2014.08.01 01:03|怪奇幻想文学いろいろ|
買ったままほとんど目を通していなかったロバート・エイクマンの作品集、Cold Hand in Mineを何かの拍子に手に取ったら、たまたま開いたページの一篇に目が留まり読みふけってしまいました。
タイトルは Pages From a Young Girl's Journal (ある少女の日記帳から)。エイクマンはこの作品で第一回のWorld Fantasy Award(世界幻想文学大賞)の短編部門を受賞しています。しかし日本で翻訳が出たことはないらしく、読み終えて何らかの形でこのブログで紹介できないかと考えた結果、抄訳を少しずつ掲載していこうと思い立ちました。
※日本語版Wikipediaはじめ、ネット上ではタイトルを"Pages From a Young Girl's Diary"としているものが少なからず見受けられるのですが、このブログでは手持ちの版に合わせて" Journal "で通します。
物語は1820年ごろを舞台に(ちなみに、作中の年代は後に出てくるイベントによってかなり特定できます)両親に連れられてイタリア旅行中の英国人少女が綴った旅日記という体裁をとっています。
最初は以前やった「グレン・キャリッグ号」方式であらすじの要約をあげていくつもりでしたが、この日記という形式からして、それでは本来の不気味さと面白さが完全に損なわれてしまうかな~ということで今回の方式に落ち着きました。訳に関しては本来の雰囲気をできるだけ残そうと苦心はしたつもりです。それでもあくまで抄訳ですので、読みやすいボリュームにまとめるため何箇所か(あとうまい日本語が見つからなかったところも…)カットしております。だいたい最近ものすごく更新ペースが落ちてますのでいつになったら完結できるかさっぱりですが、これら諸々お許しいただけるという方は気長にお付き合いください。
ロバート・エイクマン "Pages From a Young Girl's Journal"
十月三日 パドヴァ ― フェラーラ ― ラヴェンナ。
あのひどいヴェニスを発ってから四日、私たちはラヴェンナに到着しました。ずっと借りた馬車に揺られて!体中は痛むしひどい虫刺され。昨日も一昨日もその前の日も同じことの繰り返しだったわ。
だれか話し相手がほしいです。今夜ママは夕食にぜんぜん姿を見せなかったし、パパはなんにも言わずに座っているだけで、ふだんの百歳ではなく少なくとも二百歳ぐらいには見えました。パパって本当は一体いくつなのかしら?分かりっこない事を考えても仕方がないけれど、ママならかなりよく知っていそう。ママがキャロラインのお母様のように気安く話せる人ならよかったのに。口に出したことはありませんが、キャロラインと彼女のママは一緒にいると親子というより姉妹みたいだとよく思ったものです。キャロラインは可愛くて明るい子だけれど、私は青白くて無口。夕食を終えてこの部屋に戻ってから、私は長い鏡の前にずっと座ってそこに映る姿を見つめていました。三十分、ひょっとすると一時間はそうしていたかもしれません。立ち上がった時には外はもう真っ暗でした。
この部屋は嫌いです。大きすぎるし、備えつけてあるものといえば金と青緑の色がはげかかった木の椅子が二脚だけ。ベッドは私のサイズなら八人が寝られるくらい巨大とはいえ、干上がった夏の地面のような硬さ!でもこの国の地面がそうだというんじゃありません、大違い。ヴェニスを出発してから雨はいっときも止んでいませんから。懐かしいダービシャーを離れる前、ミス・ギスボーンが話してくれたことからはほど遠いありさまというものよ。
思い出してみれば今日は三日だから、私たちが旅に出てちょうど半年経ったということになります。その間にどれほど多くの場所を回ったことでしょう!いくつかの町についてはもうほとんど忘れてしまいました。何にせよ変わり者のパパのおかげで、私はそれらをちゃんと見物してはいないのだし。私にとってパドヴァといったら、石か青銅の――どちらかもはっきりしません――騎馬像がすべてで、フェラーラのほうは恐ろしくて見たいとも思わなかった巨大な宮殿とお城と要塞だけ。その大きさといったらある意味このベッド並みだったわ。今週通ってきたばかりの有名な二つの都市でこのありさまだから、二ヶ月前にいたところに関しては言わずもがなよ!なんて滑稽なの!というのはキャロラインのママの口ぐせだけれど、彼女とキャロラインがここにいてくれさえしたら。あの二人のようには誰も私を抱きしめてキスしたり、愉快な気分にさせたりしてはくれないのだもの。
