6・4 新国立劇場 「ローエングリン」
2012.06.05 03:34|音楽鑑賞(主にオペラ)|
新宿から初台に行こうとしたら、信号点検とかで電車が遅れて、駅に着いたのが開演時刻の一分前くらい。運良くギリギリですべり込めたけど(今回はエレベーター降りてすぐの、三階の端っこの席だったからまだ良かった)。去年のバイエルンの時といい、どうもこの演目には楽に会場に行けないジンクスがあるみたいで困ります。
さて、私が「ローエングリン」に一番求めたいのは、人間界とはへだてられた聖域(聖杯城)からやってきた主役が常人とは明らかに異質な存在であることが、どのような形であれしっかりと舞台で表出されていることです。
今回の上演ではフォークトという、声も姿もぴったりのローエングリン役が得られたことで、その最低限のハードルはクリアできたと言えるでしょう。彼のローエングリンがこれ以上ないはまり役なのは今更ここで書くまでもありませんが、はじめて実演で聴いて、よどみない清流のような声の美しさに加え、決して崩れない歌唱スタイルの端正さにも改めて驚かされました。
ネット放送等で聞いたフォークトの歌でも、あの独特の声質と歌唱は役によっては違和感があることも少なくありません。ですがその個性が、終始一貫して超然とした存在のローエングリンのキャラクターには怖いくらいにぴったりで、まさに独り舞台でした。
そのぶん他の歌手、特に男性陣はだいぶ割を食ってしまって気の毒だったけれど、その中でも伝令役の萩原さんは大健闘。
グロイスベック(ハインリヒ王)とグロホフスキー(テルラムント)はどちらも役の雰囲気は備えていたものの、声に伸びと艶が今ひとつ足りない感じ。テルラムントが二幕冒頭でブチ切れるところ、今回のグロホフスキーも声量がガタっと落ちてしまいましたが、バリトンにとっては鬼門の箇所なんでしょうか。
出るとき後ろを歩いていたお二方いわく、メルベートの歌は「ピッチが外れぎみ」とか。私にはそこまでかどうかはわかりませんでしたが、数シーズン前の「タンホイザー」の時とは印象がだいぶ異なり、声が熟成して厚みが出たせいか節回しがねちっこくなったようでした。
そのせいか、エルザがちょっと思い込みが激しく粘着質なタイプに聴こえ(演技も含め)、最初どことなく違和感があったのは確かです。ただ、それがフォークトの個性とおもしろい対照をなして、お互いの歌からしていかにも噛み合わなさそうなカップル、という思わぬ効果が出ていたかも。
しかしなんというかこの演出、そういった要素以外でキャラの性格付けがほとんど見えてこないのです。というより、フォークトの際立った個性に八割がた頼った舞台といってもいいくらい。
特にそのしわ寄せが来てしまったのが事件の元凶であるはずのオルトルート。レスマークの歌や演技自体は決して悪いとは思わないのに、演出が役を全然掘り下げようとしていないため、終わってみれば衣装のへんてこりんさ(あとカーテンコールのアクシデント・・・)ばかり印象に残るというなんとも中途半端な役どころに。
他のオペラで見たレスマークは実に演技達者な人でしたし、演出しだいではもっと存在感が出せたかもと思うとお気の毒です。
確かに「ローエングリン」のような作品なら、テーマ性やコンセプトをひねり出すのは二の次にして、音楽と主役の背景として美しい舞台を作るのもそれはそれでありでしょう。
ただ今回の舞台美術、一幕のオブジェが色と材質的に、納豆パックのフタを積んだのに見えてきてしまったり(我ながらなんて連想するんだとつくづく嫌になりましたが)、ローエングリンを運んできたのが白鳥というよりモフモフの巨大な蛾っぽかったり・・・。音楽と合っているとも思えない花火の映像の色彩も悪趣味で、この幕の美的センスは正直微妙に思えました。
それ以降はまあまあ綺麗なセットでしたが、ずっと背景に格子がある意味はよく分かりません。ラストシーン、人物の退場のさせ方もあれじゃちょっと拍子抜け。
・・・何か文句ばっかり並べる格好になってしまいましたが、それでも今回の上演は音楽面での充実がすべてだったと思います。振付はともかく、合唱は相変わらずみごとでフォークトと並ぶ第二の主役といっていいくらいでしたし、シュナイダーが振るオケの演奏も、新国で耳にするのは久しぶりの熱気と密度でした。次はこの指揮者とテノールで「影のない女」再演してくれないかなあ。
