9/13 二期会 「パルジファル」
2012.09.14 20:28|音楽鑑賞(主にオペラ)|
この「パルジファル」、さいしょに写真で見たときはいつものグートの舞台だなあ、まあ全曲の実演はそうないし行ってみるか――という感じだったんですが・・・。蓋を開けてみたら予想よりずっと面白くてうれしい驚きでした (初日の特典なのか、復刻版対訳までもらえちゃったし)。
今回の演出チーム、クラウス・グートと装置・衣装のクリスティアン・シュミットの作る舞台はすっきりしたビジュアルながらインパクトのある、スタイリッシュな作風というのが私の勝手なイメージです。しかしなぜか家のセット、それもインテリアもよく似た階段つきのが出現する率が異常に高く、「パルジファル」も例外ではありません。
ですが、ここではモンサルヴァートをある「家」に見立てるというコンセプトが全体を支配しており、それに絡めて他の演出で光が当てられたのを見たことがないティトゥレルとアンフォルタス、クリングゾルの関係も新しい切り口から描かれているので、定番の家セットも納得いく使われ方でした。
※以降最後までネタバレ
この演出最大のポイントは、仇敵どうしのアンフォルタスとクリングゾルを実の兄弟として設定したことにあります。
前奏曲の終盤、幕が上がると二人の息子と食卓を囲んでいる年取った父親。席を立った父親は自分の右手に座った息子に歩み寄り祝福するような身振りをしますが、もう一人には目もくれません。無視されたほうは怒りを爆発させたのか、急に立ち上がると荒々しく出て行ってしまいました。
食堂の真上の部屋にはガラスケースに収まった聖杯があるので、老人はティトゥレルで気に入りの息子はアンフォルタス、家出したのがクリングゾルらしいと分かります。
次にグルネマンツたちがいるのも同じ邸宅ですが、年月が流れていまは戦時中、傷病兵用の病院に姿を変えています。クンドリーはここに逃れてきた難民で、看護婦さん(本来はズボン役の小姓)たちを手伝っている様子。グルネマンツも病院の理事か専属の聖職者という感じだけれど、彼と医者や看護婦以外は本来の主人アンフォルタスはじめみな負傷者ばかり、中には明らかに精神を病んだものもいて、平穏な聖域とはほど遠い雰囲気です。
(もっとも台本でも外の戦いに派遣されるのも聖杯騎士たちの役目というし、そこから負傷して戻りもするでしょうから、モンサルヴァートを病院に読み替えるのは部分的にはありかと。聖杯には癒しの力もあるわけですし。)
特徴的なのは歌手本人が姿を現さない方が多い(下手するとミイラ状態の人形で声のみ出演とか)ティトゥレルがよぼよぼでもまだ何とか動け、ほとんど儀式の主導権を握ってさえいることです。
一幕で聖杯を開帳する場面、アンフォルタスを追い詰める騎士団というよりは父と子の感情のぶつかり合いといった構図で、かつて良好だった親子の関係が壊れてしまったことをうかがわせ、かえってアンフォルタスの孤独感を際立たせていました。
聖餐式の描き方がこれまた嫌悪感を催さずにはいられないようなもので、生きるために仕方ないとはいえティトゥレルはじめ騎士団の閉鎖的な異常性をあらわにしています。
二幕のクリングゾルの城はなぜか一幕と同じ家のセットながら、こちらは優雅にライトアップされて1920年代のフラッパーの格好をした花の乙女たちが集うダンスホールになったり、続くクンドリーの語りでは草地にブランコが下りてパルジファルの子供時代を再現する空間になったりと幻想的に変化します。この幕のコンセプトとしてはわりとオーソドックスな印象。
三幕では一幕の館にも戦火が及んだらしく、床には瓦礫が散乱してもはや病院として機能してません。騎士(患者)たちの生き残りに癒しを与えたパルジファルですが、ラストで彼が迎えられるのは新しい軍事的リーダーとして。一人で全体を救える唯一の存在は、結局は独裁者にならざるを得ないということでしょうか。
戻ってきたクリングゾルとアンフォルタスも和解して騎士団は再団結を果たすものの、彼らを待つのは新たな戦争・・・という不穏な未来が暗示されます。一方でクンドリーは安らぎを得るどころか、また難民として逃げるように去っていくのです。
