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2015.01.31 09:13|音楽鑑賞(主にオペラ)
 初演と2012年の再演に続き、三度目の鑑賞となるプロダクションです(同じ演出を三回見たのはこれが初めてかも)。
なお三年前のときの感想はこちら。3/20 新国立劇場 「さまよえるオランダ人」

 基本新国の再演ものにそう食指が動くほうではありませんが、歌手陣(特にゼンタとオランダ人)にかなり有名どころのワーグナー歌手が来るので毎回それ目当てでチケットを買ってしまっています。それに前回いまいちだった指揮にも期待度大だったんですが…

 しかし少なくともこの日に限っていえば、なんだか不発に終わった感のある上演だったように思います。およそ自然の荒々しさを感じさせない序曲に始まり、のっぺりした音作りからは海の香りも登場人物間のテンションも最後まで伝わってこないまま。合唱が相変わらず生き生きしていたのは救いでしたが、そちらもオケに乗れないためもあってかどことなくスケールダウンしていたような。

 飯守氏の指揮するワーグナー、つい昨年秋の「パルジファル」(実はこれも観に行きましたが、ちょうどパソコンが壊れてごたごたしている時でブログに感想を上げそびれてしまって )のときは精緻で素晴らしいと思ったんですが。この日の「オランダ人」は単なる担当オケの違いで片づけられないような、エネルギー不足とでもいった感じの味付けでちょっと心配になってしまいました。

 トーマス・ヨハネス・マイヤーの暗めな声と抑制のきいた表現は役にふさわしかった(これまで聞いたバリトン三人の中では一番"幽霊っぽい"オランダ人ではあったかと)けれど、私の席からだともう一回り分ほど声量がほしいところも。
 
 一方ゼンタのメルベートは存在感も十分で、歌自体は普通に上出来といっていいでしょう。ただこれはあくまで私個人の感覚なんですが、初演でこの役だったアニヤ・カンペの、彼女にとってのヒーロー的存在オランダ人に自己投影したい願望を一方的に叶えてしまったみたいな子供っぽい性格造形の印象深さ、また以前のバイロイトでの映像でメルベート自身が演じたかなり狂気じみて不気味なゼンタ(あの魔像…というか、肖像のインパクト含め)が強烈だったのもあって、仕方ないとはいえ新味とエキセントリックさの点で物足りなさが残ったのは残念です。

 その他の歌手陣ではラファウ・シヴェク(ダーラント)がいかにも海の男といった歯切れ良い歌い口でなかなか。ダニエレ・キルヒ(エリック)は演出のせいもあるのか今一つぱっとしませんでした。

 ただまあ好意的にとれば、初演時のゼンタがヒーローキャラとしてのオランダ人に憧れていたいまま普通の恋愛を拒んだ永遠の少女なら(ディズニーのアリスっぽい衣装や髪型がそう連想させたのかも)、今回のゼンタはむしろ「オランダ人」の伝説そのものに魅入られてしまった、精神年齢的には多少大人の女性といった雰囲気に映りました。そういった意味ではよりオランダ人への包容力を感じさせるメルベートの役作りも、最初見た時の刷り込みさえなければ+ついでにあの衣装がもっと似合ってさえいれば、決して悪くなかったとは思います。

 今回三度目にしてようやく気が付いたのは、この演出ではオランダ人の肖像画が一枚でなく十数枚か二十枚くらい?出てくるわけですが、中の数枚は幼いゼンタの作なのか明らかに子供が描いたと分かる絵だということでした。
 舞台美術のセンスのせいかどうもいい評判を聞かないプロダクションですが、こういう言われてみればゾッとするタイプの作り込みもあったりでそこまでひどいとは思わないんですよね。同じチームの魔弾の射手はアガーテのウェディングドレス可愛い位しか褒めるとこなかったけど…。

テーマ:オペラ
ジャンル:音楽

2015.01.21 07:58|怪奇幻想文学いろいろ
 先週木曜日の夜に予定通り帰ってまいりました。一連のテロ事件に関しては日本でも大々的に報道されていたようですが、ちょうど事態がクライマックスを迎えたとき空の上にいた私は、結局到着後三日目に英語版の新聞を見るまでことの成り行きをほとんど知らずじまいだったんです(フランス語はさっぱりなので)。ニュース番組もTVを点けるタイミングが悪かったのかあまり目にできなかったし…。 帰国後会う人ごとに凄い騒ぎじゃなかった?と聞かれては、こう話して逆にびっくりされているような。

