2014.08.27 00:40|怪奇幻想文学いろいろ|
ラヴェンナ滞在二日目。一家は逗留先の主である伯爵夫人親子に対面したあと、夫人の案内で市内観光に出かけます。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳) 前回はこちら
十月四日
もうびっくり!伯爵夫人は誰かメイドが付き添ってさえいれば、私は街にちょっとした散策に出てしかるべきだとおっしゃったのよ!そしてママがすぐさま私付きのメイドはいないと口を入れると、ご自身の召使にその役目をさせようと申し出てくださったんです。この日記にそんなこと起こりっこないと記した、まさに次の日にこういう成り行きになるなんて!
もちろん本来なら私はメイドの一人くらい連れているべきでしたし、パパとママにだってそれぞれ従僕とメイドがいて当たり前、だいいち扉には紋章付きのちゃんとした自家用馬車だってなくてはならないというのに。貧しさ故にそれができないわけでなし(うちが貧乏でないのは確かよ)、滑稽もいいところです。ともかくも、あれこれ言い立てるパパとママに向かい、伯爵夫人は私たちが今いるのは教会と教皇聖下がじきじきに統治される国で、それはすなわち神様の特別なご加護の下にあることなのですからと返されました。伯爵夫人は英語がたいへんお上手なばかりでなく、ミス・ギスボーンのいう”英国式慣用句”さえも心得ておられるようです。
私は伯爵夫人のおっしゃる通りにしようと心に決めています。青白くてちっぽけでも私は強靭な意志の持ち主だとミス・ギスボーンは言っていたけれど、今度こそそれを証明するうってつけの機会になるでしょう。やっかいなのは案内してくれるメイドがイタリア語しか話せないことですが、いずれにしたって二人でいるなら主人は私、彼女はただの召し使いに過ぎないことだけは揺るぎようのない事実。そのメイドにはもう会ってきました。鼻の大きさを別にすれば、かわいい子です。
今日も相変わらずじめじめしたお天気。午後になって、私たちは伯爵夫人の馬車でラヴェンナの街巡りに出かけました。昔はさぞ立派だったであろう両扉に紋章の描かれた馬車で、御者と扉の開け閉めをする従者も揃っています。
うちで雇っていた馬車はといえばパパがお役御免にしたので、きっと今頃はもと来た場所、ヴェニスの向かいにあるフジーナに向かってガタゴト引き返してゆく途中でしょう。パパがこれまでたいていの主な逗留先にとどまってきた期間からして、ラヴェンナにはあと一週間ほど滞在することになりそう。長くはなくても、私たち一家のような毎日の過ごし方をしていれば十分すぎるほどの時間です。
街では道端に慎ましくたたずむダンテのお墓、中に「ネプチューンの王座」のレリーフがあるお堂と見てまわり、そのあと内壁の碧い色がとても綺麗なガッラ・プラシディア(※西ローマ帝国の皇女)廟にも入りました。私はバイロン卿がお住まいの場所についてなにか分からないかと注意を払っていましたが、あれこれ推測するまでもなかったのです。というのも私たちの馬車がある通りを過ぎていく最中、伯爵夫人がほとんど叫ぶように声をあげられましたから。
「あれがパラッツォ・グイッチョーリですわ。ごらんになって、卿の飼っておられる動物たちが迷い出てしまわないよう、門の扉の下には網が張ってありますのよ。」
「さよう、さよう。」とパパは答え、ダンテのお墓のときよりもしげしげ外を眺めていました。
私は両親がバイロン卿の近年の放蕩ぶりを一度ならず話に出すのを聞いていたので、そこからどんな会話が続くことになるかだいたい察しがついたけれど、夫人もパパとママも私の前でどこまで口にしていいかわからなかったとみえて黙ってしまいました。何より夫人の足もとのクッションの上には彼女の小さな娘さん、なにも知るはずない無邪気なコンテッシーナも座っていたことでしたし。