意地悪い見方をすれば家の中での親子兄弟げんかが戦争の火種とか、なんてスケールの小さい話だよと言いたくなりますが、実権を握った一部の指導者層の内輪もめに軍や民衆が振り回される惨状(この演出が先に上演されたスペインあたりの内戦?)の皮肉な象徴にもとれます。
あとこの「階層」という問題も全体を通したテーマではないかと。聖杯がある二階に下っ端の騎士たちは上らず下から礼拝するだけだし、クリングゾルも階上から一階のクンドリーに命令する文字通りの上下関係。これはパルジファルの新体制によっても解消せず、むしろ強化すらされたように見えてなりません。
回り舞台を使った家の装置はこういった人間関係をわかりやすく図式化できるうえ、つぎつぎ新しいドラマが展開して飽きがこないという点でたいへん効果的でした。ただ音が反響しやすい造りなのか歌声もよく響く反面、ステージでの物音、何より舞台が回転するときにミシミシギシギシいうのがやたらと大きく聞こえるのが困りものです。
それでも個人的にはセットの騒音以外に文句のつけようがないくらい、音楽も演技も一体となって充実した上演だったと思います。登場人物一人一人に細かな演技づけが徹底していたのも、完成度を格段に高めていました。
念願の飯守指揮ワーグナーをようやく聴けたのですが、序曲こそちょっとしゃちこばって感じたものの、その後は舞台とぴったりかみ合った柔軟性とキレのある音楽作りですばらしかったです。読響も十年前に同じ文化会館でこの曲をやったときとはぜんぜん違う力強さだったし。
歌唱面でも思っていた以上の完成度。バイロイトの映像を見てクンドリーの存在感が大きく全体の印象を左右すると再認識したばかりですが、今回の橋爪さんは幕ごとに違ったキャラクターをしっかり演じわけ、とりわけ妖艶さと包容力を兼ね備えた二幕の誘惑の歌が耳に残りました。誘惑シーンも様になってましたし。
福井さんの珍しいくらい熱血タイプなパルジファル、小鉄さんの威圧的過ぎない等身大のグルネマンツ、それにより複雑な設定にされたアンフォルタスの苦しみを演じきった黒田さんはじめ男声陣もバランスよく、他の小さな役にいたるまで穴のない歌唱でした。
今回の演出チーム、クラウス・グートと装置・衣装のクリスティアン・シュミットの作る舞台はすっきりしたビジュアルながらインパクトのある、スタイリッシュな作風というのが私の勝手なイメージです。しかしなぜか家のセット、それもインテリアもよく似た階段つきのが出現する率が異常に高く、「パルジファル」も例外ではありません。
ですが、ここではモンサルヴァートをある「家」に見立てるというコンセプトが全体を支配しており、それに絡めて他の演出で光が当てられたのを見たことがないティトゥレルとアンフォルタス、クリングゾルの関係も新しい切り口から描かれているので、定番の家セットも納得いく使われ方でした。
※以降最後までネタバレ
この演出最大のポイントは、仇敵どうしのアンフォルタスとクリングゾルを実の兄弟として設定したことにあります。
前奏曲の終盤、幕が上がると二人の息子と食卓を囲んでいる年取った父親。席を立った父親は自分の右手に座った息子に歩み寄り祝福するような身振りをしますが、もう一人には目もくれません。無視されたほうは怒りを爆発させたのか、急に立ち上がると荒々しく出て行ってしまいました。
食堂の真上の部屋にはガラスケースに収まった聖杯があるので、老人はティトゥレルで気に入りの息子はアンフォルタス、家出したのがクリングゾルらしいと分かります。
次にグルネマンツたちがいるのも同じ邸宅ですが、年月が流れていまは戦時中、傷病兵用の病院に姿を変えています。クンドリーはここに逃れてきた難民で、看護婦さん(本来はズボン役の小姓)たちを手伝っている様子。グルネマンツも病院の理事か専属の聖職者という感じだけれど、彼と医者や看護婦以外は本来の主人アンフォルタスはじめみな負傷者ばかり、中には明らかに精神を病んだものもいて、平穏な聖域とはほど遠い雰囲気です。
