2018.10.17 21:42|音楽鑑賞(主にオペラ)|
数年前BSのスカラ座特集で放映されて非常に興味深く見たビジュアルアーティスト、ウィリアム・ケントリッジ演出の「魔笛」(←当時の感想)が、とうとう新国立劇場にやってきて念願の実演鑑賞が叶いました。
南アフリカ出身であるケントリッジの「魔笛」は解釈にひねりを効かしたいわゆる読み替え系ではありませんが、時代設定を作品成立当時かその少し後の18世紀末~19世紀初頭に移し、啓蒙主義やヨーロッパ列強による植民地支配といった当時の時事的テーマを前面に押し出しているのが特徴です。
(いちおう)ヒーローにあたるタミーノは探検家で、このアフリカの地を訪れて間もなく、モノスタトスら現地人たちを従える白人支配階級のザラストロと夜の女王との対立に巻き込まれてしまったという構図のよう。
さらに印象的なのが、物語の軸となるこの光=ザラストロと闇=夜の女王との対立・相関関係を、これまた18~9世紀にかけて急速な進歩をとげ、エンターテインメントとしても大流行した光学に置きかえて視覚化していることです。
眼(脳に景色を映す装置なわけなのでこれも光学器械の一種)、幻灯機かカメラ・オブスクラらしき箱型装置、影絵によるアニメーション、黎明期の白黒映画、また現代でも大盛況のプロジェクション・マッピング等々さまざまな形態の光学モティーフが背景に登場し、物語に一役買います(人の眼マークに関しては、初見時はよくこのオペラとの関係が取り沙汰されるフリーメーソンのシンボルとして出したのかと思ったのですが、実演で観ると光学の象徴としての意味のほうがより強調されているようでした)。
すなわち太陽神殿をつかさどり理性と学問を信奉するザラストロ一派の「光」を、旧態依然とした支配者である夜の女王を退けようとする「自然の光を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促す」(Wikipediaより)という意味の啓蒙思想になぞらえたうえで、現在に至るまでの光学の進歩と結び付けたわけです。私自身もともとこうした映画登場以前の光学ショーに興味があったことも手伝って、この着眼点は実に鋭くて面白いと感心せずにはいられませんでした。また光学だけでなく測量学や天文学に関する図像・道具のイメージもあちこちに散りばめられており、一瞬ながら天球儀のシルエットなどが出てくるのも探検記や冒険小説好きにはたまらないものがあります。
...と、ここまでは上でリンクした記事の内容をほぼ繰り返す形になってしまいましたが、新国のHPに掲載されたケントリッジのインタビューを読むに、映像収録版を見ての私の解釈はおおむね演出の意図通りというか、少なくとも間違ってはなかったようです(自画自賛/笑)。
さて改めて今回の上演の感想ですが、こうした情報量の多い演出は舞台全体を同時に視界に収められる実演鑑賞の方がやはり向いているとみえ、映像では見落としていた発見が少なからずありました。
明暗を強調したモノトーン調の美術はメルヘンチックな王道タイプの「魔笛」とは異なるものの、CGの変化と迫力にも助けられ、このオペラを魅力的にするのに欠かせない幻想性を十分に保っています。中でも夜の女王の二つのアリアで、音楽の盛り上がりにつれてカール・フリードリヒ・シンケルの有名な舞台デザインを下敷きにした満天の星空が現れ、四方八方に軌道を広げてゆく場面のプロジェクションマッピングは圧巻。ザラストロの登場場面で映しだされる立ち並ぶ柱のイメージとも対照をなしており、両陣営の性格を視覚面でみごとに印象づけていました。
ただこの演出の欠点を一つ挙げるなら、タミーノの成長物語としての一面が全体の方向性の中で埋もれがちになってしまい、そのため彼が試練を克服しパミーナを獲得するラストに至っても観る側としてはさほど喜ばしい気分を共有できない点ではないでしょうか。
