2017.06.16 01:55|怪奇幻想文学いろいろ|
五月末に刊行されたジャック・ヴァンス・トレジャリー第三弾、「スペース・オペラ」を先日読了しました。同一主人公が活躍する連作スタイルだったトレジャリーの前二冊とは異なり、今回は全体の半分くらいを占める表題作に独立した短編「新しい元首」「悪魔のいる惑星」「海への贈り物」「エルンの海」が加わるという構成。
先に短編四作について触れておきますと、どれも一癖ある個性派揃いで(先に創元社の「黒い破壊者」で読んでいた「海への贈り物」だけはマジメにすぎて、私好みのヴァンスとはちょっと違う気もしますが)、添え物扱いにとどまらない存在感です。
で、メインの一作「スペース・オペラ」。宇宙を飛び回るヒーロー達がドンパチやる活劇…ではなく、文字通りオペラそのもの、スペースシップで星間ツアーに乗り出す歌劇団のお話です。
遥か彼方の星から訪れたというふれこみの「第九歌劇団」の公演は地球各地でセンセーションを巻き起こしますが、ヒューマノイド型異星人からなる団員たちはある夜の舞台のあと忽然と失踪。面食らったパトロンのデイム・イサベルは、一座を地球に連れてきた団長のゴンダーから彼らの故郷の惑星「ルラール」について聞きだすうち、ゴンダーの「現地の人々に『相互の文化交流プログラム』を提案してきた」という言葉に飛びつきます。すなわちお返しとして地球側でも歌劇団を組織し、ルラールを最終目的地に惑星をめぐる引っ越し公演ツアーを行おうというのです。そうすれば団員失踪事件の真相も判明するのではないかと。
歌手、オケ、舞台スタッフや船の乗務員などあらゆる方面での人員を集め、計画はあっという間に実行に。しかし音楽的感性どころか、生物としての意識や観念からして根本的に違った異星人たちを相手にしてのオペラ上演はたやすくいかず、行く先々で騒ぎが持ち上がり…という珍道中がストーリーの主軸。
もちろん危機一髪での脱出、謎多きヒロインを巡っての恋のさや当てなど、本来のSF用語でいうところの「スペース・オペラ」要素にも事欠かず、各々のイベントをもう少しじっくり描き込んでほしかった気はするものの、スピーディで軽妙なエンターテインメントに仕上がっています。
個人的にヴァンスを読む最大の楽しみはそこに登場する異文化の疑似体験というのか、自分の世界とは似ても似つかない星の風景や暮らしぶりをかいま見た気分になって非日常感を味わうことにあるんですが、ここに出てくる各惑星の風変わりさも相当なもの。
そんな環境のもとオペラを演じる一座の四苦八苦ぶりには、全くの異質な文化との交流とはどうあるべきかと考えさせられつつも、そのミスマッチ具合に笑いを誘われずにはいられません。なかでも最初の公演地(星)シリウスで、登場人物たちが現地人と同じ姿形なら共感を得られやすいのではというデイム・イサベルの提案に従い、歌手たちがいやいやながらシリウス星人の着ぐるみでベートーヴェンの「フィデリオ」を演じるくだりとそのオチには爆笑です。
ただそんな未知の異文化とのぶつかり合いを語る宇宙旅行SFとしては文句なしに楽しめたいっぽうで、残念に感じたのは主題に据えられているオペラそのものの描写が薄いこと(一応ヴァンスを読みはじめる前から劇場に通っていたオペラ好きでもあるので)。
異星人による「第九歌劇団」の舞台が詳細に語られるのとは対照的に、地球側のオペラに対してはごく限られた言及のみで、上演中の様子、特に各場面の装置や演出といった視覚面について (前述の「フィデリオ」のようなイレギュラーな場合を除いては、)ほとんど具体的な説明がないのはなんとも物足りません。
登場する演目自体は「フィデリオ」の他にも、「魔笛」「セヴィリアの理髪師」「売られた花嫁」「ヴォツェック」「トリスタンとイゾルデ」「トゥーランドット」「ペレアスとメリザンド」等々と実にバラエティ豊かなのに。そもそも異星人の視点からしたら人間のオペラがどう上演されようと大差ないのでそんな記述は省いて正解なのかもしれませんが、結局のところ読者は地球人なわけですので
しかしあれこれ考えてみるに、この物足りなさはヴァンス(直接的にはこの作品の登場人物たち、というべきですが)のオペラ観と、私自身のそれとの相違によるところが大きいのかもしれません。