(もっとも台本でも外の戦いに派遣されるのも聖杯騎士たちの役目というし、そこから負傷して戻りもするでしょうから、モンサルヴァートを病院に読み替えるのは部分的にはありかと。聖杯には癒しの力もあるわけですし。)
特徴的なのは歌手本人が姿を現さない方が多い(下手するとミイラ状態の人形で声のみ出演とか)ティトゥレルがよぼよぼでもまだ何とか動け、ほとんど儀式の主導権を握ってさえいることです。
一幕で聖杯を開帳する場面、アンフォルタスを追い詰める騎士団というよりは父と子の感情のぶつかり合いといった構図で、かつて良好だった親子の関係が壊れてしまったことをうかがわせ、かえってアンフォルタスの孤独感を際立たせていました。
聖餐式の描き方がこれまた嫌悪感を催さずにはいられないようなもので、生きるために仕方ないとはいえティトゥレルはじめ騎士団の閉鎖的な異常性をあらわにしています。
二幕のクリングゾルの城はなぜか一幕と同じ家のセットながら、こちらは優雅にライトアップされて1920年代のフラッパーの格好をした花の乙女たちが集うダンスホールになったり、続くクンドリーの語りでは草地にブランコが下りてパルジファルの子供時代を再現する空間になったりと幻想的に変化します。この幕のコンセプトとしてはわりとオーソドックスな印象。
三幕では一幕の館にも戦火が及んだらしく、床には瓦礫が散乱してもはや病院として機能してません。騎士(患者)たちの生き残りに癒しを与えたパルジファルですが、ラストで彼が迎えられるのは新しい軍事的リーダーとして。一人で全体を救える唯一の存在は、結局は独裁者にならざるを得ないということでしょうか。
戻ってきたクリングゾルとアンフォルタスも和解して騎士団は再団結を果たすものの、彼らを待つのは新たな戦争・・・という不穏な未来が暗示されます。一方でクンドリーは安らぎを得るどころか、また難民として逃げるように去っていくのです。
意地悪い見方をすれば家の中での親子兄弟げんかが戦争の火種とか、なんてスケールの小さい話だよと言いたくなりますが、実権を握った一部の指導者層の内輪もめに軍や民衆が振り回される惨状(この演出が先に上演されたスペインあたりの内戦?)の皮肉な象徴にもとれます。
あとこの「階層」という問題も全体を通したテーマではないかと。聖杯がある二階に下っ端の騎士たちは上らず下から礼拝するだけだし、クリングゾルも階上から一階のクンドリーに命令する文字通りの上下関係。これはパルジファルの新体制によっても解消せず、むしろ強化すらされたように見えてなりません。
回り舞台を使った家の装置はこういった人間関係をわかりやすく図式化できるうえ、つぎつぎ新しいドラマが展開して飽きがこないという点でたいへん効果的でした。ただ音が反響しやすい造りなのか歌声もよく響く反面、ステージでの物音、何より舞台が回転するときにミシミシギシギシいうのがやたらと大きく聞こえるのが困りものです。
それでも個人的にはセットの騒音以外に文句のつけようがないくらい、音楽も演技も一体となって充実した上演だったと思います。登場人物一人一人に細かな演技づけが徹底していたのも、完成度を格段に高めていました。
念願の飯守指揮ワーグナーをようやく聴けたのですが、序曲こそちょっとしゃちこばって感じたものの、その後は舞台とぴったりかみ合った柔軟性とキレのある音楽作りですばらしかったです。読響も十年前に同じ文化会館でこの曲をやったときとはぜんぜん違う力強さだったし。
歌唱面でも思っていた以上の完成度。バイロイトの映像を見てクンドリーの存在感が大きく全体の印象を左右すると再認識したばかりですが、今回の橋爪さんは幕ごとに違ったキャラクターをしっかり演じわけ、とりわけ妖艶さと包容力を兼ね備えた二幕の誘惑の歌が耳に残りました。誘惑シーンも様になってましたし。
福井さんの珍しいくらい熱血タイプなパルジファル、小鉄さんの威圧的過ぎない等身大のグルネマンツ、それにより複雑な設定にされたアンフォルタスの苦しみを演じきった黒田さんはじめ男声陣もバランスよく、他の小さな役にいたるまで穴のない歌唱でした。
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