“コンテッシーナ”というのは家族や召使が使う愛称のようなもので、正式には彼女は母親と同じ”コンテッサ”(女伯爵/伯爵夫人)なのです。一家に一組の「公爵」と「公爵夫人」しかいない私たちの国の便利な方式とはずいぶん違って、ややこしいことに外国では、たとえば公爵家ならその身内の男は誰もが「公爵」で、女は「女公爵」と呼ばれるみたい。
イギリスの女の子が幼く見られるのとは反対に、外国の女の子はたいてい実際よりずっと年上に見えるから、私には小さなコンテッシーナが本当はいくつなのか見当がつきません。彼女はシルフ(空気の精)のように華奢で、一点のしみもない皮膚は、本に出てくる「オリーブ色の肌」というものがあるとすればまさにそれだろうという色合い。途方もなく大きいのにどこを見ているともつかない、ソラマメの形で色もそれとあまり違わない眼をしています。めったに口を利かないうえしばしば放心したような虚ろな表情になるので、いささかならず頭が弱く見えるほどですが、ほんものの白痴というわけではないんでしょう。よくママが皮肉たっぷりに言うように、外国の女の子たちは私たちとまるっきり違う育てられ方をするんですものね。私やキャロラインの半分くらいしかない小さな足をした独特の愛らしさのあるひとだけれど、どうもコンテッシーナとは親しくなれる気がしないわ。
気の毒に外国の女の子たちは、大人になっても相変わらず年よりふけて見えることがほとんどですが、お母さんの方のコンテッサもやっぱりその例に漏れません。知り合ったばかりとはいえ、夫人は私に大層優しく――それにどこか同情さえ――して下さっていますが(でも私のほうでも彼女がどこか気の毒)、それにしても夫人という方は謎だらけです。 昨夜は一体どこに?コンテッシーナは一人っ子? 旦那様はどうされたの?彼を亡くしたからあんなに悲しげなのかしら?どうしてこんな、ろくに調度品もないうえ今にも崩れそうなだだっ広い家――呼び名はヴィラ(屋敷)でも、パラッツォ(宮殿)といってもおかしくない――に住む気になるの?ママに聞いてみてもいいけれど、どうせ答えられることなんて何にもないでしょうね。
今夜、伯爵夫人親娘は揃って夕食に現れ、ママも私の好きでない、ほんとに嫌な赤色――暗めの色はここイタリアではなんともくたびれて見えます――のフロックをまとって席についていました。どうしたってあれよりひどくなりようもないでしょうが(ビッグス=ハートリーさんは物事は万事につけ常に悪くなり得るものだから、そんなことを言ってはならないとおっしゃるけど)、昨夜に比べればまだましな晩でした。
かといって楽しいひとときだったわけでもありませんが。伯爵夫人はなにかご自身の悩み事にもかかわらず、せいいっぱい明るく振舞おうとされていた様子で、食事がすむとパパとママとの三人でカードとさいころを使うイタリア式のゲームを始めました。夫人は私にもそのゲームを教えてくださろうとしたというのに、パパが即座に言うには私はまだ子供だから無理ですって。全くもってばかげてます。
召使たちが灯りをともした客間でコンテッシーナは黙ってなにもせずに座り、私は好きでもない針仕事の手を動かしていました(大体裁縫なんて召使たちがやってくれるというのに、する意味がわからないわ)。ママは機会さえあろうものなら、子供はとっくに寝る時間だと口に出したかったに違いありません。
そしていつの間にか深い物思いにふけっているうち、気づくと伯爵夫人の頬を一粒の涙がゆっくりとつたい落ちていくところだったのです。反射的に椅子から飛び上がりましたが、そのときには夫人はもうこちらに微笑みかけておられ、私も座り直すほかありませんでした。人は取り立てて辛いわけでなくても、例えば楽しくやっているとき灯火で目が眩んだりといった当たり前の出来事で涙を流すこともあるのでしょうか。
