Christianity was entirely rooted out of the Japanese empire, and during a persecution of somewhat more than sixteen years, it is supposed that upwards of 400,000 Christians were destroyed; and all this slaughter, my son, was occasioned by the falsehood and avarice of that man who met his just punishment but a few days ago.…


上の内容をまとめるとだいたい以下のような内容です。

...集結したキリスト教徒は四万以上でしたが、彼らの勢力を見くびっていた幕府側の派遣した軍勢はそれに満たない二万五千程度。結果、惨敗を喫した幕府側の兵は船で海に逃れたわずかな者を除いて壊滅させられます。
 
 キリシタン側の勝利によってさらに改宗者が増え、結果彼らの軍は五万に達します。しかし敗北の知らせを受けた幕府側は新しく十五万もの軍勢を募り、相手にいっさいの慈悲は無用、ただ敵の総大将二人だけは拷問でゆっくり死に至らしめるため生かして捕らえるようにという指令のもと将軍自らも戦地に赴いて戦いは再開されました。
 
 開戦一日目では、大将の一人が負傷して捕虜になるという損失はあったもののかろうじて勝利はキリシタンの手に。しかし二日目、ついに数で勝る幕府軍に圧倒されて総崩れとなってしまいます。
 キリシタン側に残されたもう一方の総大将も戦死、後方にまわって陣営を襲撃した将軍の手勢によって老若男女六万名以上が虐殺されたのでした。その後各地で見つけ出されて処刑された人々も含めれば、四十万近くのキリシタンが弾圧の犠牲となったのです...

 
 最後のあたり、このようにして日本でキリスト教が根絶されたのは十五年前のことだったとあります(それより古く、秀吉の時代から禁止令が出されていたことはどうやら無視されたようですが)。
 島原の乱は1637~8年、いっぽう小説ではこの時点で1650年を少し過ぎたころという設定(冒頭"About the middle of the seventeenth century"という書き出しで始まり、作中の時間経過的におそらくその二、三年後)なので、年代の記述はほぼ正確です。

 また、反乱軍が籠城したのが海のそばということ(船で脱出うんぬんから)、最初に派遣された軍勢が大敗したあと組織しなおした二度目の軍勢でようやく勝利したこと、大殺戮で幕を閉じた結末等々もおおむね日本で記録されている史実通りといえるでしょう。

島原の乱(日本語版Wikipedia)

 両軍の人数に関しては諸説あるようですが、↑のウィキと比較すると当たらずとも遠からずといった感じでしょうか。ただ日本で殉教したキリシタンの数が四十万人超というのはいくらなんでも盛りすぎのような!? 将軍自らが戦闘に参加したというのもありえないですしね。

 作中の四人兄弟とその父である領主の話に関しても元になった出来事があるのかと調べてみましたが、島原の乱やキリシタン大名がらみではそれに似た史実は見つかりませんでした。まあこのあたりは西洋の名家にもありがちなお家騒動といった感じだし、比較的マリヤットの創作が入っていそうです。

 いっぽう、実在した歴代のオランダ商館長で海難事故死した人物はいないか探してみたところ、島原の乱の時にではないもののその翌年に商館長に就任した(乱が起きたときには次席だった)フランソワ・カロンという人物がまさに同じような亡くなり方をしていました。
 
フランソワ・カロン

 1619年、十九歳で平戸のオランダ商館に下働きとして着任したカロンは、日本や台湾などアジアの各地で長年にわたって重要なポストを務めあげたのち、1673年にヨーロッパに戻る途中の船が沈没して事故死しました。これは小説で語られる商館長がごく若くして来日し、故国に戻るときにはすでに老人だったというのと一致していますし、カロンが彼のモデルとなった可能性はかなり高いように思えます。

 マティアス神父の物語では信仰より実利重視のオランダ側が一方的に悪者にされてしまっていますが、日本語に堪能で幕府とも多く関わってきたカロンは日本とオランダとの外交において大きな役割を果たした存在なのは確かです(むろんその分、オランダと敵対していたポルトガルには仇となったわけですが。)
 当時の日本の国情を記録したカロンの著作「日本大王国誌」は現代日本語訳も出ていて、Amazon等でも入手可能のようですよ。

 しかしトンデモな点は多々あれど、まだ日本が鎖国していた時代であることを考慮に入れると「幽霊船」のこうした記述はそれなりに史実を踏まえており正確なほうだと感じられます。作者のマリヤットはもと英海軍の艦長という立場上、外国の事情に関しては一般人より詳しかった可能性もありそうですが、いったい執筆に際して何を参考にしたのかは興味をひかれるところですね。