することといったら読書ぐらいしかなさそうです――お祈りは別でしょうけど。あいにくイギリスから持ってきた本はとっくに全部読み終わってしまい、こちらで新しい本、とりわけ英語のものを手に入れるのはひどく難しいのだけれど、それでも私はヴェニスを発つ前にラドクリフ夫人のかなり長い小説を二冊買うことができました。
伯爵夫人は一ダースものロウソクを引き出しに用意してくださってましたが、ロウソクがそれだけあるのに燭台のほうは壊れかけたのが二つきり。ロウソク二本分の明かりでも事足りるとはいえ、その光で部屋はいっそう暗く、大きく見える気がします。ロウソクもあまり上等でない品らしく、その上引き出しに長く入れておかれて汚れたのか、一本はほぼ真っ黒になっている始末です。そういえば部屋の真ん中には、天井から何か骨組みのようなものが吊り下がっているけれど、とてもシャンデリアと呼べた代物ではなくシャンデリアの亡霊といったところ。そこからでさえベッドの足元までにはずいぶん間隔があるこの部屋は、私たちが泊まってきた外国のお屋敷のうちでも並外れた巨大さで、去年の冬中ダービシャーで着ていた深緑のウールのドレスを着ていてもひどく寒いです。
この日記をつけだしてからきょうで六日、私はいつもこうした事を始めるとそうなのですが、自分が思い浮かぶありとあらゆることを書きとめているのに気がつきました。日記を書き続けている限り、私には何も恐ろしいことなど起こりっこないという気がします。もちろんそんなのは馬鹿馬鹿しいけれど、果たして一番馬鹿げたことが一番真実に近いことなどめったにないとは言い切れるかしら。
でも私はこうやって何を言おうとしているんでしょう?出発前、周りの人たちは口を揃えて私に何はともあれ日記、つまり旅行記をつけるべきだといったものだわ。でも私には、とうていこれが旅行記だなんて思えません。なぜってパパとママと一緒の道中では、私はろくに外の世界を見ることもできないんですから。私たち三人が馬車でガタゴト揺られているあいだは、外が見える――少なくとも一番よく見える――席を占めるのは当然ながらパパとママ。でなければだだっ広い納骨堂のような寝室で何時間も何時間も、時には一晩中寝つけないまま一人放っておかれます。あちこちの街をときどきは自分で歩けたなら、もっといろいろ見て回れるでしょうけど――もちろん夜にとは言わないわ。しばしば私は女の子だということが嫌になります。パパだって私が女の子という事実をこれ以上は嫌えないだろうというほど。
そして書く材料があるとすれば、それはいつだって同じ!こんなことを考えたらいけないと分かってはいても、いつも黙りこくって気難しくて、それは年寄りじみたパパのような人物となぜあれほど多くの人たちが近付きになりたがるのかときおり不思議で仕方なくなります。単にその人たちがパパに――それにママや私に――会ったことがないからかもしれませんが。
書くのを忘れていましたが、この屋敷で私たちはある名門の一家と顔合わせをすることになっています。ただ一家といっても伯爵夫人、それにその令嬢の二人だけなんですって。これまでいやというほど女の人と会ってきたおかげで、どんな年齢であれ新しい知り合いを増やしたいとも思わないけれど。キャロラインやそのママのようでない限り、女の人たちってなんだか退屈な存在です。
伯爵夫人と娘さんの姿はまだ見ていません。なぜかは不明ながら事情を知っているらしいパパは、二人には明日引き合わされることになっていると言ってたわ、ちっとも期待はしていませんが。ウールでなくて緑色のサテンのドレスを着られるぐらいには暖かくなるかしら?たぶん無理でしょうね。
それでもここはあの偉大な、不滅のバイロン卿が罪と狂乱の中に暮らすまさにその町なんです!ママですらそのことを何度か話していたほどよ。その哀愁の家は実際には市内ではなく、どちらの方角かはわからないけれど少し郊外のヴィラとのことですが、それでもあのバイロン卿と同じ領域にいるという事実はどんなに頑なな精神をもいくらかは揺さぶるに違いありません――そして私はそうした精神の持ち主ではありませんもの。
