2015.06.10 13:11|怪奇幻想文学いろいろ|
あれやこれやで書きかけのまま溜めてる記事が二つもあるんですが(汗)、前のアップ分からちょうど一月経ったことだしこちらを先に。結局目標の今年前半には間に合いそうにありませんけど次回で完結する予定です。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月十一日
今朝はとうとう夢の訪れはないままでした。
それにしても、きのうラヴェンナを発ったときの出来事の不愉快だったことといったら。出発に際して、ママは伯爵夫人が自家用の馬車を私たち一家に貸してくれたと教えたあと、コーニス(軒じゃばら)の方を見上げたままこう続けました。「それも奥様が私たちとさっさと縁を切りたがっておられるからよ。」
「でも、どうしてそんなことがあって? だいたいあの方、私たちとはたいして顔を合わせていないじゃない。到着した日にはずっと姿をお見せにならなかったし、ここ数日間だってほとんどお目にかかってもないのに。」
「それとこれとは話がべつです。」というのがママの答えでした。「あなただって私たちぐらいの年になればじき分かるでしょうけどね、奥様は最初の日には一日中お加減が悪くていらしたの。でもこの数日はあなたの振舞いにたいそう気分を害しておられて、それですぐにでも出ていってほしいというわけよ。」
相変わらず壁の方に目をやったままのママに向けて、私は舌をほんの先っぽだけ突き出してみせましたが、そんなでも見てとっていたのかママは片手をわずかに上げかけました。すんでのところで、私がもうその手のお仕置きで黙らせられる子供じゃないことを思い出したようだけれど。
なんと夫人は、今しも私たち三人ががたがたのおんぼろ馬車に乗り込もうという段になってようやくおもてに現れたのでした。そうして私が背を向けている(というよりはそうと勘違いした)後ろで、彼女が紛う方なくこちらに十字を切ったのを認めたとき、唾を吐きかけてやりたいのを堪えるには手が痛くなるまでこぶしを握りしめているしかなかったほど。それともひょっとして、あの女はもとから私にわざと見せつける気でああしたのじゃないかとさえ思えてきます。ええ、今もまだよく覚えているとおり、私だって夫人が好きでたまらない頃もあったわよ。でも何事だって変わるもの。一週間、時にはたった一晩ですら、一生分の時間にまさる影響を及ぼすこともあるのだと私は身をもって悟ったんですから。
夫人は何やら必死で私と目を合わせるのを避けようとしているようだったから、それに気づいたあとはバジリスクのようにあの女の方を睨みつけることにしてやったわ、一瞬たりとも途切れず!そのあいだ彼女はパパとママとに、コンテッシーナは喚声症偏頭痛だか黒色性痙攣だか(何だろうと知ったことではないけど)、とにかくこの国の子によくありそうな病気で伏せって見送りに来られないと詫びをいれ、二人のほうもまるで本気みたいな口ぶりで心配してみせていました。それもまた私への当てつけだなんてことは見え透いているのに。
つまるところ、コンテッシーナ親子はまったくの似た者同士で、ただ母親のほうがいくぶんごまかしと二枚舌に長けているだけというのが私の至った結論ね。イタリア女なんて、よく分かってくれば皆そんなものでしょうけど。あの場を我慢するのに爪が突き刺さるほどもこぶしを握っていたおかげで、両の手のひらは一日じゅうずきずき疼いてたまりませんでした。今でもまだ、ウォルター・スコット卿の小説に出てきたみたいに、各々の指の先に短剣を取り付けてあったらこうもなろうというような傷が残っているくらいです。
馬車付きの御者と従僕とはそろいもそろって学者先生めいた風貌の年寄りだったわ。私たちは道中の、ビザンツ時代のモザイク画で名高いクラッセの教会堂(訳注:サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂〈←Wikipediaリンク〉のことと思われます)のところでいったん止まり、中を見学することにしました。
西側の大扉はひどく暑い日差しのもと開け放たれており、壁一面を蒼穹と黄金の色とに彩られた内部の光景はたいそう見事でしたが、あいにく私はそれ以上見られなかったのです。なぜなら建物に足を踏み入れようとした瞬間、どういうわけか例の眩暈がぶり返し、そのまま傍らのベンチに座りこまなくてはなりませんでしたから。パパとママには先に行ってくれるよう声をかけると、二人はイタリア流の大騒ぎをはじめるかわりに、言われた通りさっさと中に入っていってしまいました。なんて英国人らしく理性的な行動なの!