テーマ:歴史雑学
ジャンル:学問・文化・芸術

2014.01.14 01:00|怪奇幻想文学いろいろ
 そういえば前回でちらっと触れたフレデリック・マリヤットの小説「幽霊船」(The Phantom Ship)について、ずっと書きかけで放置してたことがあったんでした。

 オペラ版「幽霊船」に一部の設定が引用されているとはいえ、この物語には「さまよえるオランダ人」の伝説に基づくという以外、ディーチュやワーグナーの台本との共通点はほとんどありません。「さまよえるオランダ人」ことウィリアム・ヴァンダーデッケン(ファン・デア・デッケン)の息子フィリップを主人公に、父の幽霊船を探してその呪いをとこうと自らも船乗りになった彼の生涯を描く海洋冒険小説です。

 舞台となる時代はスペインから独立したばかりのオランダが植民地を求め、アジアに進出した十七世紀半ば。その時流の中でフィリップは東インド会社の一員となり、さらに海軍に徴用されたりもして世界の海をめぐります。たびたびアジアの各地が舞台となるだけでなく、驚いたのはなんとその当時の日本についてかなり長い言及があったことでした(「幽霊船」が書かれたのは日本が開国する前の1830年代)。

その箇所を含む話の流れは以前こちらで紹介しましたが、はしょりすぎて分かりづらいので少し補足させていただきます。
 
 主人公フィリップが乗り組む船は東南アジアからの帰途、救命ボートで漂流していた難破船の一行を救い上げます。難破したのは日本から戻る途上の自国オランダの船でしたが、中には船員たちに混じってマティアス神父というポルトガル人の老宣教師が乗っていました。

 長年日本に滞在し禁教令が出されたあとも密かに布教活動に従事していたマティアス神父は、とうとう幕府の追っ手から逃げきれなくなってオランダ人たちに保護を求め(宗教や立場の点でポルトガルはオランダと敵対関係にあったにせよ、少なくとも幕府よりは寛大な処置が期待できたので)、任期を終えて帰国するオランダ商館長を送り届ける船に同乗して本国に送還されるところだったのです。
 
 ところでフィリップは、異端視されないよう船の仲間には秘密にしていましたが、当時のオランダではひじょうな少数派だったカトリックの家系出身でした。ある夜人目のない当直中を見計らって、彼は神父に自分たちが同じ宗派であると打ち明けます。思わぬ知己を得て喜んだ神父がフィリップに語りはじめた日本のキリスト教徒たちの悲劇とは――

 こんな流れを経て始まるマティアス神父の日本史講義(違)によると大体次のような感じです(ざっと要約)
 
 ...聖フランシス=フランシスコ・ザビエルが伝えたキリスト教(カトリック)は、(しかしザビエルが最初に上陸したという the Island of Ximoとは?音が似ている日本語一般名詞の「島」と混ざってるんですかね)熱心な伝道によってまもなく日本国中に広まりました。 
 しかし後から日本にやってきたオランダ人たちは、もとより布教<貿易のスタンスだというのに、日本の信徒のあいだですでに信頼を勝ち得ていたポルトガル人のため自分たちの商売が不利益をこうむっているのが我慢なりません。そこでオランダ人の指導者層は、日本の君主である"emperor"(こう書かれてます)にキリスト教への不信を植え付け、立場を逆転しようと画策します。

 このあたりまでは、完全にポルトガル側からの視点としてならそこまで史実と離れてないような? いや日本史苦手な人間なので自信ありませんけど。"emperor"はまあ、天皇でなく江戸幕府の将軍ととるしかないでしょう。
 しかしその次に起こったこととは... ここだけちょっと原文を載せてみることにします。

...There was a Japanese lord of great wealth and influence who lived near us, and who, with two of his sons, had embraced Christianity, and had been baptised. He had two other sons, who lived at the emperor's court. This lord had made us a present of a house for a college and school of instruction: on his death, however, his two sons at court, who were idolaters, insisted upon our quitting this property. We refused, and thus afforded the Dutch principal an opportunity of inflaming these young noblemen against us: by this means he persuaded the Japanese emperor that the Portuguese and Christians had formed a conspiracy against his life and throne.(中略)
...The emperor, believing in this conspiracy, gave an immediate order for the extirpation of the Portuguese, and then of all the Japanese who had embraced the Christian faith. He raised an army for this purpose, and gave the command of it to the young noblemen I have mentioned, the sons of the lord who had given us the college. The Christians, aware that resistance was their only chance, flew to arms, and chose as their generals the other two sons of the Japanese lord, who, with their father, had embraced Christianity. Thus were the two armies commanded by four brothers, two on the one side and two on the other.


