2015.08.18 21:20|怪奇幻想文学いろいろ|
最初の回をアップしてちょうど一年の七月末日までには完結させるつもりが、気がついたら手を付けないまま半月経ってました。ゴールが見えたら気が抜けたのもありますけど、連日の猛暑で主人公のママじゃないですが「すっかりへばって」たもので…。まさかぴったり30℃を涼しく感じる日が来るとは思わなかったですよ。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月十二、十三、十四日
あの人のこと以外に語りたいことなんてないし、それは言葉にしようもないことばかり。
とても疲れているけれど、それは恍惚のあとにやってくる消耗であって、決して日常生活につきまとう倦怠感なんかじゃないわ。今日、私は自分がもう影もなければ鏡に映りもしないことにはじめて気がつきました。ママがラヴェンナからの旅で(薄のろのアイルランド人ふうの言い方をするなら)すっかりへばってしまったおかげで、あれ以来顔を合わせていないのは幸いというものです。人間ってものは若さを失ったあと、どこまでぐずぐずと生き続けねばならないの!あんなみじめなありさまに陥らずにすむ私はなんて幸せなんでしょう。
はや足元を洗い始めている未知の大洋、そこにいつでも漕ぎ出す用意のできた深紅の帆に赤いオールの船。無限へと向かって延びてゆく新たな生について、思いめぐらす歓びといったらありません。もうペンを持つ力もろくに残っていないし、途方もない変容に直面している今となっては言葉などなんとも馬鹿馬鹿しく思えるけれど、習慣というのは付きまとってなかなか離れてくれないもののようです。
けれどもうじき新しい力が備わり、想像もできないほどの炎を手に入れ、望みの夜の生き物に変じてこの身一つで闇を飛ぶこともできるようになるのだわ。あの人の愛の大きさ!ただのちっぽけなイギリス娘の私が、すべての女性の中から選ばれたという奇跡!私は誇りをもって、"選ばれた女たち"の殿堂へと足を踏み入れましょう。
パパは私がずっと水しか口にしていないのに気づかずじまいだったということで、ママからひどくなじられていました。あのおぞましくていまいましい食べ物といったら、食べたふりをしておくのがやっとだったのよ。
信じられないでしょうが、昨日パパと私はマラテスタ寺院(訳注:Tempio Malatestiano,、中世にリミニを統治したマラテスタ家が建てた聖堂→wikipediaリンク)を訪ねてきました。パパは英国からの観光客として、私は異教の蛇の巫女として。そこは世界でも指折りの美しい建物だと言われているけれど、私にとって真の華麗さを誇っていたのはその中に横たわる、気高く艶めかしいあまたの死者たち。彼らもじき私の支配のもとに入るのね。
それでも新しい力に打ちのめされたようになり、私は宿まで帰り着くのにパパに助けてもらわねばなりませんでした。哀れなパパ、まったく本人も言ってる通り、病人同然の女二人というお荷物を抱えこまされて! なんだかパパに同情すら覚えてきたわ。
ああ、可愛いコンテッシーナのそばに行って、あの小さな首すじにキスさえできたら…
十月十五日
昨日の夜、私は窓の一つを開け放って(もう片方は、か弱い私の力――この世の基準においては――では無理だったので)、そこに一糸まとわぬ姿で立ち両腕を高く差しのべました。すると死んだように静まり返っていた闇の中からそよ風がざわめきはじめ、それはしだいに轟きわたる音へと高まっていったのです。夜の薄ら寒い空気も、オーブンの扉を開けたような熱気にとってかわられました。
たちまち泣き叫びすすり泣くような声が、ざわつき金切り声をあげ引っかき回す音が、まるで姿の見えない生き物たちが空中を駆けめぐっているかのように開いた窓のそばを通り過ぎていきました。頭はその悲痛な音のせいで真っぷたつに割れたような気分、そして身体のほうはといえば、蒸し風呂に入ったように汗ぐっしょりでした。
次の瞬間何もかもが消え去ったかと思うと、目の前の薄暗がりの中にあの人がたたずんでいたのです。
「これこそが、この世で選ばれし者のみが知る愛なのだよ。」 「神に選ばれし者、ですって?」 ほとんど声にならない声でかすかに問いかけた私に、「そうだとも」と彼は請け合いました。「この世界における選民なのだ。」
十月十六日
イタリアの気候はひっきりなしに変わっており、今日はまたもや雨模様の寒い日です。