気がつけばもう一時間近くもペンを走らせていました。ミス・ギスボーンは私の文章の欠点は、不必要なハイフンを入れすぎる傾向にあることだといつも言います。もしそれが欠点なら、私はこれからも守っていくつもり。一時間経ったというのは十五分おきに大時計の鳴る音がするので分かったのです。その音のやかましさからしてたいそう大きな時計に違いないけれど、外国のものといったらとにかく何もかもばかばかしく巨大なんですから。
一層冷えてきて、両腕は寒さですっかりこわばってしまいました。それでもどうにか服を脱ぎ捨てロウソクを吹き消して、あの大きくてぞっとするベッドの中に潜りこまなくてはならないわ。異国の旅の途中で体中が凝るのほど嫌なものはありませんが、夜間それがさらにひどくならないよう願うばかり。それに喉が乾いたりもしないといいのだけれど。周囲には飲用水はいうまでもなく、一滴の水もないんです。
ああ、騒擾と悪意の中に暮らしておられるバイロン卿!あの方は私のような存在をどう思われるでしょう?この部屋にあまり沢山刺す虫がいませんように。
******
なんだかズラズラ文字が続いて読みにくい!と思われそうなのは原文からしてこんな仕様なんです。話題もあちこち行ったりきたりでどうも落ち着きのない印象を受けるのも(言い訳のようですがあいだの部分をカットしているからではありません…無論そういう箇所もあるにはありますが)、思春期の少女が口に出せない本音をぶちまける日記の書き込みという設定を考えるとむしろリアルで、エイクマンはその辺良く作りこんでいると思います。
しかし一時間弱でこれだけ書きまくるって相当ハイペースではないでしょうか。私なんて一つのブログ記事に最低一時間半はかかりますよ←比較になってない
ミス・ギスボーンというのはおそらく故郷ダービシャーでの家庭教師でしょう。少女の「パパ」がどういう立場で何をしている人かはほとんど分かりませんが、少なくとも格式のある屋敷に逗留できることからしてそれなりの身分ではあるようです。
彼女がヴェニスで買った「ラドクリフ夫人の本」というのは、当時のイギリスで絶大な人気を誇ったゴシック小説作家アン・ラドクリフ(←wikiリンク)のこと。イタリアの古い屋敷(ゴシックものの定番)にバイロンにとがっちり舞台背景を揃えたこの作品自体も、かなりゴシック小説のオマージュ(さらに○○○ものでもあります!)色が濃厚で、どちらかというとプロットよりはそういう雰囲気を楽しむタイプかも。まあ今のところは今後の展開にご期待ください…。
次回はこちら。
タイトルは Pages From a Young Girl's Journal (ある少女の日記帳から)。エイクマンはこの作品で第一回のWorld Fantasy Award(世界幻想文学大賞)の短編部門を受賞しています。しかし日本で翻訳が出たことはないらしく、読み終えて何らかの形でこのブログで紹介できないかと考えた結果、抄訳を少しずつ掲載していこうと思い立ちました。
※日本語版Wikipediaはじめ、ネット上ではタイトルを"Pages From a Young Girl's Diary"としているものが少なからず見受けられるのですが、このブログでは手持ちの版に合わせて" Journal "で通します。
物語は1820年ごろを舞台に(ちなみに、作中の年代は後に出てくるイベントによってかなり特定できます)両親に連れられてイタリア旅行中の英国人少女が綴った旅日記という体裁をとっています。
最初は以前やった「グレン・キャリッグ号」方式であらすじの要約をあげていくつもりでしたが、この日記という形式からして、それでは本来の不気味さと面白さが完全に損なわれてしまうかな~ということで今回の方式に落ち着きました。訳に関しては本来の雰囲気をできるだけ残そうと苦心はしたつもりです。それでもあくまで抄訳ですので、読みやすいボリュームにまとめるため何箇所か(あとうまい日本語が見つからなかったところも…)カットしております。だいたい最近ものすごく更新ペースが落ちてますのでいつになったら完結できるかさっぱりですが、これら諸々お許しいただけるという方は気長にお付き合いください。
ロバート・エイクマン "Pages From a Young Girl's Journal"
十月三日 パドヴァ ― フェラーラ ― ラヴェンナ。
あのひどいヴェニスを発ってから四日、私たちはラヴェンナに到着しました。ずっと借りた馬車に揺られて!体中は痛むしひどい虫刺され。昨日も一昨日もその前の日も同じことの繰り返しだったわ。