 ここも超簡単にまとめると、 
 息子二人と共にキリスト教に帰依していたある有力領主、いわゆるキリシタン大名がいましたが、地元を離れて「宮廷」に仕えていた別の息子二人は、父が神学校を建てるなどキリスト教への財政援助をしていたのが気に入りませんでした。
 大名の死後、その息子たちは父の行った寄進を返却するよう要求するもキリシタン側が拒んだことで両者の関係はさらに悪化。そこに時のオランダ商館長が付けこみ、彼らを焚きつけてキリシタンが国家転覆を企てていると"emperor"に吹き込みます。
 それを信じた"emperor"は、直ちにポルトガル人と日本人キリシタンを残らず滅ぼすよう命じ、訴えた息子たちが率いる大軍を差し向けました。一方キリシタン側でも、彼らの兄弟にあたる、父と一緒に改宗した側の息子二人を総大将に反乱軍を結成し対抗したのです。


 この「オランダ商館長」とは、上述のマティアス神父と一緒の船で帰国するところだった人物のことなのですが、難破のさいその元商館長は他の者がみなボートで脱出する中一人だけ命を落としてしまったのでした。
 もちろんマティアス神父にとってキリシタン迫害のきっかけを作った元商館長は目の敵だったので、唯一の犠牲者となったのも、宗派が違うとはいえ同じキリスト教徒を自分の利益のために大勢死に追いやった報いだとばっさり断罪されます。

 このキリシタンの反乱、すなわち島原の乱の話にはまだ続きがあるのですが、だいぶ長くなってきたので残りの内容はまた次回に。なお原文はこちらのWikisourceで読むことができます。

1/19追記:続きはこちら

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ジャンル:学問・文化・芸術

2014.01.02 22:03|音楽鑑賞(主にオペラ)
 新年おめでとうございます。
 これは本当は昨年末に投稿するつもりだったのに、ほぼ書き上げたところでPCのアクシデントで未保存のまま消えてしまい、大晦日から書き直す羽目になった記事です(泣) 最近は更新もグダグダではありますが、今年もよろしくお願いいたします。
 

 以前こちらの記事でとりあげたフランス人作曲家ピエール=ルイ・ディーチュのオペラ「幽霊船」(Le Vaisseau Fantome)ですが、マルク・ミンコフスキとレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの、ワーグナーの「オランダ人」初稿版との二本立て演奏会形式上演(実際にはウィーンだけでなく、本拠地グルノーブルはじめ何か所かでほぼ同じキャストによる公演があったようです)の録音が先月リリースされました。
(現地で聴いてこられてCD発売についてもご教示いただいたgalahadさん、この場を借りてお礼申し上げます。)

ワーグナー : さまよえるオランダ人 | ディーチュ : 幽霊船 (Wagner : Der Fliegende Hollander | Dietsch : Le Vaisseau Fantome / Marc Minkowski , Les Musiciens Du Louvre Grenoble) (4CD) [輸入盤]ワーグナー : さまよえるオランダ人 | ディーチュ : 幽霊船 (Wagner : Der Fliegende Hollander | Dietsch : Le Vaisseau Fantome / Marc Minkowski , Les Musiciens Du Louvre Grenoble) (4CD) [輸入盤]
(2013/11/20)
マルク・ミンコフスキ、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル - グルノーブル 他

商品詳細を見る

 
 届いたCDをようやく対訳と照らし合わせつつじっくり聴くことができたので、これまでずっと謎のままだったディーチュの作品のストーリーについて記しておこうと思います。

 よく知られているように、ワーグナーが自作、つまりのちの「さまよえるオランダ人」用に書き上げたプロットをパリ・オペラ座が買い取り、それをフシェとレヴォワルという二人組が新しく仕立て直した台本にオペラ座と関係の深い音楽家ディーチュが作曲したというのが「幽霊船」の成立経緯です。ですから大筋は「オランダ人」とほぼ同じとはいえ、実際リブレットを読んでみると内容自体はかなり異なった印象のものでした。

登場人物一覧:  ※( )内はワーグナー「オランダ人」における対応する役柄です。

バーロウ:シェトランドの商船主。お金に目がない。(ダーラント)
ミンナ:バーロウの娘。(ゼンタ)
マグナス:ミンナの幼なじみ。トロイルにその舵手を務めていた父が殺されたと知り、復讐を誓う。(エリック)
エリック:近所のおじさん。父親が航海で留守がちなミンナの面倒を見ている。(乳母マリー+舵取り?)
トロイル/ヴァルデマール:スウェーデンの船長。ある岬(喜望峰)を回ろうとして神を冒涜したため、海をさまよい続ける呪いをかけられる。(オランダ人)
シュリフテン:トロイルの船の乗組員。(該当なし)