ここで示される「オペラ」は様式がほぼ過去に固定された感のある、一種の伝統芸能的芸術といった印象なのに対し、私が考えるオペラの本質とはもっと時代に対応して柔軟、流動的…といえば聞こえはいいですが、要は最近の流行に毒されてしまった新し物好きのオペラファンなだけですけどね。演出家が従来のストーリーをどう新(珍?)解釈するのかとか、あげくは変な演出見たさというのが鑑賞の主なモチベーションだったりしますから。
もちろん、この作品が書かれた1960年代のアメリカでは数十年もたたないうちに奇抜な演出がオペラ界に溢れかえることなんて想像もできなかったと思われますし、世代間のギャップといえばそれまででしょうが。
さすがのヴァンスもシリウス星の騒動を地でいきかねないこんな舞台が出現するのは想定外だったかと…(リンク先画像は「猿の惑星」にインスパイアされたという演出の「リゴレット」)。
http://www.thomasgeist.de/pages/Portfolio/Theater/Rigoletto/slides/Rigoletto10.jpg
※以下、微妙に核心部分のネタバレを含みますので未読の方はご注意ください↓
あと一つ、大発見!と思ったら普通に英語版ウィキペディアに書いてあったのであちらのヴァンスファンのあいだではとっくに通説なのかもしれませんけど、ヒロインのマドック・ロズウィンの出自とヴァンスの未訳ファンタジー、「リオネス」Lyonesse三部作って関係あるんですかね。
一説ではトリスタンの故郷(ワーグナーのオペラでは違いますが)といわれたりもするリオネスはかつてコーンウォール沖に存在したとされる伝説の国ですが、この話のマドック(Madoc)は「大昔ビスケー湾に沈んだ土地に栄えた種族の末裔」と名乗っており、またヴァンスのLyonesseにも一字違いのMadoucなる女性キャラクターが登場するようです(第三部のタイトルがMadoucというくらいなのでかなりの重要人物でしょう)。繋がった世界観というか、はるか未来の話? トレジャリーの続きがあるとしたらこのリオネス三部作にも期待していいんでしょうか。
私的ベストのシーンに挙げたいのも、宇宙に去ったロズウィン一族ゆかりの惑星に降り立った一座がドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を野外上演する場面。この場合に限ってはミスマッチどころかなんとも絶妙なチョイスの演目で、オペラそのものとストーリーとの共鳴を密に感じさせるほぼ唯一の箇所でもあるからです。
先に短編四作について触れておきますと、どれも一癖ある個性派揃いで(先に創元社の「黒い破壊者」で読んでいた「海への贈り物」だけはマジメにすぎて、私好みのヴァンスとはちょっと違う気もしますが)、添え物扱いにとどまらない存在感です。
で、メインの一作「スペース・オペラ」。宇宙を飛び回るヒーロー達がドンパチやる活劇…ではなく、文字通りオペラそのもの、スペースシップで星間ツアーに乗り出す歌劇団のお話です。
遥か彼方の星から訪れたというふれこみの「第九歌劇団」の公演は地球各地でセンセーションを巻き起こしますが、ヒューマノイド型異星人からなる団員たちはある夜の舞台のあと忽然と失踪。面食らったパトロンのデイム・イサベルは、一座を地球に連れてきた団長のゴンダーから彼らの故郷の惑星「ルラール」について聞きだすうち、ゴンダーの「現地の人々に『相互の文化交流プログラム』を提案してきた」という言葉に飛びつきます。すなわちお返しとして地球側でも歌劇団を組織し、ルラールを最終目的地に惑星をめぐる引っ越し公演ツアーを行おうというのです。そうすれば団員失踪事件の真相も判明するのではないかと。
歌手、オケ、舞台スタッフや船の乗務員などあらゆる方面での人員を集め、計画はあっという間に実行に。しかし音楽的感性どころか、生物としての意識や観念からして根本的に違った異星人たちを相手にしてのオペラ上演はたやすくいかず、行く先々で騒ぎが持ち上がり…という珍道中がストーリーの主軸。
もちろん危機一髪での脱出、謎多きヒロインを巡っての恋のさや当てなど、本来のSF用語でいうところの「スペース・オペラ」要素にも事欠かず、各々のイベントをもう少しじっくり描き込んでほしかった気はするものの、スピーディで軽妙なエンターテインメントに仕上がっています。