もともとの台本からして個性が強いとはいえないこの役ですが、新時代のリーダーとしての性格がザラストロに一点集中しているようなこの演出では、いつにも増して自発的な意思に欠けるでくの棒に見えてしまいます。今回演じたダヴィスリムは癖のない声質でベテランらしくきちんとした歌唱とはいえ、それがかえって覇気と若々しさに欠ける雰囲気を醸し出していたのもまずかったかと(容姿も同じく...)同様に相手役のパミーナにしても、ケントリッジのインタビューでは「タミーノを導く重要な存在」と明言されているにもかかわらず、自己主張が弱く面白みに欠けるお姫様キャラから脱しきれないままの感が拭えなかったです。
シーズンオープニングの初日にしてはカーテンコールの熱気が今一つだったのも、もしかするとこうした肩入れできる主人公の不在による不完全燃焼感?(ぴったりな表現が思いつかない)が響いたように思えてなりません。最後にケントリッジ本人が登場した時は客席も結構沸いてましたけど。
その一方で、ザラストロに体現される"啓蒙的"リーダー像にしても百パーセント肯定的には描かれていません。植民地の支配階級として新しい思想の教化にあたろうとするこのザラストロの設定には、正義であるにせよどこか上から目線の押しつけがましさが潜んでいるとはスカラ座の映像を見た時から感じていましたが、それはむしろ演出家があえて強調した点であることが今回よく伝わってきました。
インタビューでロベスピエールを引き合いに出しているのが分かりやすかったですが、演出の根幹である「光」と「闇」の対立と相関というテーマに近代ヨーロッパの発展とその影に潜む負の面が重ね合わされているなら、こうしたザラストロの二面性が強調されるのは必然というべきでしょう。だからこそラストでザラストロを引き継ぐであろうポジションに就くタミーノとパミーナには、何らかの形でその方針への疑問を呈させてもよかった気がするのですが...
スカラ座と同じローランド・ベーア指揮の音楽面に関しては演奏も歌唱もいくぶん小ぢんまりとまとまってしまった感はあるものの、演出のイメージ通り若々しいカリスマ感に溢れてよく通る声のザラストロ、変に笑いを取ろうとしないのが好印象のパパゲーノ、コケティッシュな愛嬌を振りまいて舞台を明るくした侍女三人組とパパゲーナ(女性陣は衣装も華やかで可愛い)などを筆頭にみな健闘でした。
ところで、この「魔笛」でフィーチャーされた光学装置による見世物を取り上げた「マジック・ランタン―光と影の映像史―」という展覧会が、ちょうど重なり合う時期に恵比寿の東京都写真美術館で開催されており(こちらは八月に始まっていたのでギリギリの駆け込み鑑賞でしたけど)、観劇の翌週こちらにも行ってきました。
もう終了してしまいましたが美術館HPへのリンク→https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3083.html
小規模ながら見応えのある内容で、展示物はマジックランタン(幻灯)の映写機とガラス絵のスライド(いくつかは実際の映像も見られます)、またそれが上演される様子を題材にした当時の絵画がほとんど。珍しいところでは一見ボードゲームかと思うような箱に入った影絵芝居のキットとか。
受付のあるロビーにも幻灯機が設置してあり、そこでは撮影や手を触れたりも可能だったので記念に数枚撮ってきました。オペラに出てきたのもこれとそこそこ似た形状や大きさだったような↓

それ以外にも今度の「魔笛」を見たあとだといろいろ思い当たる内容の展示も多く、つくづく新国とコラボしなかったのが勿体ないと考えてしまったくらいでした(過去にその手の企画ってやったことあったっけ?)
