2014.11.18 10:15|怪奇幻想文学いろいろ|
前回途中で切った「十月八日」の分からの続きとなります。パーティーは終わり、少女が思い返す前夜の出来事とは…。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
そう言いつつベッドに起き直って鏡に映った自分の姿を見てみると、確かにいつになく顔色が青ざめています。まだ朝のひどく早いうちですからと言いかけましたが、その時伯爵夫人がはっと息を呑んで身を引かれたかと思うと、そのお顔からは私と変わらないくらい(もともと濃い目の肌色をされているにしては)血の気が失せていったのです。夫人が手を伸ばして何かを指差された先にあったのは、どうやら私が背にしている枕らしく思われました。
夫人の狼狽ぶりに戸惑って思わず私もあたりを見回すと、目にとまったのは枕の上のいびつな赤い染み。大きくはないけれど、それは紛れもなく血の痕でした。思わず両手を喉もとに持っていったときです。
「Dio Illustrissimo!」と夫人が叫ばれたの。続いて「Ell’e stregata! 」
ダンテやら何やらで多少はイタリア語をかじっていたおかげで、私にもそれが「この子は魅入られてしまった!」という意味なことぐらいはわかったわ。夫人が一瞬部屋から出ていきたそうなそぶりをされたので、私は何かもう少し言葉を引き出せないかと、とっさにベッドから飛び出して彼女に両腕を投げかけ抱きつきました。
でも上手くいきそうにないとは初めから分かっていたけれど。イタリアの人ときたら教育のあるなしを問わず、魔術や憑き物の類いに関しては私たちには信じられないくらい大真面目にとって、話題にすることさえはばかるんですものね。ほんとう、夫人は私に触れられただけでひどく取り乱した様子だったのです。それでもすぐに気を静められると快活な声で、両親に私のことを相談してこなくてはと「さあ、朝ごはんを召し上がれ」と言い添え出ていかれました。
ひとりになって姿見で顔と喉もとをよく調べてみると、やはり首のところに小さな傷があり、これで枕に血がついていたわけが解りました。ただ謎なのはどうしてそんな怪我をしたかですが、昨夜のパーティーに満ちみちていた未知の体験と苦痛と興奮とを思えばそれだけでも十分な原因ではないかしら?ひとたび自分から進んで愛を賭けた勝ち抜き試合(トーナメント)に参戦したのなら、それを無傷で切り抜けられるなどと考えるのは虫がよすぎるというものです。
顔色が青いのだって太陽が余りにまばゆいので相対的にそう見えてしまっただけのことでしょうし、しごく当たり前のちょっとした事故に伯爵夫人があれほど過剰な反応を示されたのは、いかにもイタリア的な迷信深さのあらわれとしか思えません。私にしたら枕の血痕なんて動揺するほどのことですらないけれど、ただシーツを取り換える係の女の子がびっくりしてヒステリーの発作を起こしたりしないよう願ってます。
私はひとまずベッドに戻り、夫人が運んできてくださった朝食をかけらも余さず平らげました。お腹が空っぽでもうふらふらになっていたんです。なにしろ昨晩のパーティーで口にした飲食物のたぐいといえば、はっきり思い出せるのはこれまでの人生で一度もなかったほどワインを飲み過ぎたことくらいでしたもの。
空腹も落ち着いたので陽の光を顔に浴びてナイトガウン姿でベッドにゆったり横になり、出会った「彼」の思い出を噛みしめはじめました。あんな方が本当にこの世に存在するなんて誰が想像できたでしょうか。小説家の筆になるいちばん魅力的な男性だってその足元にも及ばないような人が、現実に私の目の前に降り立ったんです!あの方はアドニスよ、アポロよ、踏みしめた地面からは不死の園の花アスフォデルが咲き出す神そのものよ!
