ロバート・エイクマン「ある少女の日記帳より」 No.3
2014.09.12 00:58|怪奇幻想文学いろいろ|
パーティーの準備に初めての街歩きにと、少女の周りはにわかに活気づきはじめます。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月五日
けさママのところに朝の挨拶に行くと、びっくりするようなニュースが待っていました。ママは私にお座りなさいといってから(ママとパパの部屋には私のところよりたくさん椅子があるし、他の色々なものももっと揃っています)、この屋敷でパーティーが開かれると切り出したんです! ママはまるでそれが逃れられない恐るべき試練か何かのような言い方をして、私も同じように受け取るのが当然だと考えているみたいでした。
でも私、正直自分でもそれをどう思っているのかはっきりとは分かりません。今まで私はパーティーを楽しめたためしがなかったはずなのに(もっともパーティーに出る機会からしてそう多くはなかったけれど)、今日は一日じゅうこれまでとは違った、どこか軽やかで浮き立つような気分が付きまとい、夕方になった頃には、それはこの後パーティーが待っていると知ったおかげではないかと思わずにはいられませんでした。何といっても外国のパーティーは故郷のとはずいぶん違うことでしょうし、今回それを主催されるのはそうしたことに関してはママより弁えておいでのはずの伯爵夫人なんですから。もっともそれ以外のことも、大抵は夫人のほうがママと比べたらよくご存じでしょうけど。
パーティーはあさっての予定です。みなでコーヒーとパニーニ(いつだってとてもバリバリして粉っぽいしろものです)の朝食をとっているあいだ、ママは準備の時間は間に合うのかと伯爵夫人に尋ねていましたが、夫人は奥ゆかしく微笑まれただけでした。どこにでもそれはそれは大勢の使用人がいますから、きっとイタリアでは物事を手っ取り早く運ぶのは(本気でそうしようと思えば)、イギリスより楽なんでしょう。それほど財政が豊かとも思えないのにこの館にはうちよりも沢山の人が使われており、しかもその働きぶりときたらダービシャーの台所の下働きあたりとは大違いで、召使いよりは奴隷といったほうがふさわしいくらいです。単に彼らみんなが伯爵夫人を心底慕っているおかげなのかもしれませんが。
とにかく、その日一日パーティーの用意はてきぱきと進められました。あちこちに垂れ幕が張りめぐらされて台所の方からは一風変わった匂いが漂ってくるし、庭園の向こうの端にある大昔の浴場(ビザンツ帝国の時代に建てられたものですって)まで蜘蛛の巣を払われ、中では料理人たちが何やらよく分からない作業に追われていた様子。どこもかしこも、まったく面食らうほどの変貌ぶりでした。ママはいつパーティーがあると聞かされたのかしら?少なくとも私より早く、昨夜寝室に引き取るまえには知っていたのは確かだけれど。
私は新しいドレスなんてとうてい望み薄だということをもっと気にするべきなのかしら。これからまる二日、昼も夜もぶっ通しで働いてくれるおとぎ話のお針子の一隊でもいてくれなくては無理な話です。でも準備に一週間あったところで、今度のパーティーにドレスを新調してもらえたかどうかは怪しいもの。もとよりパパとママは、私にはたとえ教皇聖下と枢機卿がたのお招きに預かったとしても不自由しないだけの十分な衣装があるという意見で一致でしょうから。何にせよ本気で気に病んでなんかいません。思うに私にはキャロラインのママが言うところの、身なりへのまっとうな関心といったものが備わっていないのね。だいたい経験からいって、新調した服には少なからずがっかりなんて事もあるものですし。
今日あったもう一つの特筆すべきことは、伯爵夫人のメイドのエミリアと出かけた初めての街歩きでした。出てくるときママは自室で横になっている最中だったし、パパが述べ立てる注意あれこれは前もって決心していた通り、さらりと聞き流しておいたわ。伯爵夫人はというといつもの笑顔を向けられ、エミリアに私のお供を言いつけて送り出してくださったのです。
とはいえ、何もかもがうまく行ったわけではありません。私はパパ所有のグラッブ氏著「ラヴェンナの観光案内と名所旧跡」の本を持ち出し(パパはこの程度のことには大した文句はつけないでしょう)、まず訪ねたい場所の見当を付けていくことから始めました。最初にそうしたなら、自分の前に広がっていく新しい世界を目にする心構えができるだろうと考えてましたから。こういう特別な状況になると、私はとにかく思い切った振る舞いに出てしまうことが珍しくないの。
