2015.02.19 15:53|怪奇幻想文学いろいろ|
これまでと変わらぬ日々が戻ってきたかのようでしたが、少女は自分の中にある変化を感じ始めていました…。
※パーティー翌日から前日を回想する形で主人公が日記をつける構成になっているので自分でも時々こんがらかりますが、今回の記述にある母親との出来事は前日(十月八日土曜日)の午後のことです。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月九日
きのうは午前中だけでたっぷり一日ぶんの書き込みをすませてしまったわ(それにしても私がむなしく言葉にしようと骨を折った出来事の素晴らしさといったら!)。とはいえ何か書くに値する事件が起これば、晩にはまたペンを取ろうというつもりでいたのですが。この世間において、誰にも見せるつもりのないこの小さな秘密の日記帳(そうであり続けるよう、よく気を配らなくてはね)に想いのたけを綴ること以上に、私が心に留めていることなんてないのですもの。
…こんな書き方をするとミス・ギスボーンに、またそんな過剰表現を使ってと言われそうね。でも行き過ぎた表現とは、そのままあり余った情熱の発露、ひいてはその唯一のはけ口かつ軽減法ではないこと? 「悩みがあったならそれを物語るのにふさわしい言葉を探しなさい、そう出来れば悩みもなかば喜びとなるのよ」と、彼女が教えてくれたのを今こうしているあいだにもありありと思い出せます。
ああ、でも今の私にそんな言葉が見つけられるかしら?どういうわけか体の半分は燃えるように熱く、あと半分は凍り付いてしまったような気分。そしてかつてないほどに生き生きとした力が溢れるのを感じるのに、同時に私にはもう限られた命数しか残されてないという不思議な予感がつきまといます。でもそれもなぜか怖くはない、むしろ救済とさえなるでしょう。今までどれほど恵まれた境遇で育ってきたにせよ、この世は私にとってついぞ自分の居場所を見つけられる場所ではなかったのですから。キャロラインという親友(時には彼女のママも含め)と出会っていなかったら、私の人生なんてどんなに惨めなものになっていたことか。そうしてそのキャロラインにしたところで、あの… いえ、これ以上続けるのはよしましょう。
きのう伯爵夫人は朝にこの部屋を尋ねてこられたあとは、ちょうど私たちが着いた日と同じように一日中姿をお見せになりませんでした。けれど夫人はあの時言っておられた通り、私のことでなにかママに話していったのでしょう。その次第はすぐ明らかになったのです。
もう正午を回ったころ、私はようやくベッドを離れて陽の光あふれる寝室から足を踏み出しました。またもや猛烈にお腹が減っていたし、それにママの体調が戻ったかどうか見に行かなくてはと本気で思い始めていましたから。まず両親の部屋に行ってドアをノックしましたが、返事はなかったので階下に降りていきました。
他のどこにも人影は見当たらなかったけれど(お日様がぎらぎら照りつけている間は、たいていのイタリア人は日陰で横になる方を好みます)、庭を見渡せるテラスには、すっかり元気いっぱいそうなママが裁縫箱をわきに、たっぷりの光を浴びてひとり座っていました。とりわけ調子がいい時にはいつもそうなのですが、ひどくそわそわとした様子で、二つ、ひょっとすると三つもの仕事をいちどきにこなそうとしています。きっとママには、私たちがローザンヌで出会ったとある紳士が「平静の美徳」(この言い回しはちょっと忘れられそうにありません)と呼んでいたものが欠けているのじゃないかしら。
私を認めたママはたちまち口火を切りました。「あなたったら、昨晩はどうしてあの素敵なお若い方々の誰とも踊らずじまいだったの? 奥様があなたの為だけを思って、わざわざ招待してくださった人たちだというのに!あの方はそれでたいそうお気を悪くしていらしたわ。おまけにこんなに気持ちよく晴れた日なのに、あなたときたら午前中いっぱい何をしていたんでしょうね? それだけではないわ、奥様は他にもあなたの件でわたしに何かおっしゃりたいようだったけど、いったい何があったというの?奥様の使われた言葉はわたしには何のことやらさっぱりだったから、あなたなら説明してくれるわね?ママだってそのことについては知っておく義務があるのよ。それもこれも、みんなパパとわたしがあなた一人で街に行ったりするのを許したおかげではなくって?」
