怖すぎる人形の家の話 ― ロバート・エイクマン 「奥の部屋」
2013.03.04 21:55|怪奇幻想文学いろいろ|
昨日の雛祭りで思い出した、これまで読んだ中では一番ぞっとした人形のお話の紹介。
英国の怪奇小説作家、ロバート・エイクマン(Robert Aickman)の短編集で、これまでにも取り上げたことがある「魔法の本棚」シリーズ六巻のうちの一冊です。
エイクマンの作品は短編にしてはやや長めのことが多く、したがって収録されている本数も他のシリーズに比べると少ない五作(「学友」・「髪を束ねて」・「待合室」・「恍惚」・「奥の部屋」)。人形の話というのは最後の表題作「奥の部屋」のこと。
「徒歩旅行の途中で迷い込んだ古い屋敷は、昔買ってもらった人形の家にそっくりだった…」(紹介文)
語り手の女性の回想で始まる物語。1921年の夏、まだ子供だった彼女は誕生日に両親と弟の一家四人で海に出かけました。ですが途中でエンジンが故障してしまい、両親は仕方なく車を最寄りのガレージに預け、娘にはその町でバースデープレゼントを買ってやることにします。
入った薄汚れた雑貨屋で、彼女がねだったのは古びているものの大きく豪華な人形の家。しかし買ってもらったまでは良かったのですが、自宅の一室に据え付けられたその家を調べるうちに色々奇妙なことに気づいたのです。
窓から室内は覗けても内部を開く方法がわからない上、中にいる女性ばかり九体の人形は皆こちらに背を向けていて顔が見えません。それに店で見た時、もう一体窓辺にいたはずの人形はどこに行ってしまったのか…。子供ながらに頭を悩ませているうち、夢にまで人形の家とその住人達のことがつきまとい始め、気味悪くなった彼女はやがてそれに触れようとしなくなりました。
さらには学校の宿題で人形屋敷の間取りを測っていた弟が、夕食の席であの家には一箇所どうしても計算の合わない箇所、たとえば隠し部屋のような部分があるんじゃないかと言い出します。母親もそれを確かめに行き、翌日になると人形の家は忽然と姿を消していました。
その後、一家は次々と不幸な形で離散。夫も大戦で失い孤独な中年女性となった語り手は、旅の最中に近道をするつもりがいつの間にか藪が生い茂る深い森へと迷い込んでしまいます。木立ちを分けて進むうち、目の前に現れた荒れ果てた屋敷は紛れもなくあの......
そして、扉がふいにきしんで開きます。
ざっと上記のような筋ですが、まず外から一切干渉できない閉じられた人形の家というのが不気味。中にいる人形たちの顔さえ見えないのも。そのせいで本来の関係が逆転し、たわいもない遊び道具のはずの人形に人間たちのほうが翻弄されているようでさえあります。
エイクマンの作風はいわゆる正統派のホラーではなく(あとがきによれば本人は自作を「ストレンジ・ストーリー」と称したがっていたとのこと)、このままクライマックスへ突き進むかと思ったら肩透かしを食わされたり、謎が全く解明されず実にもやもやした読後感と一緒に放り出されたりといった調子です。
その着地点の見えなさが大きな魅力の一つといえますが、逆に思わせぶりなぼかしが過ぎると苦手に感じる人もいそうで好き嫌いがはっきり分かれるタイプだと思います。私自身は最後まで何がどうなるか分からず、わくわくしながらページをめくれるのがこのジャンル一番の醍醐味という意見なのでかなりツボ。
いっぽうで日常の世界もまたしっかりと地に足の着いた描写をされており、表裏一体として対をなす非日常的事象の異様さをなおのこと引き立てています。「奥の部屋」の場合でいうなら、物語の大半を占めているのは主人公が育った一見平凡な家庭での回想なのですが、そこにもう一つの「家」との一筋縄ではいかない対比があるようにも思えてきたり(まあ、どんな家にもある種の「奥の部屋」は存在するものなのかもしれませんが)。
加えてとりわけ女の登場人物に毒を感じるというのか、このジャンルの男性作家には珍しい妙なリアルさがあるのもエイクマンの特徴といえそうです。
「髪を束ねて」で婚約者の実家を挨拶に訪ねたヒロインの向こうの家族への本音とか、「学友」や「列車」(これは別のアンソロ「怪奇小説の世紀」に収められている作品)での、親友同士の女性二人に時折のぞく微妙な距離感なんて思わずうわ~と言いたくなるぐらい(笑) そんなことに気をとられているうち、いきなり話がぐいっと方向転換してしまうのがまた面白いんですが。
なかなか強烈な装丁はベルギー象徴派の画家クノップフの「私は私自身に扉を閉ざす」という絵の一部をそのまま使ったもの。収録されたうちの一作「恍惚」が「あるベルギー象徴派画家の未亡人」の話なのでそこからの発想かもしれませんが、女性の内面に焦点を当てた作品が多く選ばれているこの本にはぴったりです。
余談ですが昨日はうちでも久しぶりに一日だけお雛様を飾りました
(何でも触りたがる猫たちのせいで、平日誰もいないときには怖くて出しておけないんです!)が、三、四年はしまいっぱなしだったので、この話の彼女ほどでなくても私も人形からだいぶ恨まれているかも…なんて。
追記:エイクマンの未邦訳作品、"Pages From a Young Girl's Journal" (ある少女の日記帳より)の抄訳を月に一、二回ほどのペースで紹介しています。興味を持たれた方は是非ご一読ください。