汚れてはいても見事なライオンを象った肘掛つきの大理石のベンチに腰を下ろしていると、やがていくらか具合も良くなってきたので馬車のほうに目をやると、御者と従僕のふたりは扉と窓のところで何か作業をしているようでした。きっとそこに油を差していたんでしょう。
けれどしばらくしてパパとママが戻ってまた車内で席についたとき、ママときたらニンニクか何かのような臭いがするとこぼし始めたのよ。もちろんニンニクの臭いなんて、外国では至るところにぷんぷんしてるのだし、パパがあまり想像をたくましくするんじゃないと短く言ったきりだったのも当然というものだけど。
それでも馬車が進みだすと私はまた気分が悪くなるいっぽうで、その後は誰もがほとんど押し黙ったまま旅を続けました。立ち寄ったチェゼナーティコ(訳注:ラヴェンナとリミニのあいだに位置する街)で出されたお粗末きわまりない食事も、ママと私は口にする気も起きなかったわ。
「顔色がひどく悪いじゃないか。」とパパは車から降りようとする私を見て言いました。そのあとママに向かって付け加えるには、「伯爵夫人がお前になぜあんな風な話をしたか飲み込めた気がするよ。」 ママはといえば、故郷を離れてからというものすっかり身についてしまった素振りで、ただ肩をすくめてみせただけでした。
リミニに着いた私たちはまっすぐ宿屋に向かいました。私たちの他に泊り客がいないのも当然と思えるほど荒れ果てて気味悪いところで、取り仕切っているのはいわゆる「みつくち」の女主人ですが、もてなしようといったら全くもってひどいもの。何しろ今に至るまで、宿の者の誰ひとりとして私のところにやって来ないときてますから。
客室はどれもたいそう広くって、部屋どうしが互いに繋がりあったかれこれ二百年は前の様式ね。建物全体は年月を経て崩れかけた城館とでもいった風情で、もしかすると実際にそうだったのかもしれません。最初パパとママにここの隣りの部屋を使うつもりでもあったりしたらどうしようと慌てましたが、ほっとしたことには何とかそうはならずにすみました。以前の私だったら、出入りする階段のところまで真っ暗な二つの空き部屋を通らねばならないこんな部屋にひとり残されたならきっと恐くて縮みあがっていたでしょう、でも今となっては歓迎したいくらいです。とにかく何もかもが貧相でほこりまみれ。果たしてこの異国の地で、ダービシャーでいつもしていたようにくつろいで心地よく休める日は来るのかしら?
…いいえ、そんなことはもうない。まさにこの言葉を記したときに寒気がこの背筋を駆け抜けていったけれど、それも恐れてではなく、昂っての震えだったのです。だってじき、私はそんなつまらない問題なんて超越した、まったく別の場所におもむくのだから。
薄汚れてきしむ窓を左右に押し開け、月に照らされた石造りのバルコニーに出てピアッツァ(街の広場)のほうを眺めると、リミニは今やすっかりさびれた雰囲気で、イタリアの夜の街につきものの乱痴気騒ぎの気配すらもありませんでした。あたり一面しんと静まり返っていることといったら不気味なほど。大気はまだ十分に暖かいのに、地上と月とのあいだには分厚く霧のとばりが立ち込めています。
部屋に戻った私はここでもやっぱりイタリアらしく巨大なベッドに、ほとんど這うようにして辿り着きました。あの人はすぐにも私のところに飛んでこようとしているわ。それからのことについてはもう言葉にする必要もないでしょう。眠らなくてはならないけど、こんなに疲れているのだからそれも容易いはず。
******
補足すると最後の一文は休息が必要だからではなく、夢(と彼女本人は思っている)の中で彼に会うため、早く眠りにつかなければという意味だと思います。伯爵夫人への感情が急に変わったことといい、催眠術か何かにかけられてるのかもしれませんね。
しかし伯爵夫人は○○○への対処法について妙に詳しいような。それに関してはいつか別の記事で書くつもりですけど、伯爵家にもこれまた何か秘密がありそうと思うのは深読みしすぎでしょうか?