 唯一当てはまるキャラクターのないシュリフテンですが、この名前は同じ題材を扱った英国のフレデリック・マリヤットによる小説「幽霊船」(←大筋はリンクした以前の記事で)からの借用です(CDのライナーノートによれば、マリヤットの「幽霊船」は本国で出版されてすぐの1839年には仏訳されていたとのこと)。
 
 ただ、原作のシュリフテンは無理やり岬を回ろうとする船長に歯向かって殺されてしまう舵取り(オペラだとマグナスの父にあたる人物)なので、ここではその名前が別人に与えられているというややこしいことになってます。以前ネット上で見つけたミュージカル・タイムズ誌掲載の論文でマグナスが「シュリフテンの息子」とされていたのも、おそらくマリヤットの小説との混同によるものでしょう。
 いっぽうそのマグナス父のほうは物語の展開上かなり重要な役割を担っているものの、こちらは言及されるだけで出てくることはありません。(もっとも幽霊が登場するオペラだって少なくないし、マグナスが父の亡霊から過去の出来事を知るくだりは説明台詞で済まさず実際に舞台で演じさせたらもっと効果的だったんじゃないかと思ってしまいましたが。)

それではあらすじ。ちなみに全曲の上演時間はだいたい一時間四十分程度です。

第一幕
 
 第一場:

 夕暮れ時、富裕な商人バーロウの家。彼が航海に出ているあいだ残された娘のミンナが寂しくないようにと、エリックたち近所の人々が集まって歌を楽しんでいます。あと一曲でお開きということになり、エリックからのリクエストでミンナは"De Satan mobile royaume"(それはサタンの漂う王国)というバラードを歌いだします。そのバラードとは、神に守られ不純な者は近づけないという岬を悪魔の助けによって過ぎようとしたため、永遠に海をさすらう呪いを受けた船長トロイルの物語でした。
 
 ミンナが「トロイルを救えるのは、死に至るまで彼への誠を誓う女性のみ」という第二節を終えたとき、しばらく姿を見せなかった彼女の幼なじみマグナスがとつぜん部屋に入ってきます。
 驚く一同に、彼はその歌にはまだ続きがあると「船長は彼の恐ろしい所業に反乱を起こそうとした舵取りを海に投げ入れたが、そのとき受けた手の傷は決してふさがらずに血を流し続けている」という内容の三節目を付け加え、さらにその舵取りこそが自分の父だといいます。どうしてそれを知ったのかミンナが尋ねても、マグナスは「天から告げられた」と答えるのみ。

 他の客たちが帰ると、一人居残ったマグナスは思い詰めたようにミンナに結婚を申し込みます。もともと彼には恋愛というより兄弟のような感情を抱いていたミンナですが、断って彼を苦しませたくないからと(どうにも消極的な感じではありますが)父親が認めてくれればという条件で承諾してしまいました。
 
 喜び勇んでマグナスが去ったあとの夜更け、嵐の訪れにミンナは海にいる父の身を案じ、さらにトロイルの運命に思いを馳せて彼にも救いをと祈りを捧げます。翌朝になって家に駆けつけてきたエリックから、バーロウは難破するも異国の船に救助されて無事上陸したと知らされた彼女は父の生還を神に感謝するのでした。

 第二場:

 バーロウの家に続く街路。娘と待望の再会を果たしたバーロウは、自分を助けてくれたのはヴァルデマールというスウェーデン人船長だと話します。ぜひ彼にお礼をしたいというミンナですが、なんと父親はすでにヴァルデマールに彼女の肖像を見せて結婚の約束までとりつけてしまったとのこと。バーロウは部下のいうヴァルデマールの不気味な雰囲気など気にする様子もなく、金持ちならたとえ悪魔でも喜んで婿にするさと歌って家に入っていきます。
 
 親娘が立ち去った通りでは、エリックら町の人々がスウェーデンの船乗り一同を飲みに誘いますが、中の一人シュリフテンはそんな酒飲めるかとすげなく断り、逆に持参したワインをエリックに勧めます。その味の異様さに驚愕したエリックは今度は歌比べを持ちかけるも、相手のぞっとするような歌に圧倒されたシェトランドの人々はだんだん逃げ腰に。