例えばオペラ冒頭でタミーノが追いかけられ気絶する「大蛇」、ケントリッジ演出ではこの蛇の正体は実は三人の侍女たちが例の映写機を使って見せた影絵なのですが、展示されていた絵画(一枚はリンク先のHPにも)中にも手影絵で動物の形を作って遊ぶそっくりの光景が見つかったり。
なにしろ日本語で読める文献類さえ多いとはいえない前時代の光学アートという分野で、実際の道具類や映像に触れられるだけでもレアなのに、偶然にもそれを重要なモティーフとして組み込んだ舞台作品が近くの劇場で上演されていてほぼ同時期に両者を鑑賞できたのは本当に貴重な体験でした。マジックランタン以外にも多種多様で知れば知るほど興味の湧いてくるこのジャンル、いつかまた少し異なった紹介の仕方で見られる機会があればと思います。
南アフリカ出身であるケントリッジの「魔笛」は解釈にひねりを効かしたいわゆる読み替え系ではありませんが、時代設定を作品成立当時かその少し後の18世紀末~19世紀初頭に移し、啓蒙主義やヨーロッパ列強による植民地支配といった当時の時事的テーマを前面に押し出しているのが特徴です。
(いちおう)ヒーローにあたるタミーノは探検家で、このアフリカの地を訪れて間もなく、モノスタトスら現地人たちを従える白人支配階級のザラストロと夜の女王との対立に巻き込まれてしまったという構図のよう。
さらに印象的なのが、物語の軸となるこの光=ザラストロと闇=夜の女王との対立・相関関係を、これまた18~9世紀にかけて急速な進歩をとげ、エンターテインメントとしても大流行した光学に置きかえて視覚化していることです。
眼(脳に景色を映す装置なわけなのでこれも光学器械の一種)、幻灯機かカメラ・オブスクラらしき箱型装置、影絵によるアニメーション、黎明期の白黒映画、また現代でも大盛況のプロジェクション・マッピング等々さまざまな形態の光学モティーフが背景に登場し、物語に一役買います(人の眼マークに関しては、初見時はよくこのオペラとの関係が取り沙汰されるフリーメーソンのシンボルとして出したのかと思ったのですが、実演で観ると光学の象徴としての意味のほうがより強調されているようでした)。
すなわち太陽神殿をつかさどり理性と学問を信奉するザラストロ一派の「光」を、旧態依然とした支配者である夜の女王を退けようとする「自然の光を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促す」(Wikipediaより)という意味の啓蒙思想になぞらえたうえで、現在に至るまでの光学の進歩と結び付けたわけです。私自身もともとこうした映画登場以前の光学ショーに興味があったことも手伝って、この着眼点は実に鋭くて面白いと感心せずにはいられませんでした。また光学だけでなく測量学や天文学に関する図像・道具のイメージもあちこちに散りばめられており、一瞬ながら天球儀のシルエットなどが出てくるのも探検記や冒険小説好きにはたまらないものがあります。
...と、ここまでは上でリンクした記事の内容をほぼ繰り返す形になってしまいましたが、新国のHPに掲載されたケントリッジのインタビューを読むに、映像収録版を見ての私の解釈はおおむね演出の意図通りというか、少なくとも間違ってはなかったようです(自画自賛/笑)。
さて改めて今回の上演の感想ですが、こうした情報量の多い演出は舞台全体を同時に視界に収められる実演鑑賞の方がやはり向いているとみえ、映像では見落としていた発見が少なからずありました。
明暗を強調したモノトーン調の美術はメルヘンチックな王道タイプの「魔笛」とは異なるものの、CGの変化と迫力にも助けられ、このオペラを魅力的にするのに欠かせない幻想性を十分に保っています。中でも夜の女王の二つのアリアで、音楽の盛り上がりにつれてカール・フリードリヒ・シンケルの有名な舞台デザインを下敷きにした満天の星空が現れ、四方八方に軌道を広げてゆく場面のプロジェクションマッピングは圧巻。ザラストロの登場場面で映しだされる立ち並ぶ柱のイメージとも対照をなしており、両陣営の性格を視覚面でみごとに印象づけていました。


ただこの演出の欠点を一つ挙げるなら、タミーノの成長物語としての一面が全体の方向性の中で埋もれがちになってしまい、そのため彼が試練を克服しパミーナを獲得するラストに至っても観る側としてはさほど喜ばしい気分を共有できない点ではないでしょうか。