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月十一日
今朝はとうとう夢の訪れはないままでした。
それにしても、きのうラヴェンナを発ったときの出来事の不愉快だったことといったら。出発に際して、ママは伯爵夫人が自家用の馬車を私たち一家に貸してくれたと教えたあと、コーニス(軒じゃばら)の方を見上げたままこう続けました。「それも奥様が私たちとさっさと縁を切りたがっておられるからよ。」
「でも、どうしてそんなことがあって? だいたいあの方、私たちとはたいして顔を合わせていないじゃない。到着した日にはずっと姿をお見せにならなかったし、ここ数日間だってほとんどお目にかかってもないのに。」
「それとこれとは話がべつです。」というのがママの答えでした。「あなただって私たちぐらいの年になればじき分かるでしょうけどね、奥様は最初の日には一日中お加減が悪くていらしたの。でもこの数日はあなたの振舞いにたいそう気分を害しておられて、それですぐにでも出ていってほしいというわけよ。」
相変わらず壁の方に目をやったままのママに向けて、私は舌をほんの先っぽだけ突き出してみせましたが、そんなでも見てとっていたのかママは片手をわずかに上げかけました。すんでのところで、私がもうその手のお仕置きで黙らせられる子供じゃないことを思い出したようだけれど。
なんと夫人は、今しも私たち三人ががたがたのおんぼろ馬車に乗り込もうという段になってようやくおもてに現れたのでした。そうして私が背を向けている(というよりはそうと勘違いした)後ろで、彼女が紛う方なくこちらに十字を切ったのを認めたとき、唾を吐きかけてやりたいのを堪えるには手が痛くなるまでこぶしを握りしめているしかなかったほど。それともひょっとして、あの女はもとから私にわざと見せつける気でああしたのじゃないかとさえ思えてきます。ええ、今もまだよく覚えているとおり、私だって夫人が好きでたまらない頃もあったわよ。でも何事だって変わるもの。一週間、時にはたった一晩ですら、一生分の時間にまさる影響を及ぼすこともあるのだと私は身をもって悟ったんですから。
夫人は何やら必死で私と目を合わせるのを避けようとしているようだったから、それに気づいたあとはバジリスクのようにあの女の方を睨みつけることにしてやったわ、一瞬たりとも途切れず!そのあいだ彼女はパパとママとに、コンテッシーナは喚声症偏頭痛だか黒色性痙攣だか(何だろうと知ったことではないけど)、とにかくこの国の子によくありそうな病気で伏せって見送りに来られないと詫びをいれ、二人のほうもまるで本気みたいな口ぶりで心配してみせていました。それもまた私への当てつけだなんてことは見え透いているのに。
つまるところ、コンテッシーナ親子はまったくの似た者同士で、ただ母親のほうがいくぶんごまかしと二枚舌に長けているだけというのが私の至った結論ね。イタリア女なんて、よく分かってくれば皆そんなものでしょうけど。あの場を我慢するのに爪が突き刺さるほどもこぶしを握っていたおかげで、両の手のひらは一日じゅうずきずき疼いてたまりませんでした。今でもまだ、ウォルター・スコット卿の小説に出てきたみたいに、各々の指の先に短剣を取り付けてあったらこうもなろうというような傷が残っているくらいです。
馬車付きの御者と従僕とはそろいもそろって学者先生めいた風貌の年寄りだったわ。私たちは道中の、ビザンツ時代のモザイク画で名高いクラッセの教会堂(訳注:サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂〈←Wikipediaリンク〉のことと思われます)のところでいったん止まり、中を見学することにしました。
西側の大扉はひどく暑い日差しのもと開け放たれており、壁一面を蒼穹と黄金の色とに彩られた内部の光景はたいそう見事でしたが、あいにく私はそれ以上見られなかったのです。なぜなら建物に足を踏み入れようとした瞬間、どういうわけか例の眩暈がぶり返し、そのまま傍らのベンチに座りこまなくてはなりませんでしたから。パパとママには先に行ってくれるよう声をかけると、二人はイタリア流の大騒ぎをはじめるかわりに、言われた通りさっさと中に入っていってしまいました。なんて英国人らしく理性的な行動なの!