何よりロマンチックなことに、「彼」と私との出会いは――いえ、実際のところ彼は誰ともそうしなかったけれど――格式張った紹介の挨拶などとは無縁だったんです。作法に叶ったことでないと分かっていても、それがまたいっそうわくわくする気分をかき立てたのは否定できません。
お客の大部分が古いメヌエットの曲にあわせて踊っている最中でした。その踊りを知らない私はママと二人部屋の隅っこで座っているほかなかったのですが、ママはもうパーティー疲れですっかり参っていたみたい。やにわに、すぐに戻ってきますからねと私に念を押したかと思うと、そのまま退出していってしまったの。
その時です、ママと入れ違いのようにして「彼」が姿を現したのは。まるで壁を覆う色褪せたタペストリーのあいだから、というよりはタペストリーそのものから抜け出てきたようだったのに、自身は色褪せたというのとは程遠い輝きをまとって。もっとものちほど晩餐用により沢山の灯火が持ってこられた後で見ると、「彼」は最初の印象よりは年かさに思えましたが、同時に私の目を奪ったのはその容貌にたたえられた他に類をみない知性と経験とでした。
そうでさえなければすぐに立ち去っていたことでしょうけど、「彼」はただ話しかけるというより有無を言わさぬ言葉と眼差しとを使って私を押しとどめてしまったのだわ。「彼」の英語はとても洗練されていて、そのアクセント(イタリア風の訛りとはまた違った)はたぐいまれな話術に、さらに考え深げで心地よい響きを添えていました。 はじめ"貴方は秋枯れの庭にたった一輪ほころぶバラのよう"と言われたのはお愛想と聞き流しても、私をその場に釘付けにしたのは続く運命的な一言にほかならなかったのです。
「共にここではない世界からの訪い人であるわれわれ二人、今ここでお近づきになっておかねばなりませんね。」
まさしくそれは、私が常日頃自分自身に対して抱いていた感覚そのままでしたから。
それはそうと、「彼」がパーティーのお客をさして、ひとり残らず"秋枯れ"の年配と言ったのが事実でないことだけは訂正しておかなくては。確かに大部分はその通りでしたが、伯爵夫人は私と釣り合いが取れるようにと、わざわざ土地の上流階級出の若い男の方数人を招待してくださっていたのです。とはいえお互いろくに言葉は通じないし、何より私の目には彼らは揃いも揃ってでくの坊みたいにしか映らなかったものですから、引き合わされたところでそれ以上の会話に発展するわけもありません。
それでも理解ある夫人は、せっかくのお心遣いが不首尾に終わったのを悟られても、ろくに火花さえ熾ってもいない炎をむだに煽る真似なんて決してなさいませんでしたけど。いったんこの手のことに首を突っ込んだが最後、一晩どころか何日何週間、下手したら何年でもふいごを抱えて付きまとって恋の火花を焚きつけたがるダービシャーのおばさま方とは大違いね!ともかくもそうした訳で、四人の若い殿方はコンテッシーナや出席していた他の小さな子たちの相手をすることになったのでした。
******
以降もまだまだ続くこの日の書き込み。この筆の速さ、私も見習いたいものです… なお今回からタイトルを「日記帳から」→「日記帳より」に変更しました。特に意味があるわけじゃありませんが、なんとなくこっちのほうが語呂が良いかなと。
ところで主人公の傷に驚愕して夫人が発する台詞、この作品には以降も同じようにイタリア語がそのまま使われている箇所がたまにあります。どれもごく短いものですが、私の伊語ボキャブラリーは絶対この主人公の女の子以下なので機械翻訳とネット辞書頼みの訳とお考えください(汗)
Ell’e stregata! が「彼女は魅入られた」(英語では"She is bewitched")という意味なのは本文中にある通りですが、Dio Ilustrissimo!は"Most Illustrious God!" すなわち「(この上なく輝かしい)神様!」というほどのこと。 (ちなみにイタリア語でcasa stregata は「幽霊屋敷」、stregaは「魔女」だそうで) 分かる人には分かると思いますが、彼女の首の傷はつまりそういうわけです…。