 今回はホテルと帰りの機内で訳に取り組んだぶん。あまり捗らずいつもよりだいぶ短いですが、ちょうど区切れのいいところで終わりにすることにしました。前々々回から続いている日記の「十月八日」記入分はこれでやっと終了です。

"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)

 舞踏会場から君を連れ出したくはないのだがという彼に、私は「いいえ、そんな事ありませんわ」と返しました。実際あの時の私はとてもダンスができるような有り様でなかったし、それに周囲の黴の生えたようなお歴々が繰り広げていたステップときたら、どう贔屓目に見ても私が踊りたくなるようなものじゃなかったのです。すると彼はうっすら笑みを浮かべつつ、私だって舞踏会の花形だった頃もあったのですよ、と口にしました。
 
 まあ、と私はワインのおかげもあってかぼんやり尋ねました、それはどちらでですの? ヴェルサイユで、それにペテルブルグでも、というのが彼の返事でした。 

 ワインが入っていようといなかろうと、この答えは私をびっくりさせたと言わざるをえません。だってヴェルサイユならゆうに三十年も前、一七八九年に叛徒の焼き討ちにあってしまったことを知らぬ者はないのですから。思わず相手の姿かたちをまじまじと見つめていた私に、その時彼は前よりもさらにかすかに微笑むと言ったのでした、 「ええ、私はそれは、それは年寄りなのですよ。」

 ひとは普通、そうした文句に相手から何かしらの否定を引き出そうという意図をこめるものですが、彼の口調にはそんな否定さえしかねるほどの不思議に強い響きがありました。正直なんと答えればよいやらすぐには分からなかった私だけれど、いずれにせよ信じがたい上に本心からそうでないと口に出したくはあったわ。彼の本当の年は大まかな見当さえつけかねるほど判断しがたいとはいえ、断じて”それはそれは年寄り”でないのは確かで、それどころかある価値観においていうなら、考え及ぶ限りでもっとも若やいで輝かしい人物のひとりでしたもの!身なりはといえば極上の黒一色の服をまとい、それに何か小さな勲章を一つだけ付けるという装い。その勲章はあまりにも目立たなかったので、私はきっとこの上なく栄誉あるものなんでしょうと結論づけました。いまどきはでに見せびらかして歩く勲章なんてものは大体けしからん、とパパだってよく言ってます。

 そしてある意味これが一番ロマンティックなことかもしれませんが、私にはとうとう彼の名前さえ分からずじまいだったわ。私たちの周りではお客たちが次々と引き上げていくなか――まださほど夜も更けないうちだったはずだけど、何せあんなお年寄りたちばかりでは無理もないでしょう――、彼は私の手を取ってこの度は離そうともせずにしっかり握りしめ、私のほうにしてもされるがままになっていました。

 「またお会いしましょう、何度もね」と語りかけると彼は私の目を覗きこみ、そのまま眼差しでもって私の心と魂を最奥までつらぬき通すかと思えたほどに深く、ひしと見入ったのです。全くのところ、その瞬間感情のなかに生じたあまりに狂おしく不可解なものに圧倒され、私は彼が聞き取れたかどうかも怪しいかすかな声で「ええ」と呟くことができただけ。そうして彼が射抜くように見つめた両の目を手で覆いました。
 一瞬ののち(そう長かったはずはないわ、でなければ他の人たちが私の様子がおかしい事に気づいたでしょうから)、真っ暗闇の中を泳ぐような気がして椅子に崩れ落ち、我に返ったときには彼はもうそこにはいませんでした。その後のことは伯爵夫人が私のところに現れてキスされると、「お疲れのようね」と寝室へ急がせられた他は何ひとつ覚えていません。

 新しい感情のめばえは人から休息を奪い去ってしまうとは言うものの(私自身それに関しては一、二度経験済みですが)、ベッドに入った私はたちまち深く長い眠りに落ちてゆきました。色々と夢を見たような気もしたけれど、内容についてまったく思い出せることはないのです。きっと分かりきったことをいちいち記憶から呼び出す必要もないからだわね。

 今朝はイタリアに来て初めて、太陽がとても熱く照りつけています。ミス・ギスボーンの指導のたまものである小さくて整った筆跡の文字でもう何ページにもわたって日記帳を埋め尽くしたあと、きょうはもうこれ以上書ける気がしません。
 それにしても私がこんなに長く一人にしておいてもらえるなんて意外だわ、うちの両親といったら家族の誰であれ"何もせずにごろごろ"するのをひどく嫌がるたちなのに。ママはあの後いくらかは良くなっているかしら?ベッドから起きて身仕舞し、それを確かめに行かなくてはならないとは充分わかっていても、私は結局モルペウス(※訳注:眠りの神)の力強い抱擁にふたたび身を任せることにしてしまったのでした。