どうやらみんなは私が病気だと考えだしたよう。ママはしばらくの間起きだしたかと思うと、死にかけの子羊にたかるアオバエみたいにひとしきり騒ぎたてていきました。両親が横で、この国で医者を呼ぶのに果たして意味があるかどうかと延々議論を交わすものだから、私は出せる限りの声を振り絞ってそんな訳ないと言ってやったけれど、結局医者は来てしまったわ。
かび臭い黒衣、おまけに灰色の鬘まで付けたその格好ときたら、どう見たってパンタローネ(訳注:イタリアの古典劇、コメディア・デラルテの定番キャラで好色な老人)そのもの、こんなひどい茶番もあって? もちろんますます鋭くなってきたこの歯の一噛みで、即座に追い返してやったけれど。それこそ自分が出るのにふさわしい狂言芝居みたいな金切り声をあげて逃げ出していったわよ。
やつのしなびた血管に流れていた中身を吐き出して口をぬぐったあと、また長椅子に戻って丸くなりました。Janua mortis vita (訳注「死は生の門なり」 "Mors Janua Vitae" の間違いか?)とビッグス=ハートリーさんはあのおかしなラテン語で説いていたわね。日曜日なのに、誰も私のことでお祈りをあげようとは思わないのかしら。
十月十七日
一日中ひとりで放っておかれたけれど、別にどうということはないわ。ゆうべこれまでの人生でもっとも不思議で美しい出来事が起きて、私の未来の上に印された証しとなったというのに。
その時私はこの場所で横になっていて、開け放ったままの窓から霧が流れ込んできたのに気づいたの。そちらに向かって両手を差し伸べると、もはや癒えることのない――でももう人目から隠そうとも思わない――首の傷から、血がしたたり胸を濡らし始めたのです。
外のピアッツァ(広場)からちょうど故郷のある農家にいた羊のように、何かが摺り足で歩きまわったり鼻を擦りつけたりする音が聞こえてきたので、ベッドから起き出して部屋の反対側にあるバルコニーへと出てみました。霧のとばり越しに差しいる月光は銀灰色へと変じ、見たこともないほどの美しさでした。
広場を埋め尽くしていたのは巨大な灰色狼たち。その姿は月の光のもとで黒々と、さっき耳にした音のほかは一声も発さず、だらりと突き出した舌をあえがせては窓に映る私の姿を凝視していました。
名だたる狼の棲みかのアペニン山脈にほど近いここリミニの街では、しばしば赤ん坊や幼子がその餌食になるのだと聞いたことがあります。きっとこの寒さが狼たちを山から下りてこさせたのでしょう。私は狼たちにほほえみかけ、それから両手を胸のところで組んで一礼しました。だって彼らは、もうじき私の新しい仲間の中でも特別な存在になるのですから。私の血は彼らの、彼らの血は私のものに。
書き忘れていましたが、この部屋の扉を封じてしまおうと考えてます。今ではそんなことにも手助けが得られるようになったのだし。
どうにかこうにかベッドに戻ったときにはあたりはますます冷え込み、ほとんど凍るような寒気が訪れていました。なぜか脳裡に浮かんだのはこの朽ちかけた城館(昔はそうだったと確信しています)の、かつての荘厳さを跡形もなく失ってしまった部屋部屋のことでした。
疲れてこれ以上は続けられそうにないわ。もう書くことも残ってないでしょう。(了)
******
え?と思われそうですが本当にここで終了です。主人公が結局どんな運命を辿ったかは各自の想像にお任せということなのでしょう。(しかし念願の「新しい生」を手に入れたとしても、彼女みたいなタイプは数十年もたてばまた退屈してしまいそうな気もしますが。)
この作品はティーンの少女が語り手、かつ古典ゴシック小説のオマージュ的な定番の題材ということもあって、読者をポカンとさせるのが好きなエイクマンにしては読みやすいほうだと思います。それだけでなく旅行記(そういう現実に足のついた部分が手抜きされず、しっかり描かれているのもこの作家らしいところです)としても楽しめますし、強烈なパンチにはやや乏しいぶん万人受けする味付けというべきでしょうか。
とはいえ夜の踊り場で無言の抱擁を交わすコンテッシーナを目撃する場面や今回の狼のラストシーンなどはやっぱりエイクマンだなあと思わされ、あの何ともいえずゾクっとくる空気を伝えるのにもう少し文章のセンスがあればと残念でなりません。まあここのはあくまで完全な形ではありませんので、そのうちちゃんとした形で訳出されることに期待したいです。ホジスンのボーダーランド三部作だってようやく日本語版が出ることですし。