次回は→こちら
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
そう言いつつベッドに起き直って鏡に映った自分の姿を見てみると、確かにいつになく顔色が青ざめています。まだ朝のひどく早いうちですからと言いかけましたが、その時伯爵夫人がはっと息を呑んで身を引かれたかと思うと、そのお顔からは私と変わらないくらい(もともと濃い目の肌色をされているにしては)血の気が失せていったのです。夫人が手を伸ばして何かを指差された先にあったのは、どうやら私が背にしている枕らしく思われました。
夫人の狼狽ぶりに戸惑って思わず私もあたりを見回すと、目にとまったのは枕の上のいびつな赤い染み。大きくはないけれど、それは紛れもなく血の痕でした。思わず両手を喉もとに持っていったときです。
「Dio Illustrissimo!」と夫人が叫ばれたの。続いて「Ell’e stregata! 」
ダンテやら何やらで多少はイタリア語をかじっていたおかげで、私にもそれが「この子は魅入られてしまった!」という意味なことぐらいはわかったわ。夫人が一瞬部屋から出ていきたそうなそぶりをされたので、私は何かもう少し言葉を引き出せないかと、とっさにベッドから飛び出して彼女に両腕を投げかけ抱きつきました。
でも上手くいきそうにないとは初めから分かっていたけれど。イタリアの人ときたら教育のあるなしを問わず、魔術や憑き物の類いに関しては私たちには信じられないくらい大真面目にとって、話題にすることさえはばかるんですものね。ほんとう、夫人は私に触れられただけでひどく取り乱した様子だったのです。それでもすぐに気を静められると快活な声で、両親に私のことを相談してこなくてはと「さあ、朝ごはんを召し上がれ」と言い添え出ていかれました。
ひとりになって姿見で顔と喉もとをよく調べてみると、やはり首のところに小さな傷があり、これで枕に血がついていたわけが解りました。ただ謎なのはどうしてそんな怪我をしたかですが、昨夜のパーティーに満ちみちていた未知の体験と苦痛と興奮とを思えばそれだけでも十分な原因ではないかしら?ひとたび自分から進んで愛を賭けた勝ち抜き試合(トーナメント)に参戦したのなら、それを無傷で切り抜けられるなどと考えるのは虫がよすぎるというものです。
顔色が青いのだって太陽が余りにまばゆいので相対的にそう見えてしまっただけのことでしょうし、しごく当たり前のちょっとした事故に伯爵夫人があれほど過剰な反応を示されたのは、いかにもイタリア的な迷信深さのあらわれとしか思えません。私にしたら枕の血痕なんて動揺するほどのことですらないけれど、ただシーツを取り換える係の女の子がびっくりしてヒステリーの発作を起こしたりしないよう願ってます。
私はひとまずベッドに戻り、夫人が運んできてくださった朝食をかけらも余さず平らげました。お腹が空っぽでもうふらふらになっていたんです。なにしろ昨晩のパーティーで口にした飲食物のたぐいといえば、はっきり思い出せるのはこれまでの人生で一度もなかったほどワインを飲み過ぎたことくらいでしたもの。
空腹も落ち着いたので陽の光を顔に浴びてナイトガウン姿でベッドにゆったり横になり、出会った「彼」の思い出を噛みしめはじめました。あんな方が本当にこの世に存在するなんて誰が想像できたでしょうか。小説家の筆になるいちばん魅力的な男性だってその足元にも及ばないような人が、現実に私の目の前に降り立ったんです!あの方はアドニスよ、アポロよ、踏みしめた地面からは不死の園の花アスフォデルが咲き出す神そのものよ!