だれか話し相手がほしいです。今夜ママは夕食にぜんぜん姿を見せなかったし、パパはなんにも言わずに座っているだけで、ふだんの百歳ではなく少なくとも二百歳ぐらいには見えました。パパって本当は一体いくつなのかしら?分かりっこない事を考えても仕方がないけれど、ママならかなりよく知っていそう。ママがキャロラインのお母様のように気安く話せる人ならよかったのに。口に出したことはありませんが、キャロラインと彼女のママは一緒にいると親子というより姉妹みたいだとよく思ったものです。キャロラインは可愛くて明るい子だけれど、私は青白くて無口。夕食を終えてこの部屋に戻ってから、私は長い鏡の前にずっと座ってそこに映る姿を見つめていました。三十分、ひょっとすると一時間はそうしていたかもしれません。立ち上がった時には外はもう真っ暗でした。
この部屋は嫌いです。大きすぎるし、備えつけてあるものといえば金と青緑の色がはげかかった木の椅子が二脚だけ。ベッドは私のサイズなら八人が寝られるくらい巨大とはいえ、干上がった夏の地面のような硬さ!でもこの国の地面がそうだというんじゃありません、大違い。ヴェニスを出発してから雨はいっときも止んでいませんから。懐かしいダービシャーを離れる前、ミス・ギスボーンが話してくれたことからはほど遠いありさまというものよ。
思い出してみれば今日は三日だから、私たちが旅に出てちょうど半年経ったということになります。その間にどれほど多くの場所を回ったことでしょう!いくつかの町についてはもうほとんど忘れてしまいました。何にせよ変わり者のパパのおかげで、私はそれらをちゃんと見物してはいないのだし。私にとってパドヴァといったら、石か青銅の――どちらかもはっきりしません――騎馬像がすべてで、フェラーラのほうは恐ろしくて見たいとも思わなかった巨大な宮殿とお城と要塞だけ。その大きさといったらある意味このベッド並みだったわ。今週通ってきたばかりの有名な二つの都市でこのありさまだから、二ヶ月前にいたところに関しては言わずもがなよ!なんて滑稽なの!というのはキャロラインのママの口ぐせだけれど、彼女とキャロラインがここにいてくれさえしたら。あの二人のようには誰も私を抱きしめてキスしたり、愉快な気分にさせたりしてはくれないのだもの。
することといったら読書ぐらいしかなさそうです――お祈りは別でしょうけど。あいにくイギリスから持ってきた本はとっくに全部読み終わってしまい、こちらで新しい本、とりわけ英語のものを手に入れるのはひどく難しいのだけれど、それでも私はヴェニスを発つ前にラドクリフ夫人のかなり長い小説を二冊買うことができました。
伯爵夫人は一ダースものロウソクを引き出しに用意してくださってましたが、ロウソクがそれだけあるのに燭台のほうは壊れかけたのが二つきり。ロウソク二本分の明かりでも事足りるとはいえ、その光で部屋はいっそう暗く、大きく見える気がします。ロウソクもあまり上等でない品らしく、その上引き出しに長く入れておかれて汚れたのか、一本はほぼ真っ黒になっている始末です。そういえば部屋の真ん中には、天井から何か骨組みのようなものが吊り下がっているけれど、とてもシャンデリアと呼べた代物ではなくシャンデリアの亡霊といったところ。そこからでさえベッドの足元までにはずいぶん間隔があるこの部屋は、私たちが泊まってきた外国のお屋敷のうちでも並外れた巨大さで、去年の冬中ダービシャーで着ていた深緑のウールのドレスを着ていてもひどく寒いです。
この日記をつけだしてからきょうで六日、私はいつもこうした事を始めるとそうなのですが、自分が思い浮かぶありとあらゆることを書きとめているのに気がつきました。日記を書き続けている限り、私には何も恐ろしいことなど起こりっこないという気がします。もちろんそんなのは馬鹿馬鹿しいけれど、果たして一番馬鹿げたことが一番真実に近いことなどめったにないとは言い切れるかしら。
でも私はこうやって何を言おうとしているんでしょう?出発前、周りの人たちは口を揃えて私に何はともあれ日記、つまり旅行記をつけるべきだといったものだわ。でも私には、とうていこれが旅行記だなんて思えません。なぜってパパとママと一緒の道中では、私はろくに外の世界を見ることもできないんですから。私たち三人が馬車でガタゴト揺られているあいだは、外が見える――少なくとも一番よく見える――席を占めるのは当然ながらパパとママ。でなければだだっ広い納骨堂のような寝室で何時間も何時間も、時には一晩中寝つけないまま一人放っておかれます。あちこちの街をときどきは自分で歩けたなら、もっといろいろ見て回れるでしょうけど――もちろん夜にとは言わないわ。しばしば私は女の子だということが嫌になります。パパだって私が女の子という事実をこれ以上は嫌えないだろうというほど。