作中でちょっと気になったことでまだ書いていないことも幾つかありますので、いずれはそれについてもぼちぼち記事にしていきたいと思ってます。ここまで長々とお付き合いくださった方、どうもありがとうございました。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月十二、十三、十四日
あの人のこと以外に語りたいことなんてないし、それは言葉にしようもないことばかり。
とても疲れているけれど、それは恍惚のあとにやってくる消耗であって、決して日常生活につきまとう倦怠感なんかじゃないわ。今日、私は自分がもう影もなければ鏡に映りもしないことにはじめて気がつきました。ママがラヴェンナからの旅で(薄のろのアイルランド人ふうの言い方をするなら)すっかりへばってしまったおかげで、あれ以来顔を合わせていないのは幸いというものです。人間ってものは若さを失ったあと、どこまでぐずぐずと生き続けねばならないの!あんなみじめなありさまに陥らずにすむ私はなんて幸せなんでしょう。
はや足元を洗い始めている未知の大洋、そこにいつでも漕ぎ出す用意のできた深紅の帆に赤いオールの船。無限へと向かって延びてゆく新たな生について、思いめぐらす歓びといったらありません。もうペンを持つ力もろくに残っていないし、途方もない変容に直面している今となっては言葉などなんとも馬鹿馬鹿しく思えるけれど、習慣というのは付きまとってなかなか離れてくれないもののようです。
けれどもうじき新しい力が備わり、想像もできないほどの炎を手に入れ、望みの夜の生き物に変じてこの身一つで闇を飛ぶこともできるようになるのだわ。あの人の愛の大きさ!ただのちっぽけなイギリス娘の私が、すべての女性の中から選ばれたという奇跡!私は誇りをもって、"選ばれた女たち"の殿堂へと足を踏み入れましょう。
パパは私がずっと水しか口にしていないのに気づかずじまいだったということで、ママからひどくなじられていました。あのおぞましくていまいましい食べ物といったら、食べたふりをしておくのがやっとだったのよ。
信じられないでしょうが、昨日パパと私はマラテスタ寺院(訳注:Tempio Malatestiano,、中世にリミニを統治したマラテスタ家が建てた聖堂→wikipediaリンク)を訪ねてきました。パパは英国からの観光客として、私は異教の蛇の巫女として。そこは世界でも指折りの美しい建物だと言われているけれど、私にとって真の華麗さを誇っていたのはその中に横たわる、気高く艶めかしいあまたの死者たち。彼らもじき私の支配のもとに入るのね。
それでも新しい力に打ちのめされたようになり、私は宿まで帰り着くのにパパに助けてもらわねばなりませんでした。哀れなパパ、まったく本人も言ってる通り、病人同然の女二人というお荷物を抱えこまされて! なんだかパパに同情すら覚えてきたわ。
ああ、可愛いコンテッシーナのそばに行って、あの小さな首すじにキスさえできたら…
十月十五日
昨日の夜、私は窓の一つを開け放って(もう片方は、か弱い私の力――この世の基準においては――では無理だったので)、そこに一糸まとわぬ姿で立ち両腕を高く差しのべました。すると死んだように静まり返っていた闇の中からそよ風がざわめきはじめ、それはしだいに轟きわたる音へと高まっていったのです。夜の薄ら寒い空気も、オーブンの扉を開けたような熱気にとってかわられました。
たちまち泣き叫びすすり泣くような声が、ざわつき金切り声をあげ引っかき回す音が、まるで姿の見えない生き物たちが空中を駆けめぐっているかのように開いた窓のそばを通り過ぎていきました。頭はその悲痛な音のせいで真っぷたつに割れたような気分、そして身体のほうはといえば、蒸し風呂に入ったように汗ぐっしょりでした。
次の瞬間何もかもが消え去ったかと思うと、目の前の薄暗がりの中にあの人がたたずんでいたのです。
「これこそが、この世で選ばれし者のみが知る愛なのだよ。」 「神に選ばれし者、ですって?」 ほとんど声にならない声でかすかに問いかけた私に、「そうだとも」と彼は請け合いました。「この世界における選民なのだ。」
十月十六日
イタリアの気候はひっきりなしに変わっており、今日はまたもや雨模様の寒い日です。
どうやらみんなは私が病気だと考えだしたよう。ママはしばらくの間起きだしたかと思うと、死にかけの子羊にたかるアオバエみたいにひとしきり騒ぎたてていきました。両親が横で、この国で医者を呼ぶのに果たして意味があるかどうかと延々議論を交わすものだから、私は出せる限りの声を振り絞ってそんな訳ないと言ってやったけれど、結局医者は来てしまったわ。