体のこわばりがだいぶほぐれてきたのは有難いけれど、せめてもう少し家具が揃って心地よい部屋で過ごせたらと思います。それでも今夜は、幸いミネラルウォーターのボトル、それにグラスも寝室に持ってくることができました。ママはイタリアのミネラルウォーターなんてその辺の生活用水と大して変わらないといいますが、ここの生活用水ときたら脇道にある汚い井戸から汲むんですから、それと比べるのはさすがに大袈裟よ。ときどき自分がこんなに繊細過ぎなければよかったのに、それなら部屋のひどさやら何やらもさほど気にならずに済んだでしょうしと感じることがあります。たしかに、水についてはママは私より過敏かもしれないけれど、そんなことに対してそこまでこだわるなんて私にとってはありえません。本当に人生で必要不可欠なことに関しては、ママより私のほうが敏感だとはっきり言えるわ。なにせ私が生きるうえですべての基礎においているのは、現実の生活という明確そのものの事実なんですから。
いっそ小さなコンテッシーナが一緒に寝室を使うよう誘ってくれないかしら。彼女はどことなく私と同じ種類の繊細さを備えている気がするのです。でもコンテッシーナはお母さんと一緒の部屋で寝ているのかもしれませんし、第一パパとママが決して許してくれないでしょう。平凡この上なかったけれど、どこか奇妙な一日でもあった今日の出来事はこれで全部です。この広くて寒々しい部屋では、凍えて身動きもままなりません。
******
今度は前回よりもまた少しはしょってしまいました。ミス・ギスボーンに続いて今後も名前だけちょくちょく登場するビッグス=ハートリー氏ですが、この人はたぶん一家が住むダービシャーの教会の聖職者(牧師)っぽいです。
ところでレンタルでなく「自家用の馬車」(原語だと"carriage of our own")が入り用だというくだり、例えその分の費用があったとしても、英国から自分の家で所有する馬車を大陸まで船に乗せていくというのはさすがに面倒すぎるような。それとも御者や従僕だけ国から連れていって車体そのものは現地で調達してたんでしょうか、良く分かりません…。どっちにせよこのお父さんが相当なケチなのは間違いなさそうですが(笑)
次回は→こちら
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十月四日
もうびっくり!伯爵夫人は誰かメイドが付き添ってさえいれば、私は街にちょっとした散策に出てしかるべきだとおっしゃったのよ!そしてママがすぐさま私付きのメイドはいないと口を入れると、ご自身の召使にその役目をさせようと申し出てくださったんです。この日記にそんなこと起こりっこないと記した、まさに次の日にこういう成り行きになるなんて!
もちろん本来なら私はメイドの一人くらい連れているべきでしたし、パパとママにだってそれぞれ従僕とメイドがいて当たり前、だいいち扉には紋章付きのちゃんとした自家用馬車だってなくてはならないというのに。貧しさ故にそれができないわけでなし(うちが貧乏でないのは確かよ)、滑稽もいいところです。ともかくも、あれこれ言い立てるパパとママに向かい、伯爵夫人は私たちが今いるのは教会と教皇聖下がじきじきに統治される国で、それはすなわち神様の特別なご加護の下にあることなのですからと返されました。伯爵夫人は英語がたいへんお上手なばかりでなく、ミス・ギスボーンのいう”英国式慣用句”さえも心得ておられるようです。
私は伯爵夫人のおっしゃる通りにしようと心に決めています。青白くてちっぽけでも私は強靭な意志の持ち主だとミス・ギスボーンは言っていたけれど、今度こそそれを証明するうってつけの機会になるでしょう。やっかいなのは案内してくれるメイドがイタリア語しか話せないことですが、いずれにしたって二人でいるなら主人は私、彼女はただの召し使いに過ぎないことだけは揺るぎようのない事実。そのメイドにはもう会ってきました。鼻の大きさを別にすれば、かわいい子です。
今日も相変わらずじめじめしたお天気。午後になって、私たちは伯爵夫人の馬車でラヴェンナの街巡りに出かけました。昔はさぞ立派だったであろう両扉に紋章の描かれた馬車で、御者と扉の開け閉めをする従者も揃っています。