個人的にヴァンスを読む最大の楽しみはそこに登場する異文化の疑似体験というのか、自分の世界とは似ても似つかない星の風景や暮らしぶりをかいま見た気分になって非日常感を味わうことにあるんですが、ここに出てくる各惑星の風変わりさも相当なもの。
そんな環境のもとオペラを演じる一座の四苦八苦ぶりには、全くの異質な文化との交流とはどうあるべきかと考えさせられつつも、そのミスマッチ具合に笑いを誘われずにはいられません。なかでも最初の公演地(星)シリウスで、登場人物たちが現地人と同じ姿形なら共感を得られやすいのではというデイム・イサベルの提案に従い、歌手たちがいやいやながらシリウス星人の着ぐるみでベートーヴェンの「フィデリオ」を演じるくだりとそのオチには爆笑です。
ただそんな未知の異文化とのぶつかり合いを語る宇宙旅行SFとしては文句なしに楽しめたいっぽうで、残念に感じたのは主題に据えられているオペラそのものの描写が薄いこと(一応ヴァンスを読みはじめる前から劇場に通っていたオペラ好きでもあるので)。
異星人による「第九歌劇団」の舞台が詳細に語られるのとは対照的に、地球側のオペラに対してはごく限られた言及のみで、上演中の様子、特に各場面の装置や演出といった視覚面について (前述の「フィデリオ」のようなイレギュラーな場合を除いては、)ほとんど具体的な説明がないのはなんとも物足りません。
登場する演目自体は「フィデリオ」の他にも、「魔笛」「セヴィリアの理髪師」「売られた花嫁」「ヴォツェック」「トリスタンとイゾルデ」「トゥーランドット」「ペレアスとメリザンド」等々と実にバラエティ豊かなのに。
しかしあれこれ考えてみるに、この物足りなさはヴァンス(直接的にはこの作品の登場人物たち、というべきですが)のオペラ観と、私自身のそれとの相違によるところが大きいのかもしれません。
ここで示される「オペラ」は様式がほぼ過去に固定された感のある、一種の伝統芸能的芸術といった印象なのに対し、私が考えるオペラの本質とはもっと時代に対応して柔軟、流動的…といえば聞こえはいいですが、要は最近の流行に毒されてしまった新し物好きのオペラファンなだけですけどね。演出家が従来のストーリーをどう新(珍?)解釈するのかとか、あげくは変な演出見たさというのが鑑賞の主なモチベーションだったりしますから。
もちろん、この作品が書かれた1960年代のアメリカでは数十年もたたないうちに奇抜な演出がオペラ界に溢れかえることなんて想像もできなかったと思われますし、世代間のギャップといえばそれまででしょうが。
さすがのヴァンスもシリウス星の騒動を地でいきかねないこんな舞台が出現するのは想定外だったかと…(リンク先画像は「猿の惑星」にインスパイアされたという演出の「リゴレット」)。
http://www.thomasgeist.de/pages/Portfolio/Theater/Rigoletto/slides/Rigoletto10.jpg
※以下、微妙に核心部分のネタバレを含みますので未読の方はご注意ください↓
あと一つ、大発見!と思ったら普通に英語版ウィキペディアに書いてあったのであちらのヴァンスファンのあいだではとっくに通説なのかもしれませんけど、ヒロインのマドック・ロズウィンの出自とヴァンスの未訳ファンタジー、「リオネス」Lyonesse三部作って関係あるんですかね。
一説ではトリスタンの故郷(ワーグナーのオペラでは違いますが)といわれたりもするリオネスはかつてコーンウォール沖に存在したとされる伝説の国ですが、この話のマドック(Madoc)は「大昔ビスケー湾に沈んだ土地に栄えた種族の末裔」と名乗っており、またヴァンスのLyonesseにも一字違いのMadoucなる女性キャラクターが登場するようです(第三部のタイトルがMadoucというくらいなのでかなりの重要人物でしょう)。繋がった世界観というか、はるか未来の話? トレジャリーの続きがあるとしたらこのリオネス三部作にも期待していいんでしょうか。
私的ベストのシーンに挙げたいのも、宇宙に去ったロズウィン一族ゆかりの惑星に降り立った一座がドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を野外上演する場面。この場合に限ってはミスマッチどころかなんとも絶妙なチョイスの演目で、オペラそのものとストーリーとの共鳴を密に感じさせるほぼ唯一の箇所でもあるからです。