けれど最初の難関は、街を長々と歩く行為それ自体だったんです。雨も降っていなくて私にさえ何でもないことだったのに、エミリアときたらやがてあちこち歩き回るのには不慣れというそぶりを露わにしだす始末。でもどうせただの狂言、というよりは上品ぶって疲れたふりをしているだけなのは明らかでした。彼女のような身分の娘たちは大抵、日がな一日動き回って、歩くよりもっと骨の折れることだってやらなくてはならない農家の出ということぐらい誰でも知ってますものね。
だから私は彼女の言ってることがろくに分からないのを幸い、そんな様子は無視してぐいぐいエミリアを引っ張っていくと、案の定彼女も観念したのかじき小芝居はあきらめてついて来ました。通りには粗雑なこしらえの荷車や汚らしい子供たちの一団が行きかっていたけれど、ほとんどは私たちの姿を目にするやいなや関わり合いになるのを避けようとしたので、通り過ぎる馬車に子供が片っ端から石を投げてくるダービーの街路に比べたら何でもないような場所でした。
第二の問題は私の期待に反して、エミリアはラヴェンナの名所旧跡にまったく明るくないと分かったことです。もっとも、いくら地元の名所でもそこに足繁く通うような人はめったにいないというのも――とりわけイタリアでは――事実でしょうし、仕方ないのかもしれませんけど。エミリアにしても、これまでなにか買い物があったり、手紙を届けたりといった用事のときのほかはめったに街に出ることはなかったとか(そういえば彼女の立ち居振る舞いには、どことなく恋文の仲立ちをしたり女主人と入れ替わったりする、コメディア・デラルテの小生意気な女中を思わせるところがあるわ)。
そうこうしつつも、何とか私たちは一般公開されている古代ローマの公衆浴場の遺跡の一つにたどり着くことができました。ローマ帝国末期にキリスト教徒の手に渡って改装されたことから「正統派の洗礼堂」と呼ばれる建造物で、むろん伯爵夫人のヴィラの庭園にあるのよりもずっと規模の大きなものです。とはいえ中は薄暗く床はいつ転んでもおかしくないほどでこぼこで、一か所には胸の悪くなりそうな小動物の死骸まであったほど。
エミリアは声を上げて笑い出しましたが、私には笑う理由がよく理解できた気がします。まるで山の中の故郷に戻ったみたいにずかずか歩き回りながら、彼女はもし私がイタリア半島のかかとか爪先までも歩いていくつもりなら、自分が先導したっていっこうに構わないとでも言いたげな様子でした。私は英国人らしく取り合わないでおいたけど。エミリアの初めの態度からの露骨な豹変ぶりには、どうも二人だけの時に物事を自分の思い通りに運ぼうという魂胆が透けてみえるよう。私も彼女のことがだんだん分かりかけてきたから、次の機会までにあの子をどうすればうまく扱えるか考えておくことにしましょう。
こういったわけで万事うまく運んだとは言いがたい外出だったとはいえ、それでも私は一歩前に踏み出せたんです。世界には確かに、両脇をパパとママとに挟まれてのろのろ進んでいく人生で得られるよりもっと多くのものが待ち受けているのだとわかったわ。ヴィラに戻ったときにも、私はちっとも疲れてはいませんでした。私もキャロラインも、歩いただけで疲れてしまうような女の子なんて大嫌いですから。
帰ってみると、なんとママはまだ横になったままでした。ママが言うにはパーティーに備えて休息を取っているんだそうですが、パーティーはあさってだというのに!可哀想なママ、そもそもイギリスを離れなければ良かったのよ。いずれ私もママくらいの年になって家庭を持つ日が来るのでしょうけど、その時にああはならないようくれぐれも気をつけなくては。休んでいるママの姿を見ているうち改めて気づいたことですが、ママはいつもあれほど疲れて心配そうでさえなければ、まだまだとても綺麗なのです。もちろん、昔のママは今の私なんかよりずっと美人でしたし。悲しいことに私はちっとも綺麗ではないから、ミス・ギスボーンの言うように他の美点を磨かなくてはなりません。
さっき寝室に向かう途中で信じられないものを見てきたところ。今夜小さなコンテッシーナはいつものように黙ったまま、他の誰よりも早く客間を離れていきました。それは素早く出て行ったので、たぶん私以外誰も気がつかなかったはず。ママが言いそうなことですが、私もコンテッシーナの年を考えれば疲れ切るのも無理はないと思いました。でも次に二階に上がっていった私は、そこで何が起こっていたかを目の当たりにしてしまったのです。