******

 今回の最初のところで言及があったので軽く時代背景について説明しておきますが、"1789年のフランス革命からほぼ30年以上後"ということは作中の年代は1820年ごろということになります。
 またこれまでたびたび触れられてきたように、主人公がラヴェンナを訪れたのは詩人バイロンが同地に滞在していたのと重なる期間でもあり、すなわち(日本バイロン協会さんのHPにある通り、)バイロンがラヴェンナの愛人グイッチョーリ夫人の屋敷で暮らしていたのは1819年から21年にかけてですので、ちょうど上記の年代と合致するというわけです。

 下手したら主人公に盛大に怪しまれそうだった「彼」の返答、まさかうっかり口が滑ったなんてことはないですよね(笑)
まあどれだけ失言しようと、ただの人間が自分の魅力に抵抗できる訳がないという絶対の自信があればこそなのかもしれませんが。とはいえもともとがうっかり屋の性格だと、○○○として生きるのもけっこう大変かも⁉

次回は→こちら

テーマ:本の紹介
ジャンル:学問・文化・芸術

2015.01.09 07:00|読書感想
 新年最初の更新となりますが明けましておめでとうございます。本年もまたよろしくお願いいたします
今年はとりあえず前半期中にPages From a Young Girl's Journalの訳を完結させることを目標にしたいものですが…。まだやっと半分程度しか終わってません。

 最近は新しく出る翻訳ものもあまり読めてないのですが、年始休みで英国女流作家ダフネ・デュ・モーリアの作品集、「いま見てはいけない」の最後に残った一話をやっと読了しました。

いま見てはいけない (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)いま見てはいけない (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)
(2014/11/21)
ダフネ・デュ・モーリア

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収録されているのは80~100ページ前後の、やや長めの短編が五編。

「いま見てはいけない」
「真夜中になる前に」
「ボーダーライン」
「十字架の道」
「第六の力」

 今まで読んだ中で印象に残っているデュ・モーリアの小説というと、「レベッカ」「鳥」「ジャマイカ・イン」など作家が暮らしたイギリスはコーンウォールの風土と密接に結びついたものが大部分でした。しかしこの作品集は、一言でいえば「旅」を主題にしているといってよいかもしれません。

 ヴェネチア(「いま見てはいけない」)、ギリシャのクレタ島(「真夜中になる前に」)、アイルランドの田舎(「ボーダーライン」)、エルサレム(「十字架の道」)と舞台こそさまざまながら、はじめの四編はいずれも英国人旅行者を主人公に異国での体験が語られるという点において共通しています。彼らは慣れ親しんだ生活を離れて非日常へと入ったのをきっかけとして自身の内部に潜んでいた未知の部分に気づかされ、めいめいの旅は思ってもみなかった結末を迎えることになるのです。
  
 どれもいったん読みだすと止められなくなるスリリングな筋運び、そして旅する土地先々の空気やざわめきが伝わってきそうな細部まで行き届いた描写とで、読者までが主人公たちと一体になって歩き回るような臨場感を味わわせてくれる作品揃い。話が話だけにのんびり楽しい観光気分を満喫というわけにはいかないですが(笑) 行き先がどこであれ、旅というものには本来ある種の怖さが隠れているのかもしれません。

 最後の「第六の力」も、やっぱり「旅」の話と言えないこともないでしょう。ただ誰も戻って来られない(はずの)場所…あの世へのですが。当然ながら、視点は旅立つ方ではなく残って送り出す側から。なぜか不安にさせられるラストシーンの情景が強烈な読後の余韻を残しました。

 おしまいにいきなり私事で恐縮なのですが、私自身も本日夕方から六日間パリに旅行してまいります。その期間ネットは見られないので、コメントを頂いた場合の返信は帰国後までお待ちください。
 しかし現地では何やら大変なことになっているようで…。そういえばこの本にも政治テロの起きる作品がありましたけど、これ以上事態が悪化して本当に「怖い」旅にならないことを祈るばかりです。

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筆不精にも関わらずメモ帳代わりとして始めてしまったブログ。
小説や音楽の感想・紹介、時には猫や植物のことも。
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