ママがこんな調子でまくし立ててくるときにはどう答えるべきか、私にもとうにわかっていましたけど。「伯爵夫人は一部始終をそれは気に病んでおられるのよ」と、ひとしきり説明を終えた私にママは叫ぶように繰り返しました。まるでごろつきどもに銀のスプーンが残らず盗み出されて、その手引きをしたのが私だとでもいうように。「あの方はお優しいからはっきり言うのを遠慮されているようだったけど、それは何かあなたに関係したことなのね。今ここで、どういうことかママにお話しなさい。」それは凄まじい剣幕でした。
朝の夫人とのやり取りとあわせて、私にはもう事情がすっかり飲みこめていました。夫人はどういう形でかあの晩の出来事、またそれが私に及ぼした影響(全容からはほど遠いにせよ)を感づかれ、ママにもそのことを伝えたに相違ありません。彼女の受け止め方はイタリア流の大袈裟すぎるものだったとはいえ、私への配慮からママへはあえて肝心な部分をぼかして告げたのでしょう。そもそも夫人はこの事をママに話すつもりだと前もって私にもおっしゃったのだから、今思えばあの時やめて下さるよう説き伏せておくべきだったんだわ。正直なところ、眠くてそこまで気が回らなかったのですが。
「ママ」と私は経験からこうした状況のときに身につけることを覚えたおごそかな調子で切り出しました。「もし伯爵夫人が私のしたことで何かお気に召さなかったとしても、それを私のいないところで話したりはなさらないはずよ。」
「わたしの言うことが聞けないのね」とママはほとんど金切り声で、「あなた、母親に口答えしようっていうの?」
気が高ぶったあまりでしょう、その時ママは持っていた縫い針を指にざっくりと突き刺してしまいました。ママときたら普段から針仕事をしようとすると、おもに一つことに集中しようとしないせいでしょっちゅう刺し傷をこしらえているのです。ですからそういう怪我をした時のために、裁縫箱にはいつも包帯用の布が一巻き入れてあるのですが、この日はどういうわけかその布が見当たらないようでした。 傷は相当酷かったとみえ、可哀想なママが網にかかった小鳥のようにバタバタ慌てるあいだにも血がたらたらと流れだします。とっさに私はかがみ込むと、その血を舌で舐めとっていました。ママの血の味を口の中に感じるのはなんとも異様な感覚でしたけど、もっと奇妙なことにそれときたら美味しかったんです、まるで極上の砂糖菓子みたいに!今書いているうちにも、あれを思い出すと頬に血がのぼってくるようだわ。
やがて、ようやくブザンソンで買った綺麗なハンカチを取り出して傷口に押し当てたママは、いつもの粗探しするような眼差しで私のほうに向き直ると一言だけ口にしました。「まったく、ここを月曜に発つことになっていて幸いというものだわ。」
私たちの旅程において当たり前のこととはいえ、その時までなにも聞かされていなかった私の驚愕といったらありません(これこそ昨晩日記に記しておくべきことだったのだけれど)。
「なんですって!」と私は声をあげていたわ。「たったの一週間でお別れしなくてはならないの!? あんなにお優しい奥様にも、それにかつてはあのダンテが歩きまわったり、本を書いたりしたこの街にも!?」 気づけば私もいつのまにか、何につけても大騒ぎするイタリアの流儀を身につけはじめていたなんてちょっぴり可笑しなことですが。
「ダンテが歩こうがなんだろうが、あなたが歩くようなところではありません。」 ママはすげなく、ただ普段よりもいくぶん舌鋒鋭く切り返すと、そのあとは辛辣な態度をやわらげようという気もないらしく、怪我した親指を撫でさするきりでした。小説でいうところの「千千に乱れる思い」を抱きつつ私が踵をめぐらせた時には、もう血が間に合わせの包帯を赤く染め始めていました。
* * * * * *
直接母親の台詞が出てきたのは今回が初めてのような気がしますが、主人公以上にそれらしく喋らせるのが大変です。このお母さん、影が薄いようでいて実はけっこうキャラが立ってるんですよね(笑)
しかし「砂糖菓子のように美味しい」とは…。実は先日からプレイヤーが○○○を演じる某TRPGをやっていまして、その中のあるシチュエーションで○○○は(このゲームの設定では)呼吸をしないため嗅覚はないのでは?という話になったんですけど、味覚のほうもやっぱり変化しているんでしょうか。