何よりロマンチックなことに、「彼」と私との出会いは――いえ、実際のところ彼は誰ともそうしなかったけれど――格式張った紹介の挨拶などとは無縁だったんです。作法に叶ったことでないと分かっていても、それがまたいっそうわくわくする気分をかき立てたのは否定できません。
お客の大部分が古いメヌエットの曲にあわせて踊っている最中でした。その踊りを知らない私はママと二人部屋の隅っこで座っているほかなかったのですが、ママはもうパーティー疲れですっかり参っていたみたい。やにわに、すぐに戻ってきますからねと私に念を押したかと思うと、そのまま退出していってしまったの。
その時です、ママと入れ違いのようにして「彼」が姿を現したのは。まるで壁を覆う色褪せたタペストリーのあいだから、というよりはタペストリーそのものから抜け出てきたようだったのに、自身は色褪せたというのとは程遠い輝きをまとって。もっとものちほど晩餐用により沢山の灯火が持ってこられた後で見ると、「彼」は最初の印象よりは年かさに思えましたが、同時に私の目を奪ったのはその容貌にたたえられた他に類をみない知性と経験とでした。
そうでさえなければすぐに立ち去っていたことでしょうけど、「彼」はただ話しかけるというより有無を言わさぬ言葉と眼差しとを使って私を押しとどめてしまったのだわ。「彼」の英語はとても洗練されていて、そのアクセント(イタリア風の訛りとはまた違った)はたぐいまれな話術に、さらに考え深げで心地よい響きを添えていました。 はじめ"貴方は秋枯れの庭にたった一輪ほころぶバラのよう"と言われたのはお愛想と聞き流しても、私をその場に釘付けにしたのは続く運命的な一言にほかならなかったのです。
「共にここではない世界からの訪い人であるわれわれ二人、今ここでお近づきになっておかねばなりませんね。」
まさしくそれは、私が常日頃自分自身に対して抱いていた感覚そのままでしたから。
それはそうと、「彼」がパーティーのお客をさして、ひとり残らず"秋枯れ"の年配と言ったのが事実でないことだけは訂正しておかなくては。確かに大部分はその通りでしたが、伯爵夫人は私と釣り合いが取れるようにと、わざわざ土地の上流階級出の若い男の方数人を招待してくださっていたのです。とはいえお互いろくに言葉は通じないし、何より私の目には彼らは揃いも揃ってでくの坊みたいにしか映らなかったものですから、引き合わされたところでそれ以上の会話に発展するわけもありません。
それでも理解ある夫人は、せっかくのお心遣いが不首尾に終わったのを悟られても、ろくに火花さえ熾ってもいない炎をむだに煽る真似なんて決してなさいませんでしたけど。いったんこの手のことに首を突っ込んだが最後、一晩どころか何日何週間、下手したら何年でもふいごを抱えて付きまとって恋の火花を焚きつけたがるダービシャーのおばさま方とは大違いね!ともかくもそうした訳で、四人の若い殿方はコンテッシーナや出席していた他の小さな子たちの相手をすることになったのでした。
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以降もまだまだ続くこの日の書き込み。この筆の速さ、私も見習いたいものです… なお今回からタイトルを「日記帳から」→「日記帳より」に変更しました。特に意味があるわけじゃありませんが、なんとなくこっちのほうが語呂が良いかなと。
ところで主人公の傷に驚愕して夫人が発する台詞、この作品には以降も同じようにイタリア語がそのまま使われている箇所がたまにあります。どれもごく短いものですが、私の伊語ボキャブラリーは絶対この主人公の女の子以下なので機械翻訳とネット辞書頼みの訳とお考えください(汗)
Ell’e stregata! が「彼女は魅入られた」(英語では"She is bewitched")という意味なのは本文中にある通りですが、Dio Ilustrissimo!は"Most Illustrious God!" すなわち「(この上なく輝かしい)神様!」というほどのこと。 (ちなみにイタリア語でcasa stregata は「幽霊屋敷」、stregaは「魔女」だそうで) 分かる人には分かると思いますが、彼女の首の傷はつまりそういうわけです…。
次回は→こちら