 その時ヴァルデマールが姿を現し、部下たちを一喝して船に追い返します。そして続けて家から出てきたミンナに、彼は海をさすらう自分の希望の灯になって欲しいと切々と訴えるのでした。マグナスとの約束を気にしつつも、次第に心を揺さぶられたミンナはついに承諾の言葉を口にしてしまいます…。

第二幕

 島の先端にある岩だらけの海岸。ミンナへの思いを振り切って修道院に入ることを決意したマグナスが門の前にひざまずいており、やがて修道院長に導かれて中に消えていきます。
 そして結婚式を控えたミンナが一人祈りを捧げようとやってきたとき、修道士姿で彼女を出迎えたマグナスは自分が司祭として二人を祝福すると告げるのでした。 

 しかしヴァルデマール、つまりトロイルはいまだにミンナに自分と運命を共にさせる決心がつきません。とうとう式の直前、花嫁を呼び出した彼は自分の正体を明かして別れを切り出しますが、ミンナはそれを知った上でなおも彼に従いたいと言い切ります。
 
 集まった人々に見守られ、司祭マグナスの前へと進み出る二人。しかし互いの指輪を交換しようとヴァルデマールが手袋を取ると、そこには血を流し続ける傷が口を開けていたのです。それがかつて父が負わせた傷と悟ったマグナスは一転、この男は呪われた船長、殺人犯トロイルだと激しく糾弾します。

 周囲の驚愕と怒号のなか海へ去ろうとするトロイルに向かい、ミンナは私があなたを救うと呼びかけるとそのまま海へ身を投じます。するとトロイルの船は轟音を立てて沈み、やがて晴れゆく雲の合間にはトロイルを神の御許へと導いてゆくミンナの姿が照らし出されるのでした。


******

 ワーグナー版と比べて面白かったのは、やっぱり各登場人物のキャラクターの違い。ヒロインのミンナには「オランダ人」のゼンタのように周囲から浮いた変人チックなところはないかわり、なんというか流されやすくて主体性がないのは現代人の価値観からするといらいらするほどです(笑)
 
 マグナスもはじめは身を引くのが潔すぎて逆に怖いくらいに思えましたが、これはよく読んでみるとそうでもなくて、彼は冒頭で登場した時点ですでにミンナに振られたら修道院入りする覚悟だったようです。
 上に補足すると、マグナスは父の亡霊からトロイルの殺人と目印の傷について告げられたとき、さらに「ある務め」(むろんマグナス本人は知りませんが、トロイルの罪を暴くこと)を果たすため神に仕えよと命じられ、それに従うかミンナとの幸せをとるかの二択を迫られて彼女の気持ちを確かめにきたというわけでした。
 まあ、物語の上に限っていえばマグナスはそうした背景があるぶん、「オランダ人」のエリックより共感しやすい役ではあります。音楽的にはトロイルやミンナと変わらないほど出番があるのに、アリアひとつもないのが不憫もいいところなんですが。

 しかしミンナとマグナスの年齢から考えて、トロイルの船が「幽霊船」になったのはどれだけ長くてもせいぜい二十数年前くらいの出来事ということになるので(ただマリヤットの小説にしてもそうなんですが、これは幽霊船の伝説が広まって歌までできてしまう期間としてはちょっと短すぎないでしょうか?)、トロイル以下船員たちにもまだそれなりに人間らしさが残ってたのかもしれませんね。彼らにつけられた音楽に決定的に不気味さが欠けているのは、そのためなんだろうと勝手に脳内補完しました(笑)。
 
歌手陣の顔ぶれは↓の通り。リヒター、カトラー、カレスは同梱のオランダ人初稿版にも出ていて聞き比べも楽しめます。

ミンナ:サリー・マシューズ(英)
トロイル:ラッセル・ブラウン(カナダ)
マグナス:ベルナルト・リヒター(スイス)
バーロウ:ウーゴ・ラベク(仏)
エリック:エリック・カトラー(米)
シュリフテン:ミカ・カレス(フィンランド)

 ディーチュの音楽は、幽霊船という超自然的存在の魔力を感じさせないのが物足りなくはありますが、フランス風なエレガンスのうちにも北の海の陰鬱さが漂うそれなりに聴きごたえあるものです。とりわけミンナ、トロイル、マグナスの緊迫したやり取りが続く二幕は歌手の皆さんとオケの熱演もあってなかなかの迫力でした。
 
 何はともあれ、幽霊船ものマニア(そんな人私以外にいるのか知りませんけど…)としては、このレア作品が復活上演されて録音まで発売されたことに感謝したいです。

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ジャンル:音楽

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筆不精にも関わらずメモ帳代わりとして始めてしまったブログ。
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