汚れてはいても見事なライオンを象った肘掛つきの大理石のベンチに腰を下ろしていると、やがていくらか具合も良くなってきたので馬車のほうに目をやると、御者と従僕のふたりは扉と窓のところで何か作業をしているようでした。きっとそこに油を差していたんでしょう。
けれどしばらくしてパパとママが戻ってまた車内で席についたとき、ママときたらニンニクか何かのような臭いがするとこぼし始めたのよ。もちろんニンニクの臭いなんて、外国では至るところにぷんぷんしてるのだし、パパがあまり想像をたくましくするんじゃないと短く言ったきりだったのも当然というものだけど。
それでも馬車が進みだすと私はまた気分が悪くなるいっぽうで、その後は誰もがほとんど押し黙ったまま旅を続けました。立ち寄ったチェゼナーティコ(訳注:ラヴェンナとリミニのあいだに位置する街)で出されたお粗末きわまりない食事も、ママと私は口にする気も起きなかったわ。
「顔色がひどく悪いじゃないか。」とパパは車から降りようとする私を見て言いました。そのあとママに向かって付け加えるには、「伯爵夫人がお前になぜあんな風な話をしたか飲み込めた気がするよ。」 ママはといえば、故郷を離れてからというものすっかり身についてしまった素振りで、ただ肩をすくめてみせただけでした。
リミニに着いた私たちはまっすぐ宿屋に向かいました。私たちの他に泊り客がいないのも当然と思えるほど荒れ果てて気味悪いところで、取り仕切っているのはいわゆる「みつくち」の女主人ですが、もてなしようといったら全くもってひどいもの。何しろ今に至るまで、宿の者の誰ひとりとして私のところにやって来ないときてますから。
客室はどれもたいそう広くって、部屋どうしが互いに繋がりあったかれこれ二百年は前の様式ね。建物全体は年月を経て崩れかけた城館とでもいった風情で、もしかすると実際にそうだったのかもしれません。最初パパとママにここの隣りの部屋を使うつもりでもあったりしたらどうしようと慌てましたが、ほっとしたことには何とかそうはならずにすみました。以前の私だったら、出入りする階段のところまで真っ暗な二つの空き部屋を通らねばならないこんな部屋にひとり残されたならきっと恐くて縮みあがっていたでしょう、でも今となっては歓迎したいくらいです。とにかく何もかもが貧相でほこりまみれ。果たしてこの異国の地で、ダービシャーでいつもしていたようにくつろいで心地よく休める日は来るのかしら?
…いいえ、そんなことはもうない。まさにこの言葉を記したときに寒気がこの背筋を駆け抜けていったけれど、それも恐れてではなく、昂っての震えだったのです。だってじき、私はそんなつまらない問題なんて超越した、まったく別の場所におもむくのだから。
薄汚れてきしむ窓を左右に押し開け、月に照らされた石造りのバルコニーに出てピアッツァ(街の広場)のほうを眺めると、リミニは今やすっかりさびれた雰囲気で、イタリアの夜の街につきものの乱痴気騒ぎの気配すらもありませんでした。あたり一面しんと静まり返っていることといったら不気味なほど。大気はまだ十分に暖かいのに、地上と月とのあいだには分厚く霧のとばりが立ち込めています。
部屋に戻った私はここでもやっぱりイタリアらしく巨大なベッドに、ほとんど這うようにして辿り着きました。あの人はすぐにも私のところに飛んでこようとしているわ。それからのことについてはもう言葉にする必要もないでしょう。眠らなくてはならないけど、こんなに疲れているのだからそれも容易いはず。
******
補足すると最後の一文は休息が必要だからではなく、夢(と彼女本人は思っている)の中で彼に会うため、早く眠りにつかなければという意味だと思います。伯爵夫人への感情が急に変わったことといい、催眠術か何かにかけられてるのかもしれませんね。
しかし伯爵夫人は○○○への対処法について妙に詳しいような。それに関してはいつか別の記事で書くつもりですけど、伯爵家にもこれまた何か秘密がありそうと思うのは深読みしすぎでしょうか?