階段の踊り場の一方の隅には風変わりな物置か小部屋のようなものが作りつけてあり、どちらも鍵のかかった(一度、自分でこわごわ取っ手を回してみたので分かりました)ドアが二つついています。私が手にしたロウソクの光がその隅のところに照らし出したのは、コンテッシーナと彼女を抱きしめる一人の男の姿だったのです。男は誰か召使いの一人に見えたけど断言はできないわ、でももう片方がコンテッシーナだったのは間違いありません。
二人は真っ暗闇の中で立ちつくしたまま、私が階段を上って反対側の通路へと立ち去るあいだもぴくりとも身動きしませんでした。きっと私が自分たちに気づかず通り過ぎてくれるよう願っていたことでしょう。彼らはまだこの時間には誰も寝室に戻らないだろうと決めてかかっていたか、そうでなければ(ラドクリフ夫人の言い回しを借りるなら)時の経つ感覚などどこかに消し飛んでしまっていたに違いありません。前も書いたようにコンテッシーナの実際の年は見当がつけられないけれど、見た感じではせいぜい十二歳かもっと下といったところなのに。もちろんこの事は誰にも言わないつもりよ。
******
今回はこれといったカットはしてません。切ってよさそうなところがなかなか見つからなかったもので。
彼女が見物に行った”Baptistry of the Orthodox"(ネオニアーノ洗礼堂とも)はラヴェンナに残る最古の建物の一つで、前回出てきたガッラ・プラシディア廟などとともにユネスコの世界遺産にも登録されている名所です。もとはローマ時代の浴場として建てられたものだというのも事実だそう。しかしそれより小さいとはいえ、庭園に古代浴場が残ってる伯爵夫人のお屋敷ってなんだか凄いですね。
→中の写真
→Wikipedia(英語版)
写真で見るときれいな内部も、二百年前は今のようにきちんと整備されていたわけではなかったんでしょうか。
あと朝ごはん(だと思う)の"パニーニ"ですが、そもそも本場イタリアでは「パニーニ」ってサンドイッチ全般をさす言葉なんだそうです。したがってここで出てくるのもたぶん普通のイタリアパンのサンドイッチ。なるほど、私今までずっとあの焦げ目のついたホットサンド限定の名称だと思ってました…。
"Pages From a Young Girl's Journal"(抄訳)
十月五日
けさママのところに朝の挨拶に行くと、びっくりするようなニュースが待っていました。ママは私にお座りなさいといってから(ママとパパの部屋には私のところよりたくさん椅子があるし、他の色々なものももっと揃っています)、この屋敷でパーティーが開かれると切り出したんです! ママはまるでそれが逃れられない恐るべき試練か何かのような言い方をして、私も同じように受け取るのが当然だと考えているみたいでした。
でも私、正直自分でもそれをどう思っているのかはっきりとは分かりません。今まで私はパーティーを楽しめたためしがなかったはずなのに(もっともパーティーに出る機会からしてそう多くはなかったけれど)、今日は一日じゅうこれまでとは違った、どこか軽やかで浮き立つような気分が付きまとい、夕方になった頃には、それはこの後パーティーが待っていると知ったおかげではないかと思わずにはいられませんでした。何といっても外国のパーティーは故郷のとはずいぶん違うことでしょうし、今回それを主催されるのはそうしたことに関してはママより弁えておいでのはずの伯爵夫人なんですから。もっともそれ以外のことも、大抵は夫人のほうがママと比べたらよくご存じでしょうけど。
パーティーはあさっての予定です。みなでコーヒーとパニーニ(いつだってとてもバリバリして粉っぽいしろものです)の朝食をとっているあいだ、ママは準備の時間は間に合うのかと伯爵夫人に尋ねていましたが、夫人は奥ゆかしく微笑まれただけでした。どこにでもそれはそれは大勢の使用人がいますから、きっとイタリアでは物事を手っ取り早く運ぶのは(本気でそうしようと思えば)、イギリスより楽なんでしょう。それほど財政が豊かとも思えないのにこの館にはうちよりも沢山の人が使われており、しかもその働きぶりときたらダービシャーの台所の下働きあたりとは大違いで、召使いよりは奴隷といったほうがふさわしいくらいです。単に彼らみんなが伯爵夫人を心底慕っているおかげなのかもしれませんが。