次回は→こちら
※パーティー翌日から前日を回想する形で主人公が日記をつける構成になっているので自分でも時々こんがらかりますが、今回の記述にある母親との出来事は前日(十月八日土曜日)の午後のことです。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月九日
きのうは午前中だけでたっぷり一日ぶんの書き込みをすませてしまったわ(それにしても私がむなしく言葉にしようと骨を折った出来事の素晴らしさといったら!)。とはいえ何か書くに値する事件が起これば、晩にはまたペンを取ろうというつもりでいたのですが。この世間において、誰にも見せるつもりのないこの小さな秘密の日記帳(そうであり続けるよう、よく気を配らなくてはね)に想いのたけを綴ること以上に、私が心に留めていることなんてないのですもの。
…こんな書き方をするとミス・ギスボーンに、またそんな過剰表現を使ってと言われそうね。でも行き過ぎた表現とは、そのままあり余った情熱の発露、ひいてはその唯一のはけ口かつ軽減法ではないこと? 「悩みがあったならそれを物語るのにふさわしい言葉を探しなさい、そう出来れば悩みもなかば喜びとなるのよ」と、彼女が教えてくれたのを今こうしているあいだにもありありと思い出せます。
ああ、でも今の私にそんな言葉が見つけられるかしら?どういうわけか体の半分は燃えるように熱く、あと半分は凍り付いてしまったような気分。そしてかつてないほどに生き生きとした力が溢れるのを感じるのに、同時に私にはもう限られた命数しか残されてないという不思議な予感がつきまといます。でもそれもなぜか怖くはない、むしろ救済とさえなるでしょう。今までどれほど恵まれた境遇で育ってきたにせよ、この世は私にとってついぞ自分の居場所を見つけられる場所ではなかったのですから。キャロラインという親友(時には彼女のママも含め)と出会っていなかったら、私の人生なんてどんなに惨めなものになっていたことか。そうしてそのキャロラインにしたところで、あの… いえ、これ以上続けるのはよしましょう。
きのう伯爵夫人は朝にこの部屋を尋ねてこられたあとは、ちょうど私たちが着いた日と同じように一日中姿をお見せになりませんでした。けれど夫人はあの時言っておられた通り、私のことでなにかママに話していったのでしょう。その次第はすぐ明らかになったのです。
もう正午を回ったころ、私はようやくベッドを離れて陽の光あふれる寝室から足を踏み出しました。またもや猛烈にお腹が減っていたし、それにママの体調が戻ったかどうか見に行かなくてはと本気で思い始めていましたから。まず両親の部屋に行ってドアをノックしましたが、返事はなかったので階下に降りていきました。
他のどこにも人影は見当たらなかったけれど(お日様がぎらぎら照りつけている間は、たいていのイタリア人は日陰で横になる方を好みます)、庭を見渡せるテラスには、すっかり元気いっぱいそうなママが裁縫箱をわきに、たっぷりの光を浴びてひとり座っていました。とりわけ調子がいい時にはいつもそうなのですが、ひどくそわそわとした様子で、二つ、ひょっとすると三つもの仕事をいちどきにこなそうとしています。きっとママには、私たちがローザンヌで出会ったとある紳士が「平静の美徳」(この言い回しはちょっと忘れられそうにありません)と呼んでいたものが欠けているのじゃないかしら。
私を認めたママはたちまち口火を切りました。「あなたったら、昨晩はどうしてあの素敵なお若い方々の誰とも踊らずじまいだったの? 奥様があなたの為だけを思って、わざわざ招待してくださった人たちだというのに!あの方はそれでたいそうお気を悪くしていらしたわ。おまけにこんなに気持ちよく晴れた日なのに、あなたときたら午前中いっぱい何をしていたんでしょうね? それだけではないわ、奥様は他にもあなたの件でわたしに何かおっしゃりたいようだったけど、いったい何があったというの?奥様の使われた言葉はわたしには何のことやらさっぱりだったから、あなたなら説明してくれるわね?ママだってそのことについては知っておく義務があるのよ。それもこれも、みんなパパとわたしがあなた一人で街に行ったりするのを許したおかげではなくって?」