うちで雇っていた馬車はといえばパパがお役御免にしたので、きっと今頃はもと来た場所、ヴェニスの向かいにあるフジーナに向かってガタゴト引き返してゆく途中でしょう。パパがこれまでたいていの主な逗留先にとどまってきた期間からして、ラヴェンナにはあと一週間ほど滞在することになりそう。長くはなくても、私たち一家のような毎日の過ごし方をしていれば十分すぎるほどの時間です。
街では道端に慎ましくたたずむダンテのお墓、中に「ネプチューンの王座」のレリーフがあるお堂と見てまわり、そのあと内壁の碧い色がとても綺麗なガッラ・プラシディア(※西ローマ帝国の皇女)廟にも入りました。私はバイロン卿がお住まいの場所についてなにか分からないかと注意を払っていましたが、あれこれ推測するまでもなかったのです。というのも私たちの馬車がある通りを過ぎていく最中、伯爵夫人がほとんど叫ぶように声をあげられましたから。
「あれがパラッツォ・グイッチョーリですわ。ごらんになって、卿の飼っておられる動物たちが迷い出てしまわないよう、門の扉の下には網が張ってありますのよ。」
「さよう、さよう。」とパパは答え、ダンテのお墓のときよりもしげしげ外を眺めていました。
私は両親がバイロン卿の近年の放蕩ぶりを一度ならず話に出すのを聞いていたので、そこからどんな会話が続くことになるかだいたい察しがついたけれど、夫人もパパとママも私の前でどこまで口にしていいかわからなかったとみえて黙ってしまいました。何より夫人の足もとのクッションの上には彼女の小さな娘さん、なにも知るはずない無邪気なコンテッシーナも座っていたことでしたし。
“コンテッシーナ”というのは家族や召使が使う愛称のようなもので、正式には彼女は母親と同じ”コンテッサ”(女伯爵/伯爵夫人)なのです。一家に一組の「公爵」と「公爵夫人」しかいない私たちの国の便利な方式とはずいぶん違って、ややこしいことに外国では、たとえば公爵家ならその身内の男は誰もが「公爵」で、女は「女公爵」と呼ばれるみたい。
イギリスの女の子が幼く見られるのとは反対に、外国の女の子はたいてい実際よりずっと年上に見えるから、私には小さなコンテッシーナが本当はいくつなのか見当がつきません。彼女はシルフ(空気の精)のように華奢で、一点のしみもない皮膚は、本に出てくる「オリーブ色の肌」というものがあるとすればまさにそれだろうという色合い。途方もなく大きいのにどこを見ているともつかない、ソラマメの形で色もそれとあまり違わない眼をしています。めったに口を利かないうえしばしば放心したような虚ろな表情になるので、いささかならず頭が弱く見えるほどですが、ほんものの白痴というわけではないんでしょう。よくママが皮肉たっぷりに言うように、外国の女の子たちは私たちとまるっきり違う育てられ方をするんですものね。私やキャロラインの半分くらいしかない小さな足をした独特の愛らしさのあるひとだけれど、どうもコンテッシーナとは親しくなれる気がしないわ。
気の毒に外国の女の子たちは、大人になっても相変わらず年よりふけて見えることがほとんどですが、お母さんの方のコンテッサもやっぱりその例に漏れません。知り合ったばかりとはいえ、夫人は私に大層優しく――それにどこか同情さえ――して下さっていますが(でも私のほうでも彼女がどこか気の毒)、それにしても夫人という方は謎だらけです。 昨夜は一体どこに?コンテッシーナは一人っ子? 旦那様はどうされたの?彼を亡くしたからあんなに悲しげなのかしら?どうしてこんな、ろくに調度品もないうえ今にも崩れそうなだだっ広い家――呼び名はヴィラ(屋敷)でも、パラッツォ(宮殿)といってもおかしくない――に住む気になるの?ママに聞いてみてもいいけれど、どうせ答えられることなんて何にもないでしょうね。