とにかく、その日一日パーティーの用意はてきぱきと進められました。あちこちに垂れ幕が張りめぐらされて台所の方からは一風変わった匂いが漂ってくるし、庭園の向こうの端にある大昔の浴場(ビザンツ帝国の時代に建てられたものですって)まで蜘蛛の巣を払われ、中では料理人たちが何やらよく分からない作業に追われていた様子。どこもかしこも、まったく面食らうほどの変貌ぶりでした。ママはいつパーティーがあると聞かされたのかしら?少なくとも私より早く、昨夜寝室に引き取るまえには知っていたのは確かだけれど。
私は新しいドレスなんてとうてい望み薄だということをもっと気にするべきなのかしら。これからまる二日、昼も夜もぶっ通しで働いてくれるおとぎ話のお針子の一隊でもいてくれなくては無理な話です。でも準備に一週間あったところで、今度のパーティーにドレスを新調してもらえたかどうかは怪しいもの。もとよりパパとママは、私にはたとえ教皇聖下と枢機卿がたのお招きに預かったとしても不自由しないだけの十分な衣装があるという意見で一致でしょうから。何にせよ本気で気に病んでなんかいません。思うに私にはキャロラインのママが言うところの、身なりへのまっとうな関心といったものが備わっていないのね。だいたい経験からいって、新調した服には少なからずがっかりなんて事もあるものですし。
今日あったもう一つの特筆すべきことは、伯爵夫人のメイドのエミリアと出かけた初めての街歩きでした。出てくるときママは自室で横になっている最中だったし、パパが述べ立てる注意あれこれは前もって決心していた通り、さらりと聞き流しておいたわ。伯爵夫人はというといつもの笑顔を向けられ、エミリアに私のお供を言いつけて送り出してくださったのです。
とはいえ、何もかもがうまく行ったわけではありません。私はパパ所有のグラッブ氏著「ラヴェンナの観光案内と名所旧跡」の本を持ち出し(パパはこの程度のことには大した文句はつけないでしょう)、まず訪ねたい場所の見当を付けていくことから始めました。最初にそうしたなら、自分の前に広がっていく新しい世界を目にする心構えができるだろうと考えてましたから。こういう特別な状況になると、私はとにかく思い切った振る舞いに出てしまうことが珍しくないの。
けれど最初の難関は、街を長々と歩く行為それ自体だったんです。雨も降っていなくて私にさえ何でもないことだったのに、エミリアときたらやがてあちこち歩き回るのには不慣れというそぶりを露わにしだす始末。でもどうせただの狂言、というよりは上品ぶって疲れたふりをしているだけなのは明らかでした。彼女のような身分の娘たちは大抵、日がな一日動き回って、歩くよりもっと骨の折れることだってやらなくてはならない農家の出ということぐらい誰でも知ってますものね。
だから私は彼女の言ってることがろくに分からないのを幸い、そんな様子は無視してぐいぐいエミリアを引っ張っていくと、案の定彼女も観念したのかじき小芝居はあきらめてついて来ました。通りには粗雑なこしらえの荷車や汚らしい子供たちの一団が行きかっていたけれど、ほとんどは私たちの姿を目にするやいなや関わり合いになるのを避けようとしたので、通り過ぎる馬車に子供が片っ端から石を投げてくるダービーの街路に比べたら何でもないような場所でした。
第二の問題は私の期待に反して、エミリアはラヴェンナの名所旧跡にまったく明るくないと分かったことです。もっとも、いくら地元の名所でもそこに足繁く通うような人はめったにいないというのも――とりわけイタリアでは――事実でしょうし、仕方ないのかもしれませんけど。エミリアにしても、これまでなにか買い物があったり、手紙を届けたりといった用事のときのほかはめったに街に出ることはなかったとか(そういえば彼女の立ち居振る舞いには、どことなく恋文の仲立ちをしたり女主人と入れ替わったりする、コメディア・デラルテの小生意気な女中を思わせるところがあるわ)。
そうこうしつつも、何とか私たちは一般公開されている古代ローマの公衆浴場の遺跡の一つにたどり着くことができました。ローマ帝国末期にキリスト教徒の手に渡って改装されたことから「正統派の洗礼堂」と呼ばれる建造物で、むろん伯爵夫人のヴィラの庭園にあるのよりもずっと規模の大きなものです。とはいえ中は薄暗く床はいつ転んでもおかしくないほどでこぼこで、一か所には胸の悪くなりそうな小動物の死骸まであったほど。