(ウィーンもシュナイダーなら別の演目持ってきてくれればよかったのに。またフィガロじゃ行く気にならない。)
さて、私が「ローエングリン」に一番求めたいのは、人間界とはへだてられた聖域(聖杯城)からやってきた主役が常人とは明らかに異質な存在であることが、どのような形であれしっかりと舞台で表出されていることです。
今回の上演ではフォークトという、声も姿もぴったりのローエングリン役が得られたことで、その最低限のハードルはクリアできたと言えるでしょう。彼のローエングリンがこれ以上ないはまり役なのは今更ここで書くまでもありませんが、はじめて実演で聴いて、よどみない清流のような声の美しさに加え、決して崩れない歌唱スタイルの端正さにも改めて驚かされました。
ネット放送等で聞いたフォークトの歌でも、あの独特の声質と歌唱は役によっては違和感があることも少なくありません。ですがその個性が、終始一貫して超然とした存在のローエングリンのキャラクターには怖いくらいにぴったりで、まさに独り舞台でした。
そのぶん他の歌手、特に男性陣はだいぶ割を食ってしまって気の毒だったけれど、その中でも伝令役の萩原さんは大健闘。
グロイスベック(ハインリヒ王)とグロホフスキー(テルラムント)はどちらも役の雰囲気は備えていたものの、声に伸びと艶が今ひとつ足りない感じ。テルラムントが二幕冒頭でブチ切れるところ、今回のグロホフスキーも声量がガタっと落ちてしまいましたが、バリトンにとっては鬼門の箇所なんでしょうか。
出るとき後ろを歩いていたお二方いわく、メルベートの歌は「ピッチが外れぎみ」とか。私にはそこまでかどうかはわかりませんでしたが、数シーズン前の「タンホイザー」の時とは印象がだいぶ異なり、声が熟成して厚みが出たせいか節回しがねちっこくなったようでした。
そのせいか、エルザがちょっと思い込みが激しく粘着質なタイプに聴こえ(演技も含め)、最初どことなく違和感があったのは確かです。ただ、それがフォークトの個性とおもしろい対照をなして、お互いの歌からしていかにも噛み合わなさそうなカップル、という思わぬ効果が出ていたかも。
しかしなんというかこの演出、そういった要素以外でキャラの性格付けがほとんど見えてこないのです。というより、フォークトの際立った個性に八割がた頼った舞台といってもいいくらい。
特にそのしわ寄せが来てしまったのが事件の元凶であるはずのオルトルート。レスマークの歌や演技自体は決して悪いとは思わないのに、演出が役を全然掘り下げようとしていないため、終わってみれば衣装のへんてこりんさ(あとカーテンコールのアクシデント・・・)ばかり印象に残るというなんとも中途半端な役どころに。
他のオペラで見たレスマークは実に演技達者な人でしたし、演出しだいではもっと存在感が出せたかもと思うとお気の毒です。
確かに「ローエングリン」のような作品なら、テーマ性やコンセプトをひねり出すのは二の次にして、音楽と主役の背景として美しい舞台を作るのもそれはそれでありでしょう。
ただ今回の舞台美術、一幕のオブジェが色と材質的に、納豆パックのフタを積んだのに見えてきてしまったり(我ながらなんて連想するんだとつくづく嫌になりましたが)、ローエングリンを運んできたのが白鳥というよりモフモフの巨大な蛾っぽかったり・・・。音楽と合っているとも思えない花火の映像の色彩も悪趣味で、この幕の美的センスは正直微妙に思えました。
それ以降はまあまあ綺麗なセットでしたが、ずっと背景に格子がある意味はよく分かりません。ラストシーン、人物の退場のさせ方もあれじゃちょっと拍子抜け。
・・・何か文句ばっかり並べる格好になってしまいましたが、それでも今回の上演は音楽面での充実がすべてだったと思います。振付はともかく、合唱は相変わらずみごとでフォークトと並ぶ第二の主役といっていいくらいでしたし、シュナイダーが振るオケの演奏も、新国で耳にするのは久しぶりの熱気と密度でした。次はこの指揮者とテノールで「影のない女」再演してくれないかなあ。
(ウィーンもシュナイダーなら別の演目持ってきてくれればよかったのに。またフィガロじゃ行く気にならない。)
- 関連記事
タグ:オペラ感想