ママがこんな調子でまくし立ててくるときにはどう答えるべきか、私にもとうにわかっていましたけど。「伯爵夫人は一部始終をそれは気に病んでおられるのよ」と、ひとしきり説明を終えた私にママは叫ぶように繰り返しました。まるでごろつきどもに銀のスプーンが残らず盗み出されて、その手引きをしたのが私だとでもいうように。「あの方はお優しいからはっきり言うのを遠慮されているようだったけど、それは何かあなたに関係したことなのね。今ここで、どういうことかママにお話しなさい。」それは凄まじい剣幕でした。
朝の夫人とのやり取りとあわせて、私にはもう事情がすっかり飲みこめていました。夫人はどういう形でかあの晩の出来事、またそれが私に及ぼした影響(全容からはほど遠いにせよ)を感づかれ、ママにもそのことを伝えたに相違ありません。彼女の受け止め方はイタリア流の大袈裟すぎるものだったとはいえ、私への配慮からママへはあえて肝心な部分をぼかして告げたのでしょう。そもそも夫人はこの事をママに話すつもりだと前もって私にもおっしゃったのだから、今思えばあの時やめて下さるよう説き伏せておくべきだったんだわ。正直なところ、眠くてそこまで気が回らなかったのですが。
「ママ」と私は経験からこうした状況のときに身につけることを覚えたおごそかな調子で切り出しました。「もし伯爵夫人が私のしたことで何かお気に召さなかったとしても、それを私のいないところで話したりはなさらないはずよ。」
「わたしの言うことが聞けないのね」とママはほとんど金切り声で、「あなた、母親に口答えしようっていうの?」
気が高ぶったあまりでしょう、その時ママは持っていた縫い針を指にざっくりと突き刺してしまいました。ママときたら普段から針仕事をしようとすると、おもに一つことに集中しようとしないせいでしょっちゅう刺し傷をこしらえているのです。ですからそういう怪我をした時のために、裁縫箱にはいつも包帯用の布が一巻き入れてあるのですが、この日はどういうわけかその布が見当たらないようでした。 傷は相当酷かったとみえ、可哀想なママが網にかかった小鳥のようにバタバタ慌てるあいだにも血がたらたらと流れだします。とっさに私はかがみ込むと、その血を舌で舐めとっていました。ママの血の味を口の中に感じるのはなんとも異様な感覚でしたけど、もっと奇妙なことにそれときたら美味しかったんです、まるで極上の砂糖菓子みたいに!今書いているうちにも、あれを思い出すと頬に血がのぼってくるようだわ。
やがて、ようやくブザンソンで買った綺麗なハンカチを取り出して傷口に押し当てたママは、いつもの粗探しするような眼差しで私のほうに向き直ると一言だけ口にしました。「まったく、ここを月曜に発つことになっていて幸いというものだわ。」
私たちの旅程において当たり前のこととはいえ、その時までなにも聞かされていなかった私の驚愕といったらありません(これこそ昨晩日記に記しておくべきことだったのだけれど)。
「なんですって!」と私は声をあげていたわ。「たったの一週間でお別れしなくてはならないの!? あんなにお優しい奥様にも、それにかつてはあのダンテが歩きまわったり、本を書いたりしたこの街にも!?」 気づけば私もいつのまにか、何につけても大騒ぎするイタリアの流儀を身につけはじめていたなんてちょっぴり可笑しなことですが。
「ダンテが歩こうがなんだろうが、あなたが歩くようなところではありません。」 ママはすげなく、ただ普段よりもいくぶん舌鋒鋭く切り返すと、そのあとは辛辣な態度をやわらげようという気もないらしく、怪我した親指を撫でさするきりでした。小説でいうところの「千千に乱れる思い」を抱きつつ私が踵をめぐらせた時には、もう血が間に合わせの包帯を赤く染め始めていました。
* * * * * *
直接母親の台詞が出てきたのは今回が初めてのような気がしますが、主人公以上にそれらしく喋らせるのが大変です。このお母さん、影が薄いようでいて実はけっこうキャラが立ってるんですよね(笑)
しかし「砂糖菓子のように美味しい」とは…。実は先日からプレイヤーが○○○を演じる某TRPGをやっていまして、その中のあるシチュエーションで○○○は(このゲームの設定では)呼吸をしないため嗅覚はないのでは?という話になったんですけど、味覚のほうもやっぱり変化しているんでしょうか。
次回は→こちら