かび臭い黒衣、おまけに灰色の鬘まで付けたその格好ときたら、どう見たってパンタローネ(訳注:イタリアの古典劇、コメディア・デラルテの定番キャラで好色な老人)そのもの、こんなひどい茶番もあって? もちろんますます鋭くなってきたこの歯の一噛みで、即座に追い返してやったけれど。それこそ自分が出るのにふさわしい狂言芝居みたいな金切り声をあげて逃げ出していったわよ。
やつのしなびた血管に流れていた中身を吐き出して口をぬぐったあと、また長椅子に戻って丸くなりました。Janua mortis vita (訳注「死は生の門なり」 "Mors Janua Vitae" の間違いか?)とビッグス=ハートリーさんはあのおかしなラテン語で説いていたわね。日曜日なのに、誰も私のことでお祈りをあげようとは思わないのかしら。
十月十七日
一日中ひとりで放っておかれたけれど、別にどうということはないわ。ゆうべこれまでの人生でもっとも不思議で美しい出来事が起きて、私の未来の上に印された証しとなったというのに。
その時私はこの場所で横になっていて、開け放ったままの窓から霧が流れ込んできたのに気づいたの。そちらに向かって両手を差し伸べると、もはや癒えることのない――でももう人目から隠そうとも思わない――首の傷から、血がしたたり胸を濡らし始めたのです。
外のピアッツァ(広場)からちょうど故郷のある農家にいた羊のように、何かが摺り足で歩きまわったり鼻を擦りつけたりする音が聞こえてきたので、ベッドから起き出して部屋の反対側にあるバルコニーへと出てみました。霧のとばり越しに差しいる月光は銀灰色へと変じ、見たこともないほどの美しさでした。
広場を埋め尽くしていたのは巨大な灰色狼たち。その姿は月の光のもとで黒々と、さっき耳にした音のほかは一声も発さず、だらりと突き出した舌をあえがせては窓に映る私の姿を凝視していました。
名だたる狼の棲みかのアペニン山脈にほど近いここリミニの街では、しばしば赤ん坊や幼子がその餌食になるのだと聞いたことがあります。きっとこの寒さが狼たちを山から下りてこさせたのでしょう。私は狼たちにほほえみかけ、それから両手を胸のところで組んで一礼しました。だって彼らは、もうじき私の新しい仲間の中でも特別な存在になるのですから。私の血は彼らの、彼らの血は私のものに。
書き忘れていましたが、この部屋の扉を封じてしまおうと考えてます。今ではそんなことにも手助けが得られるようになったのだし。
どうにかこうにかベッドに戻ったときにはあたりはますます冷え込み、ほとんど凍るような寒気が訪れていました。なぜか脳裡に浮かんだのはこの朽ちかけた城館(昔はそうだったと確信しています)の、かつての荘厳さを跡形もなく失ってしまった部屋部屋のことでした。
疲れてこれ以上は続けられそうにないわ。もう書くことも残ってないでしょう。(了)
******
え?と思われそうですが本当にここで終了です。主人公が結局どんな運命を辿ったかは各自の想像にお任せということなのでしょう。(しかし念願の「新しい生」を手に入れたとしても、彼女みたいなタイプは数十年もたてばまた退屈してしまいそうな気もしますが。)
この作品はティーンの少女が語り手、かつ古典ゴシック小説のオマージュ的な定番の題材ということもあって、読者をポカンとさせるのが好きなエイクマンにしては読みやすいほうだと思います。それだけでなく旅行記(そういう現実に足のついた部分が手抜きされず、しっかり描かれているのもこの作家らしいところです)としても楽しめますし、強烈なパンチにはやや乏しいぶん万人受けする味付けというべきでしょうか。
とはいえ夜の踊り場で無言の抱擁を交わすコンテッシーナを目撃する場面や今回の狼のラストシーンなどはやっぱりエイクマンだなあと思わされ、あの何ともいえずゾクっとくる空気を伝えるのにもう少し文章のセンスがあればと残念でなりません。まあここのはあくまで完全な形ではありませんので、そのうちちゃんとした形で訳出されることに期待したいです。ホジスンのボーダーランド三部作だってようやく日本語版が出ることですし。
作中でちょっと気になったことでまだ書いていないことも幾つかありますので、いずれはそれについてもぼちぼち記事にしていきたいと思ってます。ここまで長々とお付き合いくださった方、どうもありがとうございました。