今夜、伯爵夫人親娘は揃って夕食に現れ、ママも私の好きでない、ほんとに嫌な赤色――暗めの色はここイタリアではなんともくたびれて見えます――のフロックをまとって席についていました。どうしたってあれよりひどくなりようもないでしょうが(ビッグス=ハートリーさんは物事は万事につけ常に悪くなり得るものだから、そんなことを言ってはならないとおっしゃるけど)、昨夜に比べればまだましな晩でした。
かといって楽しいひとときだったわけでもありませんが。伯爵夫人はなにかご自身の悩み事にもかかわらず、せいいっぱい明るく振舞おうとされていた様子で、食事がすむとパパとママとの三人でカードとさいころを使うイタリア式のゲームを始めました。夫人は私にもそのゲームを教えてくださろうとしたというのに、パパが即座に言うには私はまだ子供だから無理ですって。全くもってばかげてます。
召使たちが灯りをともした客間でコンテッシーナは黙ってなにもせずに座り、私は好きでもない針仕事の手を動かしていました(大体裁縫なんて召使たちがやってくれるというのに、する意味がわからないわ)。ママは機会さえあろうものなら、子供はとっくに寝る時間だと口に出したかったに違いありません。
そしていつの間にか深い物思いにふけっているうち、気づくと伯爵夫人の頬を一粒の涙がゆっくりとつたい落ちていくところだったのです。反射的に椅子から飛び上がりましたが、そのときには夫人はもうこちらに微笑みかけておられ、私も座り直すほかありませんでした。人は取り立てて辛いわけでなくても、例えば楽しくやっているとき灯火で目が眩んだりといった当たり前の出来事で涙を流すこともあるのでしょうか。
体のこわばりがだいぶほぐれてきたのは有難いけれど、せめてもう少し家具が揃って心地よい部屋で過ごせたらと思います。それでも今夜は、幸いミネラルウォーターのボトル、それにグラスも寝室に持ってくることができました。ママはイタリアのミネラルウォーターなんてその辺の生活用水と大して変わらないといいますが、ここの生活用水ときたら脇道にある汚い井戸から汲むんですから、それと比べるのはさすがに大袈裟よ。ときどき自分がこんなに繊細過ぎなければよかったのに、それなら部屋のひどさやら何やらもさほど気にならずに済んだでしょうしと感じることがあります。たしかに、水についてはママは私より過敏かもしれないけれど、そんなことに対してそこまでこだわるなんて私にとってはありえません。本当に人生で必要不可欠なことに関しては、ママより私のほうが敏感だとはっきり言えるわ。なにせ私が生きるうえですべての基礎においているのは、現実の生活という明確そのものの事実なんですから。
いっそ小さなコンテッシーナが一緒に寝室を使うよう誘ってくれないかしら。彼女はどことなく私と同じ種類の繊細さを備えている気がするのです。でもコンテッシーナはお母さんと一緒の部屋で寝ているのかもしれませんし、第一パパとママが決して許してくれないでしょう。平凡この上なかったけれど、どこか奇妙な一日でもあった今日の出来事はこれで全部です。この広くて寒々しい部屋では、凍えて身動きもままなりません。
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今度は前回よりもまた少しはしょってしまいました。ミス・ギスボーンに続いて今後も名前だけちょくちょく登場するビッグス=ハートリー氏ですが、この人はたぶん一家が住むダービシャーの教会の聖職者(牧師)っぽいです。
ところでレンタルでなく「自家用の馬車」(原語だと"carriage of our own")が入り用だというくだり、例えその分の費用があったとしても、英国から自分の家で所有する馬車を大陸まで船に乗せていくというのはさすがに面倒すぎるような。それとも御者や従僕だけ国から連れていって車体そのものは現地で調達してたんでしょうか、良く分かりません…。どっちにせよこのお父さんが相当なケチなのは間違いなさそうですが(笑)
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