エミリアは声を上げて笑い出しましたが、私には笑う理由がよく理解できた気がします。まるで山の中の故郷に戻ったみたいにずかずか歩き回りながら、彼女はもし私がイタリア半島のかかとか爪先までも歩いていくつもりなら、自分が先導したっていっこうに構わないとでも言いたげな様子でした。私は英国人らしく取り合わないでおいたけど。エミリアの初めの態度からの露骨な豹変ぶりには、どうも二人だけの時に物事を自分の思い通りに運ぼうという魂胆が透けてみえるよう。私も彼女のことがだんだん分かりかけてきたから、次の機会までにあの子をどうすればうまく扱えるか考えておくことにしましょう。
こういったわけで万事うまく運んだとは言いがたい外出だったとはいえ、それでも私は一歩前に踏み出せたんです。世界には確かに、両脇をパパとママとに挟まれてのろのろ進んでいく人生で得られるよりもっと多くのものが待ち受けているのだとわかったわ。ヴィラに戻ったときにも、私はちっとも疲れてはいませんでした。私もキャロラインも、歩いただけで疲れてしまうような女の子なんて大嫌いですから。
帰ってみると、なんとママはまだ横になったままでした。ママが言うにはパーティーに備えて休息を取っているんだそうですが、パーティーはあさってだというのに!可哀想なママ、そもそもイギリスを離れなければ良かったのよ。いずれ私もママくらいの年になって家庭を持つ日が来るのでしょうけど、その時にああはならないようくれぐれも気をつけなくては。休んでいるママの姿を見ているうち改めて気づいたことですが、ママはいつもあれほど疲れて心配そうでさえなければ、まだまだとても綺麗なのです。もちろん、昔のママは今の私なんかよりずっと美人でしたし。悲しいことに私はちっとも綺麗ではないから、ミス・ギスボーンの言うように他の美点を磨かなくてはなりません。
さっき寝室に向かう途中で信じられないものを見てきたところ。今夜小さなコンテッシーナはいつものように黙ったまま、他の誰よりも早く客間を離れていきました。それは素早く出て行ったので、たぶん私以外誰も気がつかなかったはず。ママが言いそうなことですが、私もコンテッシーナの年を考えれば疲れ切るのも無理はないと思いました。でも次に二階に上がっていった私は、そこで何が起こっていたかを目の当たりにしてしまったのです。
階段の踊り場の一方の隅には風変わりな物置か小部屋のようなものが作りつけてあり、どちらも鍵のかかった(一度、自分でこわごわ取っ手を回してみたので分かりました)ドアが二つついています。私が手にしたロウソクの光がその隅のところに照らし出したのは、コンテッシーナと彼女を抱きしめる一人の男の姿だったのです。男は誰か召使いの一人に見えたけど断言はできないわ、でももう片方がコンテッシーナだったのは間違いありません。
二人は真っ暗闇の中で立ちつくしたまま、私が階段を上って反対側の通路へと立ち去るあいだもぴくりとも身動きしませんでした。きっと私が自分たちに気づかず通り過ぎてくれるよう願っていたことでしょう。彼らはまだこの時間には誰も寝室に戻らないだろうと決めてかかっていたか、そうでなければ(ラドクリフ夫人の言い回しを借りるなら)時の経つ感覚などどこかに消し飛んでしまっていたに違いありません。前も書いたようにコンテッシーナの実際の年は見当がつけられないけれど、見た感じではせいぜい十二歳かもっと下といったところなのに。もちろんこの事は誰にも言わないつもりよ。
******
今回はこれといったカットはしてません。切ってよさそうなところがなかなか見つからなかったもので。
彼女が見物に行った”Baptistry of the Orthodox"(ネオニアーノ洗礼堂とも)はラヴェンナに残る最古の建物の一つで、前回出てきたガッラ・プラシディア廟などとともにユネスコの世界遺産にも登録されている名所です。もとはローマ時代の浴場として建てられたものだというのも事実だそう。しかしそれより小さいとはいえ、庭園に古代浴場が残ってる伯爵夫人のお屋敷ってなんだか凄いですね。
→中の写真
→Wikipedia(英語版)
写真で見るときれいな内部も、二百年前は今のようにきちんと整備されていたわけではなかったんでしょうか。
あと朝ごはん(だと思う)の"パニーニ"ですが、そもそも本場イタリアでは「パニーニ」ってサンドイッチ全般をさす言葉なんだそうです。したがってここで出てくるのもたぶん普通のイタリアパンのサンドイッチ。なるほど、私今までずっとあの焦げ目のついたホットサンド限定の名称だと思ってました…。
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