もともとの台本からして個性が強いとはいえないこの役ですが、新時代のリーダーとしての性格がザラストロに一点集中しているようなこの演出では、いつにも増して自発的な意思に欠けるでくの棒に見えてしまいます。今回演じたダヴィスリムは癖のない声質でベテランらしくきちんとした歌唱とはいえ、それがかえって覇気と若々しさに欠ける雰囲気を醸し出していたのもまずかったかと(容姿も同じく...)同様に相手役のパミーナにしても、ケントリッジのインタビューでは「タミーノを導く重要な存在」と明言されているにもかかわらず、自己主張が弱く面白みに欠けるお姫様キャラから脱しきれないままの感が拭えなかったです。
シーズンオープニングの初日にしてはカーテンコールの熱気が今一つだったのも、もしかするとこうした肩入れできる主人公の不在による不完全燃焼感?(ぴったりな表現が思いつかない)が響いたように思えてなりません。最後にケントリッジ本人が登場した時は客席も結構沸いてましたけど。
その一方で、ザラストロに体現される"啓蒙的"リーダー像にしても百パーセント肯定的には描かれていません。植民地の支配階級として新しい思想の教化にあたろうとするこのザラストロの設定には、正義であるにせよどこか上から目線の押しつけがましさが潜んでいるとはスカラ座の映像を見た時から感じていましたが、それはむしろ演出家があえて強調した点であることが今回よく伝わってきました。
インタビューでロベスピエールを引き合いに出しているのが分かりやすかったですが、演出の根幹である「光」と「闇」の対立と相関というテーマに近代ヨーロッパの発展とその影に潜む負の面が重ね合わされているなら、こうしたザラストロの二面性が強調されるのは必然というべきでしょう。だからこそラストでザラストロを引き継ぐであろうポジションに就くタミーノとパミーナには、何らかの形でその方針への疑問を呈させてもよかった気がするのですが...
スカラ座と同じローランド・ベーア指揮の音楽面に関しては演奏も歌唱もいくぶん小ぢんまりとまとまってしまった感はあるものの、演出のイメージ通り若々しいカリスマ感に溢れてよく通る声のザラストロ、変に笑いを取ろうとしないのが好印象のパパゲーノ、コケティッシュな愛嬌を振りまいて舞台を明るくした侍女三人組とパパゲーナ(女性陣は衣装も華やかで可愛い)などを筆頭にみな健闘でした。
ところで、この「魔笛」でフィーチャーされた光学装置による見世物を取り上げた「マジック・ランタン―光と影の映像史―」という展覧会が、ちょうど重なり合う時期に恵比寿の東京都写真美術館で開催されており(こちらは八月に始まっていたのでギリギリの駆け込み鑑賞でしたけど)、観劇の翌週こちらにも行ってきました。
もう終了してしまいましたが美術館HPへのリンク→https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3083.html
小規模ながら見応えのある内容で、展示物はマジックランタン(幻灯)の映写機とガラス絵のスライド(いくつかは実際の映像も見られます)、またそれが上演される様子を題材にした当時の絵画がほとんど。珍しいところでは一見ボードゲームかと思うような箱に入った影絵芝居のキットとか。
受付のあるロビーにも幻灯機が設置してあり、そこでは撮影や手を触れたりも可能だったので記念に数枚撮ってきました。オペラに出てきたのもこれとそこそこ似た形状や大きさだったような↓


それ以外にも今度の「魔笛」を見たあとだといろいろ思い当たる内容の展示も多く、つくづく新国とコラボしなかったのが勿体ないと考えてしまったくらいでした(過去にその手の企画ってやったことあったっけ?)
例えばオペラ冒頭でタミーノが追いかけられ気絶する「大蛇」、ケントリッジ演出ではこの蛇の正体は実は三人の侍女たちが例の映写機を使って見せた影絵なのですが、展示されていた絵画(一枚はリンク先のHPにも)中にも手影絵で動物の形を作って遊ぶそっくりの光景が見つかったり。
なにしろ日本語で読める文献類さえ多いとはいえない前時代の光学アートという分野で、実際の道具類や映像に触れられるだけでもレアなのに、偶然にもそれを重要なモティーフとして組み込んだ舞台作品が近くの劇場で上演されていてほぼ同時期に両者を鑑賞できたのは本当に貴重な体験でした。マジックランタン以外にも多種多様で知れば知るほど興味の湧いてくるこのジャンル、いつかまた少し異なった紹介の仕方で見られる機会があればと思います。