→第一回はこちら
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英国の怪奇小説作家、ロバート・エイクマン(Robert Aickman)の短編集で、これまでにも取り上げたことがある「魔法の本棚」シリーズ六巻のうちの一冊です。
エイクマンの作品は短編にしてはやや長めのことが多く、したがって収録されている本数も他のシリーズに比べると少ない五作(「学友」・「髪を束ねて」・「待合室」・「恍惚」・「奥の部屋」)。人形の話というのは最後の表題作「奥の部屋」のこと。
「徒歩旅行の途中で迷い込んだ古い屋敷は、昔買ってもらった人形の家にそっくりだった…」(紹介文)
語り手の女性の回想で始まる物語。1921年の夏、まだ子供だった彼女は誕生日に両親と弟の一家四人で海に出かけました。ですが途中でエンジンが故障してしまい、両親は仕方なく車を最寄りのガレージに預け、娘にはその町でバースデープレゼントを買ってやることにします。
入った薄汚れた雑貨屋で、彼女がねだったのは古びているものの大きく豪華な人形の家。しかし買ってもらったまでは良かったのですが、自宅の一室に据え付けられたその家を調べるうちに色々奇妙なことに気づいたのです。
窓から室内は覗けても内部を開く方法がわからない上、中にいる女性ばかり九体の人形は皆こちらに背を向けていて顔が見えません。それに店で見た時、もう一体窓辺にいたはずの人形はどこに行ってしまったのか…。子供ながらに頭を悩ませているうち、夢にまで人形の家とその住人達のことがつきまとい始め、気味悪くなった彼女はやがてそれに触れようとしなくなりました。
さらには学校の宿題で人形屋敷の間取りを測っていた弟が、夕食の席であの家には一箇所どうしても計算の合わない箇所、たとえば隠し部屋のような部分があるんじゃないかと言い出します。母親もそれを確かめに行き、翌日になると人形の家は忽然と姿を消していました。
その後、一家は次々と不幸な形で離散。夫も大戦で失い孤独な中年女性となった語り手は、旅の最中に近道をするつもりがいつの間にか藪が生い茂る深い森へと迷い込んでしまいます。木立ちを分けて進むうち、目の前に現れた荒れ果てた屋敷は紛れもなくあの......
そして、扉がふいにきしんで開きます。
ざっと上記のような筋ですが、まず外から一切干渉できない閉じられた人形の家というのが不気味。中にいる人形たちの顔さえ見えないのも。そのせいで本来の関係が逆転し、たわいもない遊び道具のはずの人形に人間たちのほうが翻弄されているようでさえあります。
エイクマンの作風はいわゆる正統派のホラーではなく(あとがきによれば本人は自作を「ストレンジ・ストーリー」と称したがっていたとのこと)、このままクライマックスへ突き進むかと思ったら肩透かしを食わされたり、謎が全く解明されず実にもやもやした読後感と一緒に放り出されたりといった調子です。
その着地点の見えなさが大きな魅力の一つといえますが、逆に思わせぶりなぼかしが過ぎると苦手に感じる人もいそうで好き嫌いがはっきり分かれるタイプだと思います。私自身は最後まで何がどうなるか分からず、わくわくしながらページをめくれるのがこのジャンル一番の醍醐味という意見なのでかなりツボ。
いっぽうで日常の世界もまたしっかりと地に足の着いた描写をされており、表裏一体として対をなす非日常的事象の異様さをなおのこと引き立てています。「奥の部屋」の場合でいうなら、物語の大半を占めているのは主人公が育った一見平凡な家庭での回想なのですが、そこにもう一つの「家」との一筋縄ではいかない対比があるようにも思えてきたり(まあ、どんな家にもある種の「奥の部屋」は存在するものなのかもしれませんが)。
加えてとりわけ女の登場人物に毒を感じるというのか、このジャンルの男性作家には珍しい妙なリアルさがあるのもエイクマンの特徴といえそうです。
「髪を束ねて」で婚約者の実家を挨拶に訪ねたヒロインの向こうの家族への本音とか、「学友」や「列車」(これは別のアンソロ「怪奇小説の世紀」に収められている作品)での、親友同士の女性二人に時折のぞく微妙な距離感なんて思わずうわ~と言いたくなるぐらい(笑) そんなことに気をとられているうち、いきなり話がぐいっと方向転換してしまうのがまた面白いんですが。
なかなか強烈な装丁はベルギー象徴派の画家クノップフの「私は私自身に扉を閉ざす」という絵の一部をそのまま使ったもの。収録されたうちの一作「恍惚」が「あるベルギー象徴派画家の未亡人」の話なのでそこからの発想かもしれませんが、女性の内面に焦点を当てた作品が多く選ばれているこの本にはぴったりです。
余談ですが昨日はうちでも久しぶりに一日だけお雛様を飾りました

追記:エイクマンの未邦訳作品、"Pages From a Young Girl's Journal" (ある少女の日記帳より)の抄訳を月に一、二回ほどのペースで紹介しています。興味を持たれた方は是非ご一読ください。
→第一回はこちら
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