そして書く材料があるとすれば、それはいつだって同じ!こんなことを考えたらいけないと分かってはいても、いつも黙りこくって気難しくて、それは年寄りじみたパパのような人物となぜあれほど多くの人たちが近付きになりたがるのかときおり不思議で仕方なくなります。単にその人たちがパパに――それにママや私に――会ったことがないからかもしれませんが。
書くのを忘れていましたが、この屋敷で私たちはある名門の一家と顔合わせをすることになっています。ただ一家といっても伯爵夫人、それにその令嬢の二人だけなんですって。これまでいやというほど女の人と会ってきたおかげで、どんな年齢であれ新しい知り合いを増やしたいとも思わないけれど。キャロラインやそのママのようでない限り、女の人たちってなんだか退屈な存在です。
伯爵夫人と娘さんの姿はまだ見ていません。なぜかは不明ながら事情を知っているらしいパパは、二人には明日引き合わされることになっていると言ってたわ、ちっとも期待はしていませんが。ウールでなくて緑色のサテンのドレスを着られるぐらいには暖かくなるかしら?たぶん無理でしょうね。
それでもここはあの偉大な、不滅のバイロン卿が罪と狂乱の中に暮らすまさにその町なんです!ママですらそのことを何度か話していたほどよ。その哀愁の家は実際には市内ではなく、どちらの方角かはわからないけれど少し郊外のヴィラとのことですが、それでもあのバイロン卿と同じ領域にいるという事実はどんなに頑なな精神をもいくらかは揺さぶるに違いありません――そして私はそうした精神の持ち主ではありませんもの。
気がつけばもう一時間近くもペンを走らせていました。ミス・ギスボーンは私の文章の欠点は、不必要なハイフンを入れすぎる傾向にあることだといつも言います。もしそれが欠点なら、私はこれからも守っていくつもり。一時間経ったというのは十五分おきに大時計の鳴る音がするので分かったのです。その音のやかましさからしてたいそう大きな時計に違いないけれど、外国のものといったらとにかく何もかもばかばかしく巨大なんですから。
一層冷えてきて、両腕は寒さですっかりこわばってしまいました。それでもどうにか服を脱ぎ捨てロウソクを吹き消して、あの大きくてぞっとするベッドの中に潜りこまなくてはならないわ。異国の旅の途中で体中が凝るのほど嫌なものはありませんが、夜間それがさらにひどくならないよう願うばかり。それに喉が乾いたりもしないといいのだけれど。周囲には飲用水はいうまでもなく、一滴の水もないんです。
ああ、騒擾と悪意の中に暮らしておられるバイロン卿!あの方は私のような存在をどう思われるでしょう?この部屋にあまり沢山刺す虫がいませんように。
******
なんだかズラズラ文字が続いて読みにくい!と思われそうなのは原文からしてこんな仕様なんです。話題もあちこち行ったりきたりでどうも落ち着きのない印象を受けるのも(言い訳のようですがあいだの部分をカットしているからではありません…無論そういう箇所もあるにはありますが)、思春期の少女が口に出せない本音をぶちまける日記の書き込みという設定を考えるとむしろリアルで、エイクマンはその辺良く作りこんでいると思います。
しかし一時間弱でこれだけ書きまくるって相当ハイペースではないでしょうか。私なんて一つのブログ記事に最低一時間半はかかりますよ←比較になってない
ミス・ギスボーンというのはおそらく故郷ダービシャーでの家庭教師でしょう。少女の「パパ」がどういう立場で何をしている人かはほとんど分かりませんが、少なくとも格式のある屋敷に逗留できることからしてそれなりの身分ではあるようです。
彼女がヴェニスで買った「ラドクリフ夫人の本」というのは、当時のイギリスで絶大な人気を誇ったゴシック小説作家アン・ラドクリフ(←wikiリンク)のこと。イタリアの古い屋敷(ゴシックものの定番)にバイロンにとがっちり舞台背景を揃えたこの作品自体も、かなりゴシック小説のオマージュ(さらに○○○ものでもあります!)色が濃厚で、どちらかというとプロットよりはそういう雰囲気を楽しむタイプかも。まあ今のところは今後の展開にご期